広島市中区中島町の平和記念公園(平和記念資料館東館北側緑地帯)に建立されている「材木町跡」碑です。
※2008年8月根際に“材木町・説明板”が設置されています。
広島原爆戦災誌によると
『中島本町1,330戸4,370人(数字的には材木町もこの中に含まれます)。
材木町は建物疎開がなかった。
家屋被害全壊約100%、人的被害約100%(と記述があります)。
また浄円寺境内跡に町内に散乱していた人骨を集め防火用貯水槽を埋め、
その上に誓願寺の池の玉垣を積み重ね墓標を建てた(そうです)。
後年、平和記念公園の供養塔に納骨した。』
2001年10月25日にはじめて(わたしは)撮影しました。
この材木町跡碑が、
ポツンとひとつ囲いもなく建立されている事がより悲しさを誘い、垂れた頭で目頭が熱くなりました。
(裕編集の)材木町跡碑
※2008年8月根際に“材木町・説明板”が設置されています。
広島原爆戦災誌によると
『中島本町1,330戸4,370人(数字的には材木町もこの中に含まれます)。
材木町は建物疎開がなかった。
家屋被害全壊約100%、人的被害約100%(と記述があります)。
また浄円寺境内跡に町内に散乱していた人骨を集め防火用貯水槽を埋め、
その上に誓願寺の池の玉垣を積み重ね墓標を建てた(そうです)。
後年、平和記念公園の供養塔に納骨した。』
2001年10月25日にはじめて(わたしは)撮影しました。
この材木町跡碑が、
ポツンとひとつ囲いもなく建立されている事がより悲しさを誘い、垂れた頭で目頭が熱くなりました。
(裕編集の)材木町跡碑
9月16日(安芸区のわが家付近)天候:はれ。
28.0℃、85%
想像に難くありません。
この碑の意味するもの
亡くなられた人の無念さが聞こえてきそうです。
斜めになっている碑
文字から察するに本来は真っ直ぐに建ててあげるべきかと思いましたが...
原爆死没者慰霊碑を見るように建立されたのだろうと(わたしは)考えています。
そして、この碑はその先の原爆供養塔(は見えなくても)名前さえわからぬまま納骨されている旧町民に思いを馳せているのではと思うと、目頭があつくなります。
斜めに傾き、何を考えているのか、
(わたしたちに)問い掛けている?
>家屋被害全壊約100%、人的被害約100%
ただ驚くだけです。
爆心地から≒500mでは誰一人生き残ることができなかった(ということなのでしょう)。