♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

天満川:天満橋

2021年02月12日 09時04分40秒 | 橋梁
西区天満町と中区榎町・小網町を結び天満川に架かる「天満橋」です。
※現在の天満橋は、1951年8月完成と聞きます。
※下流側に歩道橋が架けられており、竣工プレートをみると1959年3月と分かりました。

下流の広電天満橋歩道部分から撮影したので、手前に天満橋歩道橋が写っています。


今回西詰めからしか撮影していなかったのですが、
編集頁をみると東詰めに(壊れてはいましたが)手押しポンプがあったのです。
すっかり忘れていましたので撮影しなかったのです。
(裕編集の)天満橋

2月12日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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天満川:広電天満橋

2021年02月11日 09時08分25秒 | 橋梁
中区小網町・堺町と西区観音町・天満町間の天満川に架かる|広島電鉄天満橋」です。
※広島電鉄(略称:広電)の専用鉄道橋ではありますが、両側に歩道が設置されています。
※1969年11月竣工の2径間のPC桁橋です。
※2013年8月側壁天端保護・側壁、床版の補修工事が行われています。

2003年頁を編集した時、橋の後側に写っているビル(地上20階94.4m)は“平和大通り電気ビル”でしたが
現在は「中電工平和大通りビル」となっており時の流れを思いました。

2020年1月9日撮影


2020年まだコロナが流行を広げる前に、補修板などを撮影していましたので頁を更新しました。
(裕編集の)広電天満橋

2月11日(安芸区のわが家付近)天候:くもり気味


建国記念の日
関連編集頁:「広島の神武天皇伝承関連碑など」編
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南区:皆実六丁目電停でみた3004B

2021年02月10日 09時05分10秒 | 乗り物関連
広電皆実六丁目電停に停車中広島港行き「3004B」
2020年2月3日撮影


中区八丁堀の広電八丁堀電停などでみた広島電鉄「3000形電車」を取り上げました。
広電3000形電車は、もともとは、西日本鉄道(西鉄)の電車として使用されていたもので、
わたしが子どものころ福岡の町を最新型電車として走っていた電車なのです(乗るとわくわくしたものです)。

以前に、中区稲荷大橋を渡ろうとしている広島駅行き「3004A」は撮影していたのです。

2011年12月14日撮影


これで、「3004A」と「3004B」が撮影できました。
(裕編集の)広島電鉄3000形

2月10日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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南区:駅前に残る手押しポンプ(その4、その5、その6)

2021年02月09日 08時49分33秒 | 手押しポンプ
向側建物:Bブロック開発ビル(ビックフロントひろしま)
売買質の立看板の手前に手押しポンプその4 2021年1月15日撮影


南区猿候橋町の電車通りに残されている手押しポンプ(駅前その4,5,6)を取り上げました。
※広島駅前付近広電電車通りには7基の手押しポンプが残っていました。
ここでは3基取り上げました。
*これらの手押しポンプは、戦後になって設置され、
(現在とは違い舗装などされていなかった時代の)道路の砂埃が舞い上がることを防ぐために水撒き用にも使用されていたと聞きます。

Bブロック市街地再開発事業側にあった(今は撤去された)手押しポンプその6です。

2007年1月21日撮影


広島駅前には戦前からいくつかの商店街があり、それらはまとめて「荒神市場」と呼んでいたそうです。
1945(昭和20)年8月6日原爆で市場は廃墟となりました。
1946年正月には自然発生的に店が並んでいたそうです。
こうした戦後の闇市から広島市民の台所として生鮮食品を中心に発展し、昭和30年代には市場ができ、それが現在は開発ビルなどになった広島駅前市場の原型となっていました。
その市場を砂埃から(衛生上からも)防ぐためにもこれらの手押しポンプが設置されたようです。

(裕編集の)駅前電車通手押しポンプ4)5)6)

2月9日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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南区:駅前に残る手押しポンプ(その1、その2、その3)

2021年02月08日 08時54分48秒 | 手押しポンプ
駅前開発Bブロックに開発ビルが建ちすっかり風景が変わりました。
2020年3月2日撮影ですので向側広島駅ビルもいまは建替がが始まっています。


