南区稲荷町に建てられている「鴒原山離障院真倉坊・廣寂寺」です。
※浄土宗本願寺派のお寺で、戦後再興された本堂です。
※爆心地から≒1,490mで被爆した墓石が残っています。
江戸時代、”三業惑乱”という浄土真宗の大論争があり、
大瀛(だいえい)がその時に「横超直道金剛碑(おうちょう じきどう こんごうへい)という本を書きました。
その書物がここ広寂寺で印刷され全国に配られたそうです。印刷に使われた版木は大切に保管されているそうです。
(裕編集の)鴒原山離障院真倉坊・廣寂寺
※浄土宗本願寺派のお寺で、戦後再興された本堂です。
※爆心地から≒1,490mで被爆した墓石が残っています。
江戸時代、”三業惑乱”という浄土真宗の大論争があり、
大瀛(だいえい)がその時に「横超直道金剛碑(おうちょう じきどう こんごうへい)という本を書きました。
その書物がここ広寂寺で印刷され全国に配られたそうです。印刷に使われた版木は大切に保管されているそうです。
(裕編集の)鴒原山離障院真倉坊・廣寂寺
12月18日(安芸区のわが家付近)天候:くもり