TVおじさん

世相の鏡であるテレビから学び、時として批判も。メディア表現にも触れる。まだ元気、散策の想い出も綴りたい。

丸ごとかぶる、かじりつく!?

2010-01-30 | ことば



まもなく節分、スーパーの売り場には巻き寿司を売らんかなの目立つポスターが貼り出されている。

太巻きの丸“かぶり”、この表現に対しイチャモンがついた。丸“かじり”ではないかというのである。私もこれまで何の抵抗もなく丸かじりを使っていた。しかし、岩波の国語辞典を見ると“かじる”は「かたいものを前歯で少しずつそぎ取る」と説明し、「ねずみが…」を例として挙げている。これに対し「口を大きく開けてくいつく」ことを“かぶりつく”と明記している。こちらのほうがニュアンスは近い。どちらでもいいかと思い周辺で聞いてみると、かぶり派とかじり派はほぼ拮抗していた。ただし、目につくポスターはいずれも“まるかぶり”だった。


起源については諸説あるようだが、我が家では長男が生まれた’70年代から、恵方を向いて太巻きをかぶらせていた。某ホームページの丁寧な解説によると、’73頃大阪の海苔問屋の組合が仕掛けたようだが、これとぴったり符合する。このころから急速に広まったことは間違いないようだ。





何処?神鉄「鈴蘭ダンスホール前」駅

2010-01-29 | ことば


 大正元年生まれの父、私たち子供の前でタップダンスを踊って見せた。パン職人だった父は、当時としてはハイカラなタイプでだった。父いわく、神戸の新開地でよく遊び、鈴蘭台のダンスホールに通って、ダンスを習ったという。

  どういう縁か、私は今この鈴蘭台に住んでいる。この一帯は新しく開けた住宅街だが、昔は少し様子が違っていたらしい。『駅名から日本地図を旅する本』にこんな項目がある。


 今の神戸電鉄粟生線の「鈴蘭台西口」は、昭和12年頃「鈴蘭ダンスホール前」という名前でスタートした。周辺を見回しても当時の華やかさをしのばせるような面影は全くないが・・。その後太平洋戦争が始まって遊興自粛ムードが高まり、もってのほかということで改名を余儀なくされた。この地域の地名が小部だったことから、昭和17年に「小部西口」に変更され、さらに昭和37年にいまの「鈴蘭台西口」になったそうだ。


 当時を知る人によると、新たに「西鈴蘭台」駅をつくるに際して、眼と鼻の先の西口駅は廃止されることになっていたが、地元の反対で存続されたそうだ。この古老、神戸電鉄の古い沿線紀行の書籍を引っ張り出して調べてくれたが、ダンスホールについての記述は全く見当たらなかった

 私は“モダンボーイでにぎわった”という鈴蘭台を亡き父の姿と重ねようとするが、高齢化の渦に飲み込まれた今の町の姿からは、残念ながらイメージすることはできない。





女と男、区別なのか差別なのか?

2010-01-28 | ことば

テレビドラマのタイトルでは、「女医」「女弁護士」など“おんな”という文字が、やたら使われている。これに対し「男・・」というタイトルは見かけない。
 
 「メディアの中の性差別を考える会」というグループがある。ここでは、ジェンダー報道の五原則を提案している。その第1として「性別情報の不問」を挙げている。「『男=標準、女=例外、下位、特殊』という規範が浸透している現状では、必要のない限り性別に関する情報は含まない。特に職業名は男性と同一の職業分類で十分。女流棋士、女医、女性宇宙飛行士などは使うべきでない」と反発している。
 

こうしたたぐいの言葉としてよく引き合いに出されるのが、“女性カメラマン”。「女性なのにカメラ”マン”とはこれ如何に」即ぼやき漫才のネタにでもなりそうだが、この“MAN”は日本語でいう“士”と同じように、男女の区別なく“人・PERSON”の意味で使われてきた経緯がある。消防士は男のイメージだが、栄養士は女性をイメージするのではないか。
 

あまり目くじらを立てるのはどうかと思うが、“看護師”についてみてみると、先に“看護婦”という呼び名があり、後からこの女性の職場に進出した男性に対し、女性と区別する意味で“看護士”という呼称が与えられた。
 

女性のカメラマンはどうだろう。新聞協会の言い換えを見ると、カメラオペレーター、フォトグラファーを参考例としてあげているが、「カメラマンが日本語としてなじんでいる現状では言い換えなくてよい」としている。
  ただし、旅客機の客室サービスにあたる“スチュワーデス”については、国際的にもこの呼び名は使われなくなり、原則として“キャビン・アテンダント”“客室乗務員”としており、ドラマの効果もあって急速に定着している。
 

いずれにしろ、女性、女子、女をことさら強調するような使い方は、慎んだほうがいいようだ。





“檄”と“激”は同義語か?

2010-01-27 | ことば
 「を飛ばす」、本来の意味は「決起を促す」。「励の意味で用いるのは誤り(新明解国語辞典)」という指摘もあるが、広辞苑や明鏡国語辞典では「(奮起を促すため)激励し活気づける」も採用している。ちなみにNHKの調査では、この使い方で「おかしくない」とする見方が86%で大勢を占めた。
 「さわり(の部分)」という言葉もかなり誤解があるようだ。正しくは「最も印象の深い聞きどころ」つまりヤマ場をさすが、どうも「あたまの導入部分」と思っている人が多い。
 また、「役不足」も本来「社長の器であるのにあてがわれた役はあまりにも軽すぎる」いった意味で使うが、8割の人が“荷が重過ぎる”と思い込んでいる。
 言葉というものは、成長か退化かは別として、変化を抑えることはできないようです。




愛称はぎっちょんさん

2010-01-26 | ことば
 60代に突入した私、左利きで小さい時は「ぎっちょんさん」と呼ばれていた。とくに差別的な感じとは思わないが、周囲の者から「ぎっちょ」と呼ばれていることに、両親は唖然としたようだ。
 当時は、左利きを右に矯正することは珍しくなかった。私の場合、字を書くこと、箸を持つことについては、徹底して直された。ただ絵筆は左、野球も左打ち。今は右でも左でもなく、両利きといったところ。 
 その後、巨人の王選手などスポーツ界で左利きの選手が大活躍、サウスポーというややカッコいい呼び方も定着し、結構うらやましがられた記憶がある。





若者たちの『あふれる新語』

2010-01-26 | ことば


 

 散歩の途中に立ち寄った書店で「あふれる新語」(大修館書店)という新書を手にした。帯には“指恋(ゆびこい)”という言葉、「携帯メールのやりとりを重ねるうちに恋愛関係に発展する」ことだそうだ。

 何でも中高生を対象に新語を募集したようで約1200語が収録されている。私のような“アラ還”には理解の外という言葉が並んでいる。パソコンや携帯がらみの新語が結構多い。“モバかの”は「モバゲータウンで知り合ってつきあった彼女」という意味だが、年配者にも分かるように「モバゲータウンとは(株)DeNAが運営する携帯向けサイト」と丁寧に説明してくれている。

 すでにある表現をもじった新語も多い。無党派をもじった”無糖派”は「野菜中心の食生活で、健康を気づかっている人」、”鬼太郎”は「物事の結果が最低、つまり下の下の下、ゲゲゲ」ということで鬼太郎につながるらしい。「テストの点が鬼太郎だった」といわれても戸惑ってしまうだろう。挙げればキリがない。

 出版側は「この一冊で、若者の興味や関心を理解できるのではないか」と自負する一方で、「あふれる新語の暴力的名な波の中を、どのように泳ぎ続けていくべきか・・・」と戸惑いも隠さない。興味ある方はぜひ一読を。





中国人が発した“かいかぶり”

2010-01-26 | ことば



 大連・瀋陽の旅から帰って、中国人ガイドにお礼のメールを打った。このツアーは旅行会社のOBで作るシニア会の誘いに乗ったもので、格安の料金でずい分楽しませてもらった。その一番の貢献者が現地ガイドの 于貴洋さんだったと思う。こんな返信が届いた。


 「大先輩の方々に褒められて光栄です。ちょっとかいかぶり過ぎです」(原文のまま)   


 明鏡国語辞典によると、買い被り(かいかぶり)は「能力などを実質以上に高く評価する」こと。この言葉を中国語にすればどんな表現になるのか、どう英訳するのか、それは専門家にまかせるとして、私は彼が発したこの表現に感銘を受けた。日本人の謙虚さ示す韻を含んだこのすばらしい言葉は、今の時代忘れられているのではないだろうか。ほんとうに大切にしているのだろうか。

 彼は、注目のドラマ・司馬遼太郎の「坂の上の雲」の小説も4巻まで読んだという。日本人を対象にガイドをしているというだけではないだろう。日本を理解しようというひたむきな姿に、何か大切なことを教えられたように思う。





男子駅伝 2大会同時実施?

