昨日はわが家から岡山へ岡山から赤穂線で播州赤穂駅へ行きました。
赤穂義士に関わる大石神社、花岳寺などをたずねました。
画像は初詣も兼ねた大石神社で参拝後もとめた絵馬です。
広島と赤穂義士とのかかわりは、
広島が浅野本家で赤穂・浅野、三次・浅野は分家の関係にあることから広島にも少なからぬ縁があるのです。
また、総師・大石良雄の三男・大三郎こと大石良恭が、その母・りく(併せて大三郎の姉も)とともに広島藩に招かれたのが1713年12歳のときで、広島藩に仕え広島在住58年、その死は1770年69歳のときということもあるのです。
(裕編集の)「赤穂義士関連」編
*2005年東区の明星院で被爆した赤穂義士木像で広島と赤穂義士のかかわりに興味を持ち少しづつ頁を編集していました。
2013年、東京に行った時には泉岳寺での赤穂義士関連頁を番外として編集しました。
しかし、おおもとの播州赤穂には行ったことがありませんでしたので、2018年のいまになりましたが訪ねたのです。
関連頁編集はこれからですと負荷をかけていないと頁編集がいつになるのかわかりませんので、行ったと紹介しました。
赤穂義士に関わる大石神社、花岳寺などをたずねました。
画像は初詣も兼ねた大石神社で参拝後もとめた絵馬です。
広島と赤穂義士とのかかわりは、
広島が浅野本家で赤穂・浅野、三次・浅野は分家の関係にあることから広島にも少なからぬ縁があるのです。
また、総師・大石良雄の三男・大三郎こと大石良恭が、その母・りく(併せて大三郎の姉も)とともに広島藩に招かれたのが1713年12歳のときで、広島藩に仕え広島在住58年、その死は1770年69歳のときということもあるのです。
(裕編集の)「赤穂義士関連」編
*2005年東区の明星院で被爆した赤穂義士木像で広島と赤穂義士のかかわりに興味を持ち少しづつ頁を編集していました。
2013年、東京に行った時には泉岳寺での赤穂義士関連頁を番外として編集しました。
しかし、おおもとの播州赤穂には行ったことがありませんでしたので、2018年のいまになりましたが訪ねたのです。
関連頁編集はこれからですと負荷をかけていないと頁編集がいつになるのかわかりませんので、行ったと紹介しました。