きょうは日が射したかと思うと、一転雪、
ずっとこれの繰り返しだった。
“かどに立ち 積もらぬ雪に くやし顔”
散歩の途中、こんな子を目にした。
過日古刹巡りをしたときの光景
“雪舞うも 映えぬ化粧に 撮り人なく”
きょうは日が射したかと思うと、一転雪、
ずっとこれの繰り返しだった。
“かどに立ち 積もらぬ雪に くやし顔”
散歩の途中、こんな子を目にした。
過日古刹巡りをしたときの光景
“雪舞うも 映えぬ化粧に 撮り人なく”
真っ白の漆喰、目映い天守、「白すぎる」との議論も。
弱い真冬の日差しでもこんなに白い。
昭和の築城がなった昭和39年、東京オリンピックの年。
私は毎日お城の前を高校に通っていたが、
これほども“白い”という印象はない。
姫路の人たちが白く感じるのは、
昭和と平成を比べてのことだと思う。
できれば友人の写真でそれを確認したいと思っている。
「」
神戸電鉄「鵯越」から至近の烏原貯水池、湖畔を巡った。
春の日のようなやわらかな陽射しに誘われたのか、
野鳥を撮る人、夫婦連れ、外国人のグループなどが
周回道路をのんびりと歩いていた。
野鳥も羽を休めていた。
帰りは急坂の兵庫区側に下りた。
山間からぱっと視界が開けた。
震災から蘇った街の姿があった。
神戸・兵庫区、平野の交差点から少し上がったところ,
祗園神社の斜向かいにあるカフェスペース・アンタイル。
元はお米屋さんで、裏を流れる天王谷川には
米を搗く水車があったそうだ。
店名のアンタイルは、ドイツ語で「分かち合う」という意味で、
和やかなくつろぎの空間を演出している。
おしゃべりに夢中の奥様方、近所のお年寄り、
クリエイターらしき若者等々、客層は広い。
私は限定のランチをとった。
野菜がふんだん、大根、ごぼう、カボチャ、かぶ、
ジャガイモ、にんじん、それに鶏。
スパイスをうまく使った味付けだった。
周囲に駐車場はなく、かなり歩く必要がある。
正解は、信貴山寺とも呼ばれる奈良の朝護孫子寺。
寺の由来は興味深い。
今から1400年前、仏教支持派の聖徳太子が
神道を重んじる物部守屋を討たんと出陣した際
天空遥かに毘沙門天が現れ、必勝の秘法を授けた。
その時が寅年・寅日・寅の刻であったという。
その加護で勝利し、自ら伽藍を創建し、
信ずべき貴ぶ山“信貴山”と名付けたそうだ。
寺の入口では巨大な張子ようの寅が参拝者を迎える。
また本殿の毘沙門天の額には大きなムカデが這っている。
いずれも毘沙門天の使いであり、
信貴山大本山・成福院の鈴木貫主いわく「殺生はならぬ」。
ムカゼは必ずオスとメスが同行しており
家族の平穏の証であるという。
本殿にも毘沙門天の脇に妻の吉祥天と子が祀られており
こうした仏像の配置は極めて稀だそうだ。
阪神・淡路大震災から20年、
仕事の現場を離れてからは毎年この日
未曾有の被害を受け被災地を歩いている。
おもに兵庫・長田区。
ことし感じたことは空き地となった更地が
20年を耐えているかのように動きが見られない。
震災から10年くらいは次々と建物が建っていた。
今年はこうした前向きの取り組みが見られない。
残念ながら、普請をしている建物はなし。
今後この空地がどう再生されていくのか、
私にはイメージできない。
東遊園地の1.17の“希望の灯り”が
心なしかひ弱な感じに映った。
私だけだろうか?
1月17日、阪神大震災に見舞われた。
私はこの日、被災地を歩いている。
そんな仲間がいる。数年前からだが、
仲間がこの日必ず立ち寄るという鉄板焼きの店に集まっている。
「なっちゃん」というお店、震災の年の秋再開した。
近所の常連客のたまり場になっている。
すべてが燃えつくした中で立ち上がったお店、
この20年、果たした役割は大きい。
新年早々から強い寒気に見舞われ、
1日夜から断続的に雪模様となりました。
昨日に続いてきょうもまた、うっすらですが
我が家の周辺は雪化粧しました。
目の前で大型の高級車がスピンしたり
道路わきに放置したりした車が目に付きました。
正月そうそうの初ウオークをしていても
救急車がけたたましくサイレンを鳴らして走り回り
何か落ち着かない感じです。
雪が降り始めたが、長田神社に向かった。
参道は歩行者天国になり、屋台が並んでいた。
生田神社・湊川神社とはやや雰囲気が違い、
初詣での人たちはいかにも地元という感じ。
人では昨年並みかなという感じ。