安芸区上瀬野の県道174号(瀬野・呉線)根際に建立されている「熊野跡分岐道標」です。
ここの道標は、幕府巡見使が派遣された寛永10年設置とされています。
現在の道標は大正13年建立のものです。
道標に刻まれた“熊野跡(くまのあと)村”とは
明治初年までは広島藩熊野跡村でした。
明治22年4月1日町村制施行時、賀茂郡熊野跡村発足。
昭和49年11月1日広島市に編入され消滅し、広島市阿戸町になりました。
(裕編集の)(上瀬野)熊野跡分岐道標
ここの道標は、幕府巡見使が派遣された寛永10年設置とされています。
現在の道標は大正13年建立のものです。
道標に刻まれた“熊野跡(くまのあと)村”とは
明治初年までは広島藩熊野跡村でした。
明治22年4月1日町村制施行時、賀茂郡熊野跡村発足。
昭和49年11月1日広島市に編入され消滅し、広島市阿戸町になりました。
(裕編集の)(上瀬野)熊野跡分岐道標
2月20日(安芸区のわが家付近)天候:晴れてきました
くっきりと刻まれている文字が確認できますね。
貴重な道しるべです。
さて、広島菜漬。見ましたよ。
こちらでしたら野沢菜漬ですかね。
似た感じです。
地方にはこのような地名の付いた野菜がいくつも
ありますよね。それだけで楽しくなりますねぇ。
紹介意地で上の画像が現状です。
読めないなと思ったので、
下の画像は10年ほど前に撮影した画像を付けました。
10年ほど前に、(改めて)墨入れされたばかりだったようです。
わが家の下に下って行ったスーパーではことしまだ売っていませんでした。
野沢菜付けは打っていましたが。