南区猿候橋町、松原町のJR広島駅近く広電電車通りに残されている手押しポンプ(駅前その1,2,3)を取り上げていました。
※この付近電車通りには7基の手押しポンプが残っていました。
*これらの手押しポンプは、戦後になって設置され、道路の砂埃が舞い上がることを防ぐために水撒き用にも使用されていたと聞きます。
*ここでは3基取り上げました。
※広島駅南口Bブロック市街地再開発事業で2013年4月工事が始まり、ここで取り上げた駅前手押しポンプその2、その3は撤去されました。

最初の画像の手押しポンプその1の電車通り対面にあった(いまは撤去された)手押しポンプその2です。

2006年6月6日撮影

どちらもKAWAMOTO・DRAGONで、川本製作所のものです。
川本製作所の資料をみると、
1955年ドラゴンポンプ発売とあるので、戦後ここに設置されたものと推測できます(ので)、幼児に被爆した兄の戦後になって設置された手押しポンプという記憶にも合致します。

(裕編集の)駅前電車通手押しポンプ1)2)3)

2月8日(安芸区のわが家付近)天候:はれ、くもり

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番外:老人のわたしの助け舟

2021年02月07日 10時13分48秒 | カテゴリー以外
車も乗らず、目が悪くなり自転車も乗らないわたしには、
灯油18リットルを買うとすれば、
夏場は、息子が帰ってきたときに何缶か買ってもらうしかないのですが。
冬季になれば、わが家の前を通る灯油屋さんから買えることに感謝しています。

灯油風呂、反射式灯油ストーブ(ここの処の寒い時は灯油ファンヒーターも併用)しているので、だいたい毎週買うのです。
わが家の前を1週間に通る灯油屋さんは曜日違いで3軒ありますが、
わが家は画像の灯油屋さんから買っています。
ここの処は、@1,490円/18lです。
(スタンプ帳があり10回で200円引きがあるのですが)
(冬のはじめは、@1,350円/18lでしたが)

2月7日(安芸区のわが家付近)天候:くもり


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ご存知ですか?
久しぶりにコインの頁のアメリカの大統領が変わったので追記しようかと思ったのです。
バイデン大統領の姓名はどうだったかなと思ったのです。
こんなときは、いまどきはWikipedia
検索して目が点になりました。
ジョー・バイデンは短縮形名だったのです。
(裕編集の)アメリカ合衆国
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番外:冷害に耐えたわが家のシンビジウム

2021年02月06日 09時32分52秒 | いまだ初心園芸
温室に入れたシンビジウムたちでしたが、家の中に入れてやるべきだったと反省したのです。
(先日このブログでもお話ししましたが)
おそらく零下5度にはなったようで、ほとんどのシンビジウム鉢たちの花芽が凍ってしまい枯れていったのです。
ことしは花を見ることができないだろうと思っていました。
しかし、温室の真ん中付近はそこまで温度は下がらなかったのでしょう。
わずかばかり咲いてくれました(上画像)。


ほとんどの花芽が凍り、のち枯れた状態なのです。


(過去のわが家の)シンビジウム

2月6日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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中区:原民喜詩碑(英訳板)

2021年02月05日 09時30分35秒 | 平和記念公園
中区大手町の平和記念公園(大手町地区)に建立されている「原民喜詩碑」です。
*2016年碑の根際床に英訳板(上画像)が設置されました。
英訳をした人物はわかりません。
いまごろになって英訳板(広島西南ロータリークラブが寄贈)に気が付いたのです。









  





























今どきのPC翻訳では詩の訳も巧くなっているのだろうと思ったのです。
参考-グーグルの翻訳-
原民喜のモニュメント
ずっと前に石に刻まれた
変化する砂に迷い
崩壊する世界の真っ只中で
一輪の花のビジョン

参考-エキサイトの翻訳-
原民喜への記念碑
ずっと前に石に刻み付けられる
シフト砂に血走っている
破砕世界の中央で
1つの花のビジョン

 ビジョン、字引で“幻影”もありましたのでカタカナは残念な訳でした。
もとの英訳自体が的確だったのかなどの判断はわたしにはできませんが。

 (南側の床に)「英訳板」


(裕編集の)原民喜詩碑

2月5日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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江の川:新除橋

