姫路の小溝筋という商店街を歩いていてふと目にしたのが、この「播州ことば番付表」です。
姫路出身の私としては非常に懐かしく感じました。東の横綱は“ごっつい”という言葉、大関が“しんどい”。私は仕事で疲れた時つい「ごっつい、しんどい」ともらしているそうです。西の横綱は、大丈夫という意味の“べっちょない”。
ちなみに捨てるは“ほかす”、面倒なは“ややこしい”、疲れた時にも使いますが大変なは“えらい”、交互には“かわりばんこ”。挙げればきりがありません。
もっともっと紹介したいのですが、続きは後日。
春霜堂の発行で、1部100円でした。送ってもらえるかどうかは分かりませんが、電話は(079)293-0343です。
NHK・民放ともどもオリンピック中継に社運をかけているようだ。とりわけ、メダル候補の生中継は、オーバーヒート。
まずはモーグルの上村愛子、男子フィギュアの高橋、きょう登場した女子の浅田、安藤。
メダル本命の登場については「まもなく」「ほどなく」「もうすぐ」が連発される。テレビ中継で「まもなく」とは、一体何分くらいを指すのだろうか。「もうすぐ」と言いながらなかなか姿を見せないメダル候補。その間に何人も日本選手が登場する。こういう選手については「あと何人目」と具体的な予告表示がある。同じ日本選手ではないか、しかもオリンピック代表選手。それなのにどうして意図的に区別するのか。私はあえて“差別”と呼びたい。人権を大切にしなければならないマスメディアが率先して差別に走っている。
メディアの言う「まもなく」とは、30分を超えるケースも見られる。「いい加減にしろ」と言いたくなる。“差別”無視、用語の誤用、してはいけない二重のミスを犯している。視聴率を上げるためとはいえ、信じられん!! ひねくれ親父の戯言でした。
ある朝早めに出勤、掃除をしている女性につい「おばちゃん」と声をかけてしまいました。まずいと思ったが、時すでに遅し。かなり冷たい視線を送られてしまいました。これも、セクハラか??
「言い方次第で親しみをこめた表現にもなる」と言うのは、勝手な言い分にしか聞こえないだろう。言われるほうからすれば、バカにするなといいたくなるようです。
こと職業に関して、知的作業と肉体労働で、ピンキリほどの差別感が生じています。自分の物差しで「問題ない」と決め付けるのではなく、言われる側の気分を慮ってほしいと思います。「職業に貴賎はない」ということを肝に銘じなくてはならない。おおいに反省しています。
「胴長でずんぐりむっくり」のNHKの“ど~もくん”、考案したCMディレクターの隣で、「ど~も(すいません)。ど~も(ありがとう)」と男性が連発したのが、命名のきっかけになったようです。「どうも」は簡潔な表現ですが、いろんな意味合いがあります。この言葉がどのように使われているかを探りました。
この言葉の語源については、小林多計士氏が『ごきげんよう・挨拶ことばの起源と変遷』で次のように書いています。 「(民俗学者の)柳田国男は“とにもかくにも”ではないかと書いているが、これは“どうにもこうにも”からきたものと思われる。“どうにもこうにも言葉で言い表せないほどありがとうございます”が“どうもありがとう”となり、さらに省略されて“どうも”になったのである」と。 そしてこの言葉に火をつけたのが、NHK元アナウンサーの高橋圭三さんです。高橋さんはしきりに「どうも、どうも」と繰り返して親しみを強調しました。 私もつい「どうも・・」のひと言で済ませることが多いようです。 意外かもしれませんが、上空3000フィートと航空管制の間では、どこの国の機長であれ、“どうも・ど~も”と挨拶を交わしているようです。これこそがKokuーSAI語。
広辞苑によりますと、≪副詞≫1.(下に否定の語を伴って)どう試みても。「どうもうまくいかない」2.どことなく。何だか。「どうも変だ」3.まったく。まことに。「どうもありがとう」、≪感動詞≫感謝・謝罪・悔やみなどの意で、。「先日はどうも」「このたびはどうも・・」といった具合に。
また『日本語百科大辞典』(大修館書店)によりますと、お通夜の席でのおくやみは、多くの人が「このたびは・どうも・・(ムニャムニャ)」ですましており、それをいちいち丁寧に挨拶されたら受けて立つほうも返答に窮してしまうと指摘しています。その上で、「“どうも”という言葉は使い方によってはなかなか重宝なことばだ」と結んでいます。