2010-01-26 | ことば


 
 1月25日、7区間でタスキをつなぐ男子の駅伝大会が広島で行われた。朝日新聞で紹介されたのは「都道府県対抗男子駅伝」、NHKは「全国男子駅伝」。一瞬別の大会かと思った。 

 どうして大会の名称が違うのか、朝日の紙面にその解答があった。見出しでははっきりと「都道府県対抗男子駅伝」と表記しているが、ゴール直前の兵庫・竹沢選手をとらえた写真には、「第15回全国男子駅伝」と書いたゴールテープが写っている。主催者としては両方の名前を使っているようだ。朝日とNHKで判断に違いが生じたためと分かった。ちなみに朝日は「平和記念公園」「竹沢」、NHKニュースは「平和公園」「竹澤」だった。
 つい愚痴ってしまったが、きょう言いたいのは早稲田出身の先輩・後輩のデッドヒート。ラスト300メートルでスパートした竹沢が、先輩の佐藤(敦之)を振り切って兵庫に3度目の優勝をもたらした。レースを終えた2人は睦まじげになにやら話をしていた。テレビの中継でもいい雰囲気は伝わってきたが、今朝の朝日はこの光景をテレビ以上に視覚的に描き上げていた。少し長いが紹介したい。
 

 2人が一騎打ちの展開で激突するのはこれが初めてだった。「敦さんに身を任せていたから勝てた」という竹沢は「すいませんでした」と頭をぺこり。「勝負の世界だから」と右手を差し出した佐藤も「今日は胸をはれる走り」。郷土の期待を背負ったアンカー対決は、世界を目指して分かりあった2人だからこそ繰り広げられる、名勝負だった。
 

 昨日見たあの光景が鮮烈によみがえってきた。現場に立ち会った者にしかつかみえない価値ある情報である。





“こだわり”にはこだわらないほうが!?

2010-01-19 | ことば

 少し前になるが経済系の番組で、出演者やゲストが我先に“こだわり”という言葉を口にしていた。

たまたま収録していたので、回数を数えてみた。さほど長い番組でもないのに13回も繰り返していた。

最近はこうしたお喋りをそのまま画面に表示する傾向があり、眼と耳の両方から情報が入ってくる。

「いい加減にしろ」とついテレビに向かって不満を漏らしていた。

私の怒りにはもう一つ要素が含まれている。清水義範『日本語の乱れ』に記された東京都の64歳の男性の言葉。

「『こだわる』という言葉がいいイメージで使われる最近の傾向には面くらっている。

『あなたのこだわりを大切にして下さい』とまで広告では言っているのだから。

『こだわる』はちょっとしたことにつまらなくとらわれることで、いさぎよくない、ねちねちしてすっきりしない、

という悪いイメージをもともとはともなっている」とぐちっている。

“ ことばおじさん”こと梅津正樹氏は、平成14年に実施された文化庁の調査を持ち出し、こんなふうに解説している。

1.まだ過去のことにこだわっている 2.食材にとことんこだわっている。

40代以下では1、2の両方を使うという回答が最も多い。50代以上では1の本来の言い方をする人が多いということだ。

新しい辞書の代表格ともいえる明鏡国語辞典には1.ささいなことを必要以上に気にすること、2.では〔新しい言い方で〕とことわり、

細かな点にまで気を使って価値を追求すること、と説明している。

肯定的な2の表現をするグループが、今後どんどん幅をきかせることになりそうだ。

若い人たちが仲間内でしゃべることは何ら問題ないと思うが、広くアピールするマスコミや出版の世界では、繰り返し野放図に使うことは慎んでもらいたい。