2021年02月04日 08時51分04秒 | 橋梁
安芸高田市吉田町竹原と吉田町山手を結び江の川に架かる「新除橋しんのぞきはし」です。
※竣工板で、昭和50年3月に竣工した橋ということがわかりました。
3径間連続鈑桁、RC床版橋。橋長138mです。

この新除橋は、最初から歩道部分を設置しています。


息子が設計に携わった仮称江の川橋の撮影に行ったのです。
撮影が終わって帰宅ということになり、わが家へ帰る途中にであう橋があれば撮影したいと云ったので、昨日このブログで紹介した昭和橋を撮影し次にここで取り上げた新除橋を撮影し、帰宅の途につきました。

(裕編集の)(江の川)新除橋

2月4日(安芸区のわが家付近)天候:あめ

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江の川:昭和橋

2021年02月03日 08時48分50秒 | 橋梁
安芸高田市吉田町竹原と吉田町常友を結び江の川に架かる「昭和橋」です。
※昭和橋(現在の車道部)は、6径間のPC桁橋です。

昭和橋の橋脚を利用(鉄骨片持梁を取付)して昭和橋歩道橋(6径間鋼桁橋)が架けられています。

“増設された昭和橋歩道橋”と“いまは車道専用になっている昭和橋”


息子が設計に携わった仮称江の川橋の撮影に行ったのです。
撮影が終わって帰宅ということになり、わが家へ帰る途中にであう橋があれば撮影したいと云ったので、国道54号から少し入った処でしたがこの昭和橋が撮影できるように連れて行ってくれたのです。

(裕編集の)(江の川)昭和橋

2月3日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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中区:(新しい)旧帝国銀行広島支店・原爆関連説明板

2021年02月02日 08時58分21秒 | 被爆建造物等
中区本通の広島アンデルセン前に建立されている「旧:帝国銀行広島支店・原爆関連説明板」です。
※新店舗へ建替えで、2018年7月より解体工事で広島市設置の原爆被災説明板は撤去されました。
*2020年8月広島アンデルセン リニューアルオープン時に新しい原爆関連の説明板が設置されました。
※被爆建物は解体され、その一部(東面外壁一部)がモニュメントとして残され再設置されました(昨日このブログで記事にしました)。

撤去された“帝国銀行広島支店・原爆被災説明板” 
この建物は、1925年に三井銀行広島支店として建てられました。
原爆が投下されたときは、合併により、帝国銀行となっていましたが、猛烈な爆風のため、屋根は抜け落ち、爆心地に近い北西側の壁も崩れ落ちました。
戦後、何度か修復され、ベーカリーとして利用されていました。

2004年4月6日撮影


(裕編集の)(新しい)帝国銀行広島支店・原爆関連説明板

2月2日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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中区:広島アンデルセン(被爆外壁モニュメント)

2021年02月01日 09時24分30秒 | 被爆建造物等
中区本通で建替えられた(新しい)建物「新店舗・広島アンデルセン」です。
※旧建物は、1945(昭和20)年8月6日被爆した“旧帝国銀行広島支店”でした(爆心地から約360mでした)。

※新店舗には、被爆した外壁の一部が再設置されています(下画像)。また、被爆当時の列柱の一部が(2階に)再現されています(最初の画像)。


2020年11月コロナ禍のなかでしたが、日赤での定期検診前にアストラムライン紙屋町終点駅で下車し新しく開店したアンデルセン(店舗)を訪ねました。
被爆外壁の一部を残そうとする(費用面を考えても)アンデルセングループのその意志は広島市民に対して強いメッセージとなっていますが、
被爆した旧建物が完全に解体されていますので“被爆建物”ではなくなっています。

新店舗に設置された被爆外壁の一部は「被爆モニュメント」であり、
説明文にある『被爆建物として・・・』は誤解を与える碑文になっていると(わたしは)思います。

(裕編集の)新店舗・広島アンデルセン

2月1日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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