みっく・じゃがの「ひとりごと日記」

日々思うこと、考えること、時には写真も

動物への虐待

2021-06-11 10:53:06 | 日記

6月になって初めての更新です。

PCに向かうことが少なくなって、メールチェックをたまにするくらいしか

PCに向かうことがなくなりました。

ほとんどのことを IPhone で済ませます。

ブログもいつ辞めようかと時期を探っています。

ブログ友の記事やフォトを見るのは好きですが、自分から発進する気持ちは少なくなっていきます。

 

もう1週間以上前のことになりますが、テレビで新聞で報道されていましたので、

気が付いた方もおありでしょうが、今日はそのことを書きたいと思います。

 

まず、今朝のニュースから、最近ペットを捨てる人間が多くなっているということを知りました。

コロナ禍で家の時間が増え、「ペットでも飼ってみるか」の人が増えて、飼ってみると「懐かない」

「面倒くさくなった」、などと勝手なことをほざいているらしい。

何を勝手なことを言っているのか!

息も絶え絶えの仔猫やウンチまみれで捨てられている猫を見て、朝から怒りが体中から噴き出す想いです。

動物保護関係者が「動物は20年生きると思って飼ってほしい」と言っています。

洋服や靴でもあるまいし、気に入らなければ捨てていいと思っているのだと思うと、そんな人間を

「ただじゃおかないぞ!」と思います。

 

ずいぶんむかしの話になりますが、転勤で西宮に住んで居たころ、犬の散歩を親子3人でしていた夕方、

小学生だった息子が道端に捨てられている黒い猫を見つけました。

まるで人形のように動かなくて頭の上には子供にやられたのか砂がこんもり載せられていて、

その様子は涙が出る想いでした。

息子が「家に連れて帰る!」と言い出し、私は「家には犬がいるのよ、無理よ。」と言いましたが、

息子は「イヤだ、連れて帰る、このままじゃ死んじゃうよ」と泣くように言うので、

その気持ちを無視することもできずに、連れて帰りました。

生後半年くらいでしょうか、息子の胸に抱かれて帰った黒猫は、狂ったように与えたご飯にかぶりつきました。

それでも足らずにキッチンのゴミ箱に頭から飛び込み、まだ食べ物を欲しがり、またエサを与えると、

今度は植木鉢の受け皿に残っていたわずかな水を飲み始める始末です。

急いで水を与え、汚れている体を拭いてやると、ウロウロと場所を探し寝ようとします。

私たちは急いでトイレを作り、寝床を作り、その日はそれで終わり、

翌日、獣医に見せて健康チェックをしてから、飼うことに決め、ハンサムだったので『玉三郎』と名付けました。

『玉三郎』は、ちまたで嫌われる”黒猫”だから捨てられたのかどうかわかりませんが、とても利口な猫でした。

自分を拾ってくれたのが息子だと知っているのか、息子が大好きで、夜は息子のベッドでこっそり寝るのです。

また、外で遊んでいて、どこにいてもトイレを使いに走って戻ってきて、用をたしたら走ってどこかへ行ってしまいます。

あっちこっちでオシッコやウンチはしないのです。

どこにいるのか、味噌汁の出汁をとっていると、走って戻って来て、出汁を取った後の煮干しを「ちょうだい」します。

自分を救ってくれた家族を愛していて、娘が幼稚園行くときは、正門まで見送りに行き、在園中は遠くから娘を

護るように見つめていると、先生から聞きました。

そのうえ、自分の立場をわきまえているというか、遠慮がちで謙虚な猫でした。

その『玉三郎』は東京にきて1カ月経たないうちに死んでしまいました。

私たちは新幹線に乗りましたが、『玉三郎』は引っ越し業者の運転席に乗せたのがいけなかったのか、

精神的につらかったのかもしれません。

東京でマンションの5階ベランダからビックリした顔をして下を見下ろしていた姿を今でも覚えています。

背中を撫でながら「ここで一緒に暮らそうね」と言ったのですが、環境の違いについて行けなかったのか。

西宮では大地を走り回っていたのですから、さぞかしビックリしたでしょう。

思いもかけない死に、家族で涙が枯れるほど泣きました。

ペットと言っても一緒に暮らしているうちに家族になります。

そんな存在になるペットを何の感情もなく捨てる人がいると思うと許せません。

 

また、もうひとつ書きたいことがあるのです。

先に書いた1週間以上前の話です。

北海道帯広の挽曳(ばんえい)競馬の馬が死んだのです。

『ホクショウマサル』と言う名前で、年寄りですが、何勝もした名馬だそうです。

挽曳競馬というのは俵を何俵ものせて重くした馬そりを高低差のある砂地で引いて速さを競う競馬です。

元々は私の住んで居たところで農閑期に馬市に競技場を作って、農家の人たちが遊んでいたものでした。

やがて、馬券が発給されるようになり(たぶん、そのスジの人たちに目を付けられたと思う)、

単なる農閑期の遊びではなくなったのです。

家の近くに馬市場があり、見に行ったことがありましたが、馬の苦しみがただ事ではなく、

目をそむけたくなる光景でした。

重い馬そりを砂地で引くのですから、口から泡を吹き、太腿には血管が浮き出て、今にも肛門から

腸が出るのじゃないかと思うほどです。

やがて、山の方に競馬場ができましたが、そんなことが流行る土地ではなく、この競技は

帯広に移ったそうです。

そこで盛んになったらしく、帯広では、言うに事欠いて「北海道名物」とまで言うようになりました。

何が『北海道名物』だ!と、私はずっと怒ってきました。

農耕馬は農閑期に休めてやるものを、”酷い労働”に駆り立て、賭け事にしている、、許せません。

誰が見ても動物虐待です。

今は農業で馬使うことはないので、挽曳競馬用に道産子馬を育てているのでしょう。

『北海道名物』どころか『北海道の恥』です。

『ホクショウマサル』は名馬だと言いますが、どれほど苦しい毎日を送っていたのかと思うと、

怒りは尽きません。

誰か、この競技を止めさせてください。

 

今日はウチで愛されている猫のKUUのことも書くつもりでしたが、この気持ちのままで書けません。

写真を1枚。

これは後ろ向きに座っているKUUですが、わきの下から出ているのは前足でしょうか?

それとも後ろ足? 尻尾ではありません。

 

 

コメント (4)
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