TVおじさん

世相の鏡であるテレビから学び、時として批判も。メディア表現にも触れる。まだ元気、散策の想い出も綴りたい。

“ゆうゆう”の里

2012-08-26 | ことば

 

近隣に高年者のための施設「神戸ゆうゆうの里」がある。

私はこの“ゆうゆう”という言葉の響きに憧れを感じる。

ここでは「悠々・自適」という意味だろう。

ゆったりと落ち着いた心の安らぎ、資金が潤沢で経済的なゆとりも。

広い敷地の施設はすっぽりと緑に覆われ、

垣根の外から見ている者としては、“高嶺の花”でありやはり羨ましい。

この「ゆうゆう」という言葉、広辞苑によると「優々」「優遊」「幽々」などがある。

いずれも気になる言葉である。

先日友人に名刺をもらった。

悠悠の一字を入れ替え、「悠憂自適塾」としている。

本人に質したわけではないが、“憂う”という言葉を使った意図は、

悠悠は確かに理想ではあるものの、この世の中ほんとにこれでいいのかな

憂うべき状況ではないのかなという思いもあるからだと思う。

「悠々自適」、一字違いの「悠憂自適」

憂国の“憂”をはめることでかなり意味が違ってくる。

 


陽光目映い奈良ホテル

2012-08-25 | 散策

ホテルのパンフレットから紹介しよう。

「時を超えていまなお変わらないものがここにある」

「関西の迎賓館」として明治42年に創業したという奈良ホテル。

「桃山御殿風檜作りの本館は、

和洋折衷の融合美を堪能していただける」と胸を張る。

正面玄関から館内に入ると、真正面に赤絨毯の階段がある。

ティーラウンジも足元までがガラス窓で、

緑のシャワーが噴き出しているようだった。


夏の棚田嘉十郎亭

2012-08-25 | 散策

 

きょうは野暮用で、奈良市東笹鉾町にある棚田嘉十郎の旧居を訪ねた。

転害門近くの浄国院の前まではすぐに着いたが、肝心の屋敷が見当たらない。

それもそのはず、道路に面しているわけではなく、

たてこんだ住宅の間の路地を突き進んだ一番奥にあった。

会議めいたことを済ませ、その後食事までご馳走にあった。

さて、棚田嘉十郎なる人物だが、

荒れ放題だった平城宮跡の保存の功労者だそうです。

きょうの奈良は暑かった。窓はすべて開け放たれていたが汗は噴き出す。

しかし、ゆったりとした佇まいで、夏の奈良を満喫させてもらった。

 

 


ライト様式の旧甲子園ホテル

2012-08-17 | 散策

武庫川女子大学 甲子園会館、その存在は知ってたが、

内部に入るのはきょうが初めて。その素晴らしさに大感激。

この建物はフランク・ロイド・ライトの愛弟子遠藤新が手がけた。

リゾートホテルとして建てられたそうで、壮麗な姿は見応え十分。

パンフレットには「日本の伝統美を生かした洋式建築」と説明がある。

確かに正面から見ると左右対称に塔がそびえ寺院建築のようだ。

晩餐会などに使われたホールの天井は市松格子、

石川県で切り出したという日華石は、手の込んだ細工が施され

豪華さとともに温かさも醸し出している。

庭は手入れが行き届いており、四季折々の姿が楽しめるという。

「打出の小槌」のオーナメントやモザイク用の床のタイルも印象的。

グループで申し込めば、丁寧に調整してくれるそうだ。

きょうは特に眩いほどの陽射しで、

光をうまく取り込んだ美しさにも惚れ惚れしてしまった。

 

 


