<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

「徹底する」ということ

2024-09-19 14:23:07 | 「遊来遊去の雑記帳」
<2005年6月12日、及び7月20日に投稿>
 散歩のとき、いつもコロを放してやる場所があります。そこは川の土手で、反対側は田んぼ、先の方は電車の線路で道が切れていて行き止まりになっています。それで土手の入り口で放してやるとコロはすごい勢いで駆け出して、途中、何箇所か匂いをチェックしながら一番奥の電車の線路のところまで行き、あとは引き返してくるだけなのですが、それが一日のうちで鎖を外してやれる唯一の機会なのです。私はコロの後からぶらぶらついて行くのですが、私にとってもそのときが自由に散歩のできる機会になるわけです。この川沿いの、たったの100mが生き物と出会う私の朝のフィールドです。ここでは日替わりでいろんな生き物を見ることができます。私は川にいる生き物たちを驚かせないように気をつけながら体を隠して静かに歩くのですが、コロはそんなことにはお構いなし、まさに疾走するのですが、不思議なことに、水鳥もコロが走るぶんには平気です。彼らも犬は川の中までやってこないことを知っているのでしょう。
 土手の横に樹木のたくさん植えてある1画があって、そこには鳩やカラスがよくいます。そのカラスが、1ヶ月くらい前から、コロが走ると後を追いかけるようになりました。2羽でガアガア鳴きながら低空を飛んで追うのですが、コロが止まると2mくらい離れたところにカラスも降りてそこでガアガア鳴き続けるのです。コロを威嚇しているように見えるのですが、コロは全く意に介す様子もなく完全無視。まるでカラスがそこに存在しないかのようで、見事です。そのためか、カラスの攻撃もだんだんエスカレートしてきて戦闘機のように急降下しては急上昇し、そこでひらりと身を翻してはまた攻撃するということを繰り返しています。本当にくちばしで突き刺すのではないかと思うくらいです。
 昨日のことですが、コロが私の方へ走ってくるのを追いかけて、二羽のカラスが凄い勢いで迫ってきました。コロが私の手前でぴたりと止まるとカラスはさっと上昇し、すぐ横の橋の欄干に止まりました。私がコロを鎖につないで立ち上がり、ひょいと振り返るとちょうどカラスと目が合いました。その瞬間、カラスが私に向かってガアーーーッと一声鳴いたのです。そのとき、私は自分の目を疑いました。口を開いたカラスの喉の奥まで見えたのです。その距離、約2m。真っ黒でした。いくらカラスの体が黒くても口の中や喉くらいはピンク色をしているだろうと思っていました。もしかしたら陰になっていたために黒く見えたのかも知れません。ここは何とかしてそれを確かめたいところです。もう一度カラスに口を開けさせるにはどうしたらいいか。しかしゆっくり考えている暇はありません。飛んで行ってしまったらお終いです。とっさの判断で私もカラスに向かって「カアーーー」と言ってみました。そうしたらカラスも、何だ、なんか文句あるかというような顔でガアーーーーと答えました。やっぱり喉の奥は真っ黒でした。念のためもう一度、じっくり観察するために少し長めに「カアーーーーーーーー」とやってみたところ、カラスは期待した通りガアーーーーーーーーーーーーーーと返してくれました。間違いありません。カラスの黒はここまで徹底していたのです。見事というしかありません。
 そのあとコロと散歩を続けながら考えました。カラスの黒は喉の奥までだが、あんなふうにカラスを操る自分の腹の中は真っ黒というべきか。これを知ったらカラスは一体何と言うでしょう。 ガアーーー!!
2005.6.12

カラス、再び。
 つい先日のことですが、車で山道を走っていたら、急カーブのガードレールにカラスが一羽止まっていました。ちょうどその前を走り過ぎようとしたときでした。そのカラスが、いきなり私に向かってカアーーーと鳴いたのです。はっとして私がそちらを向くと、カラスはまだ熱演中で、尾羽をぴーんと高く上げたまま、しゃがむように体を低く落とした姿勢で、口だけは大きく開けたまま私に向かって突き出し、最後の声を出し切ろうとしていたのでした。
 思わず、私も「あっ!」と声をあげてしまいました。カラスの喉の奥まで見えてしまったからでした。意外にも、それはピンクで、いかにも喉の中という色でした。この前のカラスは、確かに「喉の奥まで真っ黒」だったのです。その印象が全身黒ずくめのカラスのイメージとあまりにもマッチしていたので、つい、私はそれを一般的な事実だと思い、「カラスは喉の奥まで真っ黒」だと受け取ってしまったのです。「あのカラス」は「喉の奥まで真っ黒」だったというべきでした。実際はもっと色々あるのかもしれませんが、何しろ喉の奥を覗けたカラスは2羽しかいないのですから、これでは結論は出せません。

 前に、あるイギリス人の話を聞いたことがあります。
 ニホンニキテ トテモ コマルコト アリマス.紅茶 飲ムトキ ワタシハ 左手デ カップ 持チマス.スルト、ニホン人ハ「イギリス人は左手でカップを持つ」ト イイマス.
 食後、ワタシガ 昼寝ヲ スルト、「イギリス人は食後昼寝をする」とイイマス。
イギリスニハ 右手デ カップ、持ツ人モ、食後 昼寝シナイ人モ タクサンイマス。コレ 全部 ワタシノ習慣、イギリス人ノ習慣デハアリマセン…….

 さすがに、世界の狭くなった今ではこんなことはないでしょう。しかし、これと似たことはどこにでもあるものだと思います。好意的に解釈すれば、出会う機会の少ないものに対して、限られた機会からできるだけ多くの一般的な事実を引き出そうとするために犯す過ちともいえるわけで、機会が少ないだけに訂正もそれだけ難しいということになるでしょう。また、こういう誤解は、平和時には異文化理解のクッションにもなるし、日常生活ではささやかな娯楽の種にもなっています。とはいえ、これも利害関係がからんでくると笑い事ではなくなってしまうので、できれば事態が深刻にならないうちに早めに手を打つことを心がけたいものだと思います。とにかく、心を相手に開きたいと思っているか、その気がないかで、同じ事柄に対する評価が正反対になることもあるわけですから、理屈じゃないというところもあって、人間というのは実にやっかいな生き物です。
 カラスの喉の中が何色であろうと、おそらく、私はカラスを好きにはならないだろうと思います。もっとカラスのことをよく知ればきっと変わると思うのですが、それなのに「七つの子(本居長世作曲)」を弾いているときだけはカラスが可愛くて仕方がないという気持ちになるのです。聴いているときはそれほどではありませんが、弾いているときには、心の中はいとおしさでいっぱいになります。音楽には凄い力があるものだと思います。もし、小さな生き物たちの歌を作ればそれらの生き物に対する人の眼差しも変わるかも知れません。しかしながら、これにもやはり限界があるようです、イモリやミミズくらいならいいのですが、クモやムカデになると仲よくなりたいとは思いませんし、蚊となるともう無理な話です。特に「血を吸い過ぎて飛べなくなった蚊の歌」なんか作ったら要らざる憎しみを掻き立てるだけのことにもなりかねません。利害関係を踏まえた上でいくつか試してみるのが妥当かなと思います。
2005年7月20日


★コメント
 どちらの出来事もはっきり覚えています。コロは2009年に死ぬので、このときは12歳くらいか、まだまだ元気でした。私も一緒に走って散歩をしていたのでかなり丈夫だったことを思い出します。
 しばらく「七つの子」を弾いていません。三宅榛名編曲のものが好きなのですが、覚えてもすぐに忘れてします。また弾いてみたくなりました。
2024年9月19日

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