遥かなる我が家(その3終わり)
そのグミの木辺りから、家の後ろの畑が広がり、自家用の野菜が色々と作られていた。
前の畑の渋柿と対角をなす辺りの畑の隅には「にお」と呼ぶ、薪の山が積まれ、雨除けに藁がかぶされていた。
茅葺の家の話でも書いたけれど、玄関が有った前中門と対をなすように反対側、
玄関から裏にあたる部分には、比較的新しく付け加えられた、木端葺きの後ろ中門があり、
下は両親と私たち子供の寝室兼居間。
狭い階段で上がる二階は物置として使われ不要な、農作業用具や家具などを置いていたようだ。
この、千鳥破風の前のめりになった前中門を持つ、家で小学校の2年生まで過ごし、3年生の途中で、
今の北堀之内駅の駅前に新築された家に移り住むことになったのだ。
長い人生のうちのわずか10年ほどの短い時間しか過ごさなかった家だったけれども、
自分が生まれた家と言う事もあり、何時までも懐かしく、その記憶が消えることは無い。
そして貧しいながらも家族で一生懸命に生き、そして母と不仲の祖母との間で泣かされて育ったことも。
(終わり)
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