しかし、“どうも”を乱発すると、「あまりにも意味があいまいで、何を言いたいのか分らない」といった批判的な意見も少なくありません。国立国語研究所の調査では“どうも”の一言で済ませるおわびの仕方について、60歳代ではおよそ3割が「簡潔でよい」と答えているのに対し、20歳代では8割以上が「きちんとした謝り方でなく感じが悪い」と受け止めているようです。(読売新聞の「新日本語の現場」)
シャツをはみ出しネクタイを緩めた五輪出場のスノーボーダー国母和宏選手の国母流ファッション、批判の声が渦巻いた。TVメディアは我先にとくどいくらい繰り返し映像をみせた。時代離れしたコメンテーターという人種は、分別を忘れ国母をこき下ろした。ご覧のとおりで、あいた口が塞がらない。
これに比べ新聞は節度をわきまえた扱いだった。朝日の12日付の朝刊は、かっこいいとも危なっかしいとも読める≪やばい≫という言葉を頭に載せ、“「やばい」国母流スタイル”との見出しで、今回の騒ぎに言及した。微妙なニュアンスの記事なので、少し長いが引用しよう。
国母のファッションセンスが物議を醸した。
JOC専務理事は「税金で派遣された代表の自覚がない」と不快感を隠さなかった。
この騒動は世代で賛否が分かれると思う。ハーフパイプの選手は試合でも、だぶだぶのウエアを腰よりずる下げて着こなすのが主流。ストリート系の街着もそんな傾向が強い。
「やばい」を「かっこいい」の同義語で使う世代にとって、シャツをズボンに入れるセンスは耐え難いのかもしれない。国母の人生観では五輪に執着するのはかっこ悪い。メダルが目標といわせたがるメディアに従順でいたくない。礼節を欠く行動は、プライドを保つための抵抗に思える。
国母は一方でこうも言う。「五輪ははだん、スノーボードを見てもらえない人に知ってもらう価値がある。多くの人に魅力を知ってほしい」。
こっちの願望をかなえるのなら、自分流を貫く「演出」はプラスにならない。
この時点ではまだ橋本聖子団長は登場していないが、「国母選手を出場させる」という彼女の判断は、それもひとつの見識と思う。この点についてはあまり言及はないが、私は評価したい。
ともあれ、売れさえすれば飛びつく視聴率最優先のTVメディアは猛省を!!
ユニクロは冬物の在庫薄が響いて1月の売り上げは前年割れだという。しかし、1月初めには『勝ち組みユニクロ、絶好調 もうけ前年の1.5倍に』という記事があった。気のせいかもしれないが、ユニクロの客層が高齢化している。高齢層にも広がっていると言ったほうがより正確かもしれない。
この冬は早めの寒波に見舞われた。盛んに宣伝していた「ヒートテック」なる9分袖のシャツとタイツを購入し、私も寒さをしのいでいる。
私に限らず今のお年寄りは気も若く、若者と変わらない格好をしている。さていくつなら“爺ちゃん・婆ちゃん”と呼んでもいいのだろうか?結論を急ごう。
女性の平均寿命は86.05歳もちろん世界一、男性も79.29歳、若者からすれば“化石同然”かもしれないが、男女ともこの老境に達して初めて寛容になれるようで、これを基準とするのも一案。
新聞協会発行の『放送で気になる言葉』では、「中3男子、80歳の老人刺殺」というタイトルを引き合いに出して「80歳なら老人であろう」という見解を示している。
老人福祉法など法律的に見ると「65歳以上もしくは65歳に達したとき」となっている。高齢化社会も65歳以上を基準にしている。学校などで催される敬老会へのお誘いも目安になるかもしれないが、これはあくまでも孫のような子供たちから招待で、一般社会でいう基準とは少し物差しが違うように思う。
可愛い孫から「ジージ、バーバ」と呼ばれるのは皆さんあまり抵抗がないようで、まだ50歳未満の働き盛りの人でも「ハイハイ」と目を細めている。
どこで“老人”と線引きするのは、その場の状況を十二分に斟酌する必要があり、安易に答えを出さないほうがいいだろう。
「おばあさん、座ってください」と呼びかけ親切心で席を譲ろうとしたのに、“おばあさん”というこの言葉が相手を傷つけ、かつ冷たい視線に善意を踏みにじられた嫌な思いを経験された方も少なくないと思う。