いまは、画像にある説明板にある芸藩通志の「巖鼻圖」で往時をしのぶしかありませんが、
わたしが故郷広島に帰って来た昭和57年当時はまだ奇観と云われた姿をみることが出来ていたのです。
しかし、銀塩カメラの時代ではありましたが、撮影しておこうと思う心はなかったのです。
後に造成工事が終わり、高層住宅の建設関係で少しばかりこの地を何度か訪れた時にも変り行くこの地を撮影しておこうなどとは思っていなかったのです。
今年近くの“岩鼻架道橋”を編集しようとぶらり散歩しましたので、この「矢賀の岩鼻」も撮影し頁を編集しようと思っていました。
この辺りからは変っているもと岩鼻がわかればと思いながら少しばかりぶらり散歩しましたが、昔の岩鼻の面影どころか高層住宅建設がはじまった当時とはまるで違っている、もと岩鼻地区の変りように驚くばかりでした。
(矢賀の)岩鼻
広島ぶらり散歩「牛田・二葉の里・矢賀附近」編
わたしが故郷広島に帰って来た昭和57年当時はまだ奇観と云われた姿をみることが出来ていたのです。
しかし、銀塩カメラの時代ではありましたが、撮影しておこうと思う心はなかったのです。
後に造成工事が終わり、高層住宅の建設関係で少しばかりこの地を何度か訪れた時にも変り行くこの地を撮影しておこうなどとは思っていなかったのです。
今年近くの“岩鼻架道橋”を編集しようとぶらり散歩しましたので、この「矢賀の岩鼻」も撮影し頁を編集しようと思っていました。
この辺りからは変っているもと岩鼻がわかればと思いながら少しばかりぶらり散歩しましたが、昔の岩鼻の面影どころか高層住宅建設がはじまった当時とはまるで違っている、もと岩鼻地区の変りように驚くばかりでした。
(矢賀の)岩鼻
広島ぶらり散歩「牛田・二葉の里・矢賀附近」編
11月19日(安芸区のわが家付近)天候 :はれ