みっく・じゃがの「ひとりごと日記」

日々思うこと、考えること、時には写真も

母の日に想う

2015-05-10 14:52:49 | 日記

       

     今日は『母の日』です。

     息子のところからはお嫁さんがプレゼントを、そして結婚したばかりの娘は新婚の夫との連名で、

     この写真の花を贈ってきました。

     私は幸せな母です。

 

     母の日に、私には思い出す悲しい過去があります。

     私の母は私が高校の時、自分の一存で私の結婚を決めました。

     母にとって、私の姉も兄も「将来一緒に暮らしたくない人間」だそうで、

     私と暮らそうと思っていたそうです。

     若くして夫に先立たれ、女手ひとつで私たち子供を育ててくれました。

     その母が、同じく女手一人で男の子を育てた友人と話し合いをして

     私と、その男の子(仮にAくん)を結婚させ、自分たち二人と4人で暮らそうと画策していたのです。

     それを聞かされた時、あきれました。

     そんな自分本位の考え方ってあるの

     Aくんは高校の2年先輩というだけで、口をきいたこともないのです。

     私には自分で選ぶ自分の人生があると思いました。

     「絶対のこの家を出よう」と決めて、東京の大学に進学しました。

     母からは4年経ったら帰るように言われましたが、卒業後はそのまま東京で就職し、

     今の夫と知り合い、結婚を決めました。

     その時、母は「ヒモで縛って貨物にしても連れて帰る」と怒りましたが、

     さっさと勝手に入籍をしてしまい、以後 絶縁しました。

     驚いたのは、姉と兄たちの言動でした。

     「育ててくれた親に対する態度ではない」として、姉兄から絶縁されたのです。

     以後 私は身内と称する人たちと無縁で過ごしてきました。

 

     結婚して初めての母の日に、今ではもうないでしょうが、《母の日の電報》を打ちました。

     カーネーションの絵の紙に「母の日おめでとう。いつもありがとう」という簡単な文面ですが、心を込めて打ちました。

     ですが、その電報は「受け取り拒否」という付箋をつけて戻ってきました。

     私はその時の電報配達員の気の毒そうな眼を忘れたことがありません。

     あまりにも悲しくて涙も出ませんでした。舌が異常に乾いたのを覚えています。

     ところが数年立ってある時、兄と姉たちとうまくいかなくなった母が私を訪ねてきました。

     勝手な人だと思いましたが、母とは交流を続けました。私の母ですから。

     母は死ぬまで「あの時の気持ちは間違っていなかった」と言い続けていました。

     なんという強いひとでしょうか。

     私は自分勝手な人間です。親不孝者です。

     いつも、この想いは胸にあります。

     ですが、自分の生き方は自分で決めたい、という気持ちは今でも変わりません。

     胸の中に「子どもが幸せであったら、親も幸せだろう」という気持ちがあります。

     母にはないでしょうが、私は そういう人間で、親でありたいとも思っています。

     私の子供たちにはそういう私を見せてきたつもりです。

コメント (5)
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