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番外・石見銀山:石見銀山絵巻

2021年12月28日 09時48分31秒 | 何処へ行っても
島根県大田市大森町の龍源寺間歩の新坑道に展示されている「石見銀山絵巻」です。
※この絵巻を電照板で展示されています。
島根県指定文化財(古文書)「石見銀山絵巻二巻」のうち上巻から坑道内作業の様子を15枚に仕立てたものだそうです。

5) 鋪内しきうちの図 間歩坑内の図

図の右側から柄山(捨て石)を荷負にな(背負う)って歩く人夫(柄山負)の姿や雁木がんぎという丸太梯子を用いたり、「打替」といって左右の横木を渡して踏台として歩いている姿が描かれている。
つまり鉱石の運搬や坑内の支木ささえぎの替え木や留木を持ち運んでいる図である。

頁を編集しながら直轄の石見銀山のことがよくわかる絵だなと思うとともに、
落盤を恐れながらの採掘だったろうと思いましたが、湧水の処理にたいへん苦労していたことがわかりました。
排水に利用したという永久抗(名前から永久とはどういう事だろうと思ったところからも)とこの龍源寺間歩の関係性がよく理解できないままでしたが、頁を編集しながら標高差がある事からだったのかとあまりの単純なことがわからなかった硬直した頭になってきているなとつくづく思ったのです。

(裕編集の)石見銀山絵巻

12月28日(安芸区のわが家付近)天候:曇り


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2 コメント

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Unknown (ガーベラ)
2021-12-28 19:59:42
こんばんは 裕さん。

間歩の中での仕事は想像以上に過酷だったのでしょう一日中闇夜の中で奮迅と闘い機械の無い時代ですから
人間が駒となり使い捨て状態だったのでしょうか
30歳までに亡くなっているとは想像を絶します。
平面に描かれた絵ですが立体的に表わそうとしているのでしょうね。
近代トンネルの先駆けを垣間見ているようです。
落石しないように補強しながら掘り進む姿は。
佐渡の金山でもそうでしたね。

良い物を見せて頂きました有難うございます。
人権が軽んじられた・・・ (裕)
2021-12-28 21:37:15
こんばんは、ガーベラさん。

頁を編集しながらにわかに学んだ石見銀山でした(ので)。
云われるようにここでは短命だったようですね。
銀の製錬に関わる人たちは、灰吹法がもちいられていたので鉛中毒だったようですね。
鉱夫は、粉塵の中での作業だったからのようですね。
この後見学した(代官跡の)資料館では日本最初のマスク(福面)の複製を館員の方に見て行ってくれと教わりました。
人権という言葉がなかった時代でしょうが何とかしなくてはと思ってはいたのでしょうね。

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