“地元びいき”と叱られようが・・
“独りぼっち”の放送局
私の取材活動の大半は出生地の兵庫県内だった。
1971年以降、暴力団抗争やグリコ・森永事件、朝日新聞銃撃事件、阪神・淡路大震災などを取材・指揮したが、
とりわけやりがいを肌で感じたのは播磨・但馬地域などでいわゆる現地駐在の“地方記者”として駆け回った時期だ。
日常の活動パターンは、自らハンドルを握って現地に駆けつけ、取材・撮影、原稿執筆、映像送り、
何もかも1人でこなした。時には三脚を据えた無人のカメラに向かい、リポートまで行った。
デスクのチェックは入るが、企画からオンエアーまで映像編集を除いてすべて1人でこなしていた。
確かに大変な作業だが、地域の人たちの思いをストレートに伝えることができたと自負している。
“独りぼっち”は、全国紙の記者も同様だった。
CNNは1人だけの支局の配置に動き出している。
「撮影から編集、原稿作成、リポート、ネットへのアップロードまですべてを独りで行うジャーナリストを、
全米10の都市に配置」したという。
地域に取材拠点を置き、そこで日常的な取材活動と同時に市民生活を送れば、
地域が抱える課題も自ずと把握できるし、大災害や突発事件の発生にいち早く対処できる。
地域の記者が、貴重な戦力となることは自明。
“地域おこし”の切り込み隊長
テレビドラマなどの舞台になると、とりわけ地方都市は脚光を浴びる。
その筆頭格がNHKの大河ドラマや朝の連ドラだろう。
これほどではないにしても、地方記者の日常の取材活動も少なからず“地域おこし”に寄与している。
私が直にかかわったのは、梅の名所として知られる瀬戸内の綾部山梅林。74年頃だったと思う。
青梅の収穫時期に初めてこの梅林に足を運んだ。
撮影を終えた後、組合長から地域あげての梅林育成について苦労話を聞いた。
最後に「花の時期は、眼下に瀬戸内海を望み大名気分に浸れる」と一言。この言葉に誘われ、翌年カメラを担いで再度梅林を訪ねた。
推奨どおりひと目2万本といわれる満開の梅に包まれ夢見心地、ところが周囲には全くひとけなし。
組合長は、この梅林はあくまでも「加工用」、つまり梅の実の収穫が目的で入園料をとって梅の花を見せることは許されない、と残念がった。
しかし、私はどうしても納得できず、私なりに情報収集を進めた。
まず農林施策を把握しようと関連書籍を開いた。“観光農業”ということばが目に飛び込んできた。
その足で組合長に会い、観光を強力にアピールし、その筋に働きかけるよう勧めた。
売り込みのキャッチフレーズも考え、この地域を地盤にしていた国会議員や当時の町長にも懇請した。
新施策にうまくはまったというか、組合長の奔走が実り、2年も経たないうちに観光としての観梅が認められた。
1シーズンにおよそ7万人が訪れる梅の名所の礎を築く一端を担ったとの思いを持っている。
このように地方の記者が、地域おこしに知恵を出し協力するのはごく自然の成り行きといえる。
第2の赴任地である兵庫北部だけを見ても、
但馬の小京都・皿そばで知られる出石、“夢千代の里”といわれる山峡の湯村温泉、冬のスキー客頼りから四季型に装いを変えた神鍋高原、
役場や観光協会の担当者とともに“地元良かれ”と戦略を練ったことが功を奏したといえる。
地方では、他社とも協調することが多い。テレビ画面や新聞紙面で大きく展開したのは言うまでもない。
このように地方記者の多くは、少なからず地域を愛する心根を持っている。
地域の人たちの期待を担うこうした側面があっても、とくにお叱りを受けることはないだろう。
ひいきの引き倒し
当時地方では、役所・警察サイドの広報体制はそれほど行き届いたものではなく、いわゆる“タナボタ”のネタを当てにすることはできなかった。
インターネットなど縁のあろうはずもなく、 “足で稼ぐ”という取材の鉄則を守り、連日ネタを探しまわった。
地域の特産は格好のネタで「出荷最盛期」といったフレーズは重宝させてもらった。
地域の祭りや展覧会など絵になる題材を見落とすことはなかった。
俗に言う“大したこともない”ネタでもやや強引に記事に仕立てることがあった。
しかし、落とし穴もあった。こうした“ヒマネタ”は、事件の発生で放送が先送りになることが少なくない。
テレビを見て足を運んだのに「花は散った後」とお叱りを受けることもあった。
これなどはまだ罪のないほうだが、“伸び盛りの若者クリエイター”を潰してしまうという取り返しのつかないミスを犯したこともある。
陶芸など手仕事は、感性も大切だが年季をかけて技を磨くことが必須である。
ひたすら修練を積む若者を取り上げた結果、とみに注目を集めた。
ところがである。若者に眼をかけていた師匠は「テレビは魔物。居丈高な天狗にしてしまった」と悔やんだ。
取材によって“やる気を起こさせる”ことも少なくないが、このケースでは伸びるはずの若い芽を摘み取ってしまった。
花といえば美しい、食べ物なら美味しい、何の疑いもない褒めトーンの原稿がまかり通る。
“ひいきの引き倒し”は、思わぬところで墓穴を掘ることがある。
とりわけテレビというメディアは、取材者が思い描く以上に多大な影響力を持っている。
この時ばかりは“取材することの怖さ”を思い知らされた。
“無駄”の効用、分厚いシフトを!
日本のマスメディアは、国民の知る権利を守るため“実名報道”を堅持している。
しかし、人権やプライバシー意識の高まりを理由に「全国警察の半数で匿名発表」が行われているという。
新聞協会が2年前に発行した『実名と報道』に詳しく(ぜひ一読を)、「警察の隠された意図があるケースも少なくない」と指弾している。
と同時に、現場の記者に対し「発表だけに頼るな。自らの足で、頭で実名を割り出す。
そうした覚悟と努力がなければ壁は破れない」と呼びかけている。
“そうだ”と思わず相槌を打ったが、いまメディアがそういう建設的な方向に向いているかといえば、はなはだ疑問である。
メディア各社は効率化の方向に走っており、地方の要員を減らす傾向が続いている。
くどいようだが、警察などの情報操作に対峙(たいじ)するには、“夜回り”という地道で過酷な作業もさることながら、
“足で稼ぐ”取材を実践し地域の人たちと密着することが近道と考える。
無駄な面も多々あろうが、地域に目を向けたきめ細かい体制を構築しない限りメディア不信を払拭することはできないだろう。
巷間(こうかん)言われるメディアの閉塞状況を打ち破るためにも、取材体制の強化を急ぐ必要がある。