広島市中区大手町の平和記念公園原爆ドーム東北側に建立されている「猿楽町通り周辺・原爆被災説明板」です。
説明文
『この地域一帯は、藩政時代からの城下町として、能楽(猿楽)師、細工師、医師をはじめ大小の商家が軒を並べてにぎわっていました。
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、人類史上初めての原子爆弾が細工町の島病院の上空約580メートル*でさく裂し、爆心直下のこの一帯は、人も街並みも全滅しました。
焼け跡には、広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)だけが象徴的な姿をさらしていました。・・・』
*2000年撮影時は、≒580mでしたが
今(2024年)回撮影時には、≒600mと改正されています。
この原爆被災説明板の後側の建物は、
2016年9月“広島おりづるタワー”としてオープンし、1Fは物産店でしたが、
今(2024)年2月23日お好み焼き・みっちゃん総本店が開店し、撮影が昼時だったからか入店待ちの列が出来ていました。
(裕編集の)猿楽町通り周辺・原爆被災説明板
説明文
『この地域一帯は、藩政時代からの城下町として、能楽(猿楽)師、細工師、医師をはじめ大小の商家が軒を並べてにぎわっていました。
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、人類史上初めての原子爆弾が細工町の島病院の上空約580メートル*でさく裂し、爆心直下のこの一帯は、人も街並みも全滅しました。
焼け跡には、広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)だけが象徴的な姿をさらしていました。・・・』
*2000年撮影時は、≒580mでしたが
今(2024年)回撮影時には、≒600mと改正されています。
この原爆被災説明板の後側の建物は、
2016年9月“広島おりづるタワー”としてオープンし、1Fは物産店でしたが、
今(2024)年2月23日お好み焼き・みっちゃん総本店が開店し、撮影が昼時だったからか入店待ちの列が出来ていました。
(裕編集の)猿楽町通り周辺・原爆被災説明板
8月5日(安芸区のわが家付近)天候:はれ。
28.6℃、86%
平和記念公園内に建立されている原爆被災説明板を熱心に見ている(読んでいる)のは外国人が圧倒的に多いと思います。
日本人はそれはわかっていると思っているからかもしれません?が
あなた知ってる?と聞いたことはありませんが。
刈田郡遠刈田温泉に住んでいたので、
(上の)息子が、白河市の幼稚園のバスで通っていたのです。
何という幼稚園だったか妻に聞いたこともなかったダメ親でした。
遠刈田温泉からはもう一人、こけしの名工・佐藤丑蔵さんの孫だと云うことは聞いていましたが。
しまいましたね。
管理する方としては便利になたのでしょうが其れが全てでは無い気がします。
以前住んでいた白河市にも馬町大工町鍛治屋町など城下町を彷彿させる町名がありました。
海外からの観光客で広島を訪れたいと思う人はそれなりに
原爆の知識を持っている人が多いのでは無いでしょうか。
原爆被災説明板を読んで居る人を見掛けたら嬉しいですね。
鉄炮町、材木町があれば木挽町なんて町名もありましたが、町名変更でなくなりましたね。
熱帯夜から。きょうも朝から暑い日になっています。
あの日は月曜日で、暑い日だったそうですから。
原爆関係の資料としての説明なのですが、
むしろ地名に気をつられていました。や
はり廣島は城下町だなぁと感じました。
良い地形ですねぇ。猿楽町。
さて、未明の一雨あったようで、今朝の
こちらは曇っていて、少し暑さ実も和ら
いだ感じのスタートです。