近隣に高年者のための施設「神戸ゆうゆうの里」がある。
私はこの“ゆうゆう”という言葉の響きに憧れを感じる。
ここでは「悠々・自適」という意味だろう。
ゆったりと落ち着いた心の安らぎ、資金が潤沢で経済的なゆとりも。
広い敷地の施設はすっぽりと緑に覆われ、
垣根の外から見ている者としては、“高嶺の花”でありやはり羨ましい。
この「ゆうゆう」という言葉、広辞苑によると「優々」「優遊」「幽々」などがある。
いずれも気になる言葉である。
先日友人に名刺をもらった。
悠悠の一字を入れ替え、「悠憂自適塾」としている。
本人に質したわけではないが、“憂う”という言葉を使った意図は、
悠悠は確かに理想ではあるものの、この世の中ほんとにこれでいいのかな
憂うべき状況ではないのかなという思いもあるからだと思う。
「悠々自適」、一字違いの「悠憂自適」
憂国の“憂”をはめることでかなり意味が違ってくる。
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