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中区:藝備銀行本店・被爆柱頭

2022年03月29日 09時41分18秒 | 被爆建造物等
中区紙屋町の広島銀行本店ビル1階北側に、展示された「藝備銀行本店・被爆柱頭」です。
※爆心地から260mで被爆しました。

設置の説明板によると
『1927年6月27日、現在の広島銀行本店と同じ位置に、当時としては珍しいギリシャ風のイオニア式建築として、藝備銀行(広島銀行の前身)本店が完成しました。
1945年8月6日原爆が投下された際も建物は辛うじて焼け残り、その後大規模改修を経て・・・・』

説明板を撮影しました。


いままでここで取り上げた柱頭の飾りは展示されていたという記憶はないので、広島銀行において保管されていたのでしょう。
一般の市民が自由に見ることができるスペースに展示されたことは爆心地から至近距離で被爆したこの柱頭から原爆の惨禍に思いをはせ、平和を考える一助になるとわたしは思うのです。

(裕編集の)藝備銀行本店・被爆柱頭

3月29日(安芸区のわが家付近)天候:くもり


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4 コメント

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Unknown (ガーベラ)
2022-03-29 12:52:17
こんにちは 裕さん。

確かに渦巻きが異国の建築を思わせます。
印が無ければ何処に用いたのか分からなかったです
相当大きな物のようですね。
保存することによって次世代に平和の大切さを教える教材になりますものね。
爆心から≒654m (裕)
2022-03-29 15:16:39
こんにちは、ガーベラさん。

建物が竣工した(昭和2年)当時は大勢の見物客が訪れたとものの本にあります。

爆心地から260mといっても爆心が高度≒600mと云われていますので、√で解くと≒654mとなりますので爆心地とさほど変わらなかった処だったのです。
鉄筋コンクリート造の建物で、それも大正12年関東大震災の教訓から耐震性に優れた設計をしていたそうです。

建物の外身は残っても8月6日の被爆からの火災は10日頃まで続き鎮火後、収容した遺体は男女の判別もつかないような白骨化していたそうです。

展示物はほんのわずかな部分ですがいろいろと思考をしていき、被爆の惨禍を考えることができるのではと思うのです。
感銘しきり (holidaymatagi)
2022-03-29 18:53:29
 驚きです。
 爆心地の遺構(物?)がこのようにしっかりした状態で残ったこと自体はもちろんですけれど、それを数十年も保管し続けたこと。そして、それを遺産として展示している民間銀行があるというだけで、思いの深さに驚かずにはいられません。
 あらためて、敬服、そして、合掌。
 ついでに、ごめんなさい。カープ愛の深さにも敬服いたします。
Unknown (裕)
2022-03-29 19:46:46
こんばんは、holidaymatagiさん。

被爆地の銀行としての強い自覚があってこその展示だったのだろうと思います。

爆心地にもっと近い(爆心地より≒160mの)原爆ドームは保存工事を重ねているので、全国ニュースなどをみられたことがあるのではと思いますが。
http://masuda901.web.fc2.com/page2ay3.html
それよりももっと近い(爆心地より≒70mの)西向寺の墓地には被爆した墓石がいまも供養されています。
真上からの被爆なので、倒壊せず花崗岩のクラックや剥離などが見られます。
http://masuda901.web.fc2.com/page9zz103b.html
これが人間だったら蒸発していたのではと思うのですそれが核兵器の威力で、かの国のプーチンさんに知ってもらいたいものです。

広島生まれ、広島で育っていてもカープファンでない人を疎かにするのはプロ野球ファンではではないですよね。
わたしの従兄弟は讀賣ファンですよ。

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