さよならアサヒ 西宮工場

2012-08-17 | 散策

85年の歴史がある西宮工場が、今月末で操業を停止する。

非常に寂しい感じがする。

きょうは最後の見学会ということで、友人らとともに足を運んだ。

構内に林立する熟成タンクにどれほどの量が蓄えられているのか。

工場の生産ラインはすでに一部撤去が始まっていた。

見学コースを回った後、この工場で作られている

とれとれのビール、スタッフは自信たっぷりで振舞ってくれた。

ビールの味が分かる私ではないが、このビールは旨かった。

真昼間だったけどお替りまでしてしまった。

ビール好きの仲間たちは制限の3倍を飲み干していた。

かなり昔の話だが、

私個人としてはアサヒビールの愛飲者にずい分世話になった。

定例で開いていたアサヒの“ほろにが会”にも参加させてもらった。

企業人・文化人などいろんなジャンルの人たちがいて、

楽しいネタを提供してもらった。こうしたつながりは大切にしてほしい。

本当に「ありがとう」と言いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 


新書1位に『聞く力』

2012-08-12 | メディア

きょう近くの書店を覗いた。

新書のコーナーへ行くと、人気NO1に阿川佐和子さんの「聞く力」が選ばれていた。

900回を超える週刊文春の連載をこなしてきた実績が説得力を持つ。

対談相手との具体的なエピソードを絡めつつ

聞き手としての大切なポイントを分かりやすく説明している。

35のヒントを並べているが、このうち

4番目の「自分の話を聞いてほしくない人はいない」や

8番目の「段取りを完全に決めない」などは、まさに“目からうろこ”。

この著作の良さは、“アガワらしさがにじみ出ていることと、

常に読者を意識していることだと思う。

読者が文春の対談をどう読むか、

この著作の言いたいことをどう受け止めるかを思い描いている。

こうした読者優先の気配りこそが、

阿川さんを思いやりのある聞き上手に育て上げたのではないか。

 

 


祗園さんから高台寺へ

2012-08-11 | 散策

清盛ゆかりの八坂神社を訪ねた。

応仁の乱で焼失したという西楼門から祗園造りという桧皮葺の本殿に向かった。

境内には清盛の父にあらずという忠盛の燈籠や

清盛の母とされる祗園女御の供養塔がある。

ここから坂道を登り、西行法師が修行したという長楽寺へ向かった。

相阿弥作の“静寂”な庭を眺めながらしばし涼をとった。

ねねの道から高台寺に足を運んだ。

秀吉の菩提を弔うため夫人の北政所(ねね)が開いた寺で、

家康の援助もあり、「寺観は壮麗を極めた」という。

ここは見所が満載、写真の茶室は湖月庵、

桃山時代を代表する小堀遠州作の庭園。

 

 方丈の前庭には、白砂で堤を築き水を張った見慣れない庭があった。

 

一段高いところには千利休意匠の傘亭と時雨亭がある。

お見逃しなきよう。


近いうちに≒近い将来

2012-08-11 | ことば

 

衆院はほんとうに“近いうちに”解散するのだろうか?

消費増税法案が成立し、「近いうちに」8パーセントになり、

さらに10パーセントに引き上げられる。

この法案をめぐっては民主・自民の間で

「近い将来」という文言が「近いうちに(国民の信を問う)」となって了承したというが、

国民的な目線で言うとどこがどう違うのか、

一体「近いうちに」というのはいつのことなのか、

チンプンカンプン分からない。

政治的な駆け引きに使われる表現を全否定するつもりはないが、

それは当事者間に限ってほしい。

今回の「近いうちに(信を問う)」は、野田総理自身

対自民だけでなく、国民に向けてのメッセージとして使っている。

これではますます政治不信が募る。

麻生氏は「近いうちに飯を食いにいく」というのは「2週ほど」との見解を示したが、

この表現はそれほど単純ではない。

どういう状況で使ったかによって意味合いは大きく違ってくる。

私も時々「近いうちに」という言葉を使うが、

「(できれば)近いうちに」というあるかないか分からないような

きわめてあいまいな意味で使うことがある。

受け止める側は、社交辞令と受け止め聞き流しているかもしれない。

仕事上のお付き合いの場合、別れ際に「さよなら」というより

「また近いうちに」といったほうが響きもいい。

その後半年会わなかったとしても、

双方の間に決定的な溝ができることもあるまい。

一方で違った見方が可能なケースもある。

「かくかくしかじかの用件があるので、近いうちに伺う』という場合には

おのずとその時期が明確になることもある。

使い方次第で便利というか都合のいい表現といえる。

繰り返しになるが、国民へのメッセージとして

こんなあいまいな表現を使うことは許されない。

国民の誰もが「“近いうちに”とはいつのことなのか」、

自民との間で何らかの密約があるとしか受け止めないだろう。

国民を愚弄しているとしかいえない。

政治は政治家のためのものか、これでは政治不信に歯止めがかからない。

 

 


アショカのカレーランチ

2012-08-10 | グルメ

インド料理のレストラン・アショカ、

京都の中心部、四条通に面した寺町の角にあります。

きょうはむしむしと暑い京都でしたが、なぜかカレーが食べたくなりました。

昼はお得なランチメニューがあり、「本日のランチ」にしました。

最初にカレースープ、続いてタンドール2品、

カレーは“キーマと茄子”を選びました。ナンもなかなかの美味、

ヨーグルトまでついて1200円はお得です。

このお店のタンドールは、安くはありませんが、お薦めです。

店の雰囲気も私は好きです。