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東区:介菴梅園翁之碑

2022年03月30日 10時03分54秒 | 各種記念碑等
東区山根町の聖光寺境内に建立されている「梅園介庵翁之碑」です。

梅園介庵(うめぞのかいあん:1815-1888)
広島藩の学者、明治前期の教育者。名は昭卿。字は造甫。通称:順治郎、のち順造、晩年は梅叟と称した。
16歳で広島藩学問所の句読師。1862年藩儒・文二郎没後梅園家を継ぐ。
朱子学、経学に秀で藩儒となるが、国学、天文測量術、武芸、軍学も秀でていた。


“原道卿君之碑” 「梅園介庵翁之碑」


2009年この介菴梅園翁之碑を撮影し頁を編集していました。
今回、高間壮士之碑を撮影に来ましたので、この「梅園介庵翁之碑」との位置関係もわかるようにと撮影しましたので、頁を更新しました。

(裕編集の)梅園介庵翁之碑

3月30日(安芸区のわが家付近)天候:くもり


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2 コメント

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Unknown (ガーベラ)
2022-03-30 15:00:56
こんにちは 裕さん。

江戸末期から明治にかけて激動の時代を生きていたのでしょうね。
若くして志高く勉学に励んでいた姿は18歳成人の法改正された今の若者からすると想像がつきません
考え方はずっと大人であったと思われます。
廃藩置県が程なくして行われた時代ですから
時代にも翻弄されたのではと思いました。
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調べやすくなってきて・・・ ()
2022-03-30 15:58:56
こんにちは、ガーベラさん。

この頃の人物(儒学者など)を顕彰する石碑が被爆した広島にでもそこそこ残っています。
以前は図書館に行って県史などをみてもわからない人物があったのですが、
ここの処国会図書館が関連書籍をデジタル公開していてわかってくる人物もあるのです。

この梅園さんは、資料では『・・而して學は洛閩を尊信し・・・』とありますので、廃藩置県以後の旧藩士の道徳の退廃を憂い(朱子学をもとに)教育に専念した人物のようです。
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