畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

連載322「地域スポーツに参加」(その1)

2024-08-26 04:51:53 | バドミントン
 懐かしい第一回社会人リーグのパンフレット。42年も前のことになりました。

 積み上げた、パンフレット。プログラムの数々です。

   地域スポーツ活動に参加(その1)

 堀之内町小学校の体育館一般開放を利用した、スポーツ教室のバドミントンにも熱心に通い出した。そんな活動が目に留まったのか、当時の役場の教育委員会からの依頼で体育指導員となり、最後はなんと運動音痴で鳴らした私が、体育指導委員長まで務めることになったのは、夢のような話です。

 少しはゲームが恥ずかしくも無い、形になりつつある頃、県の中心地区でバドミントンの「社会人リーグ」を発足させると言う記事が地方紙に載った。職場で十人ほどの仲間を募り、参加の申込みをした。(そのリーグ戦も今年で30回を超える年月を迎え15部120チームの参加となっている。)

 わがチーム「国鉄フォルテ」も第一回は、6部中の5部にランキングされた。試合の緊張もまた楽しいものと知ることになったのもこの頃です。

           (続く)
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連載321「バドミントンにのめり込む」(その2終わり)

2024-08-21 04:58:29 | バドミントン
 ほぼ、社会人バドミントンリーグ引退したころですが、名前は登録されています。
チームとして、最も力が充実していた時代。15部まであってその4部に位置していました。


 町の大会、会社での大会では、入賞しました。時には優勝したことも。

        バドミントンにのめり込む(その2終わり)

 その頃は寝ても醒めても気持ちはバドミントン。家の中でラケットを振って家族の顰蹙をかったり、通勤電車の中でも座らずに立って爪先立ちで筋力の増強に努めた。あの時代には苦しかった冬の除雪さえ、バドミントンのための筋力トレーニングだと思うと全く辛くは無くなっていました。

 こうして、熱中しているうちに、人間ドッグで指摘された血糖値の高さ「糖尿病症候群」糖尿病予備軍の症状もいつの間にか消え去っていました。

 50歳を過ぎるとさすがに責任のある仕事との両立は難しく、次第に練習も疎かになり、「自分はバドミントンを止めたらどうなるのだろう」と、さえ思っていたバドミントンとも次第に遠ざかるようになり、自然消滅してしまいました。

 でも、還暦を過ぎてからも社会人リーグに請われて出場し、若いペアを打ち負かしたことは、人こそ知らずでも未だに密かな自分の自信、自負と自慢なっている。

              (終わり)
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連載321「バドミントンにのめり込む」(その1)

2024-08-19 04:40:13 | バドミントン
 社会人リーグに臨む我がチーム

 第一回バドミントン社会人リーグのプログラム

  
 回数を重ねたバドミントン社会人リーグ。そのプログラムです

    バドミントンにのめり込む(その1)

 体力がものをいう陸上競技とか、運動能力全体が高いものが主体の野球などとは、バドミントンは異なる能力が必要だとも思わされた。バドミントンは全身のバランスのとれた能力と、そしてもっとも大切なのは反射神経ではないでしょうか。

 運動神経と、反射神経は別物。と、言うのも感じさせてくれたのもバドミントンでした。30歳を過ぎて、遅ればせながら堀之内町のスポーツ教室にも参加するようになります。
 若い人たちがほとんどで、二歳上の先輩が一人いたくらい。スポーツ教室のバドミントン指導員には還暦を越えたと思われる、年配の男性もいた。その指導員には子供のようにあしらわれ、ネット際から後方へと走りまわされ、足裏に痛みを感じるほど。帰宅して、靴下を脱ぐとなんと足の親指の裏に大きなまめ、水泡さえできていたのです。

 その後、その競技の面白さにのめり込む一方。同じ職場のもう一人の私よりも少し年上の先輩も私と同じようにバドミントンの面白さに目覚めた一人。二人で誘い合い、夜の体育館の一般開放などを調べては、練習に通いつめたのだった。

             (続く)
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連載320「バドミントンは本格的に」(その2)

2024-08-13 04:56:56 | バドミントン
  初心者教室で教える側に。先ずは怪我防止に入念なストレッチです。


 男性としては小さな足のスベルベ。バドミントン専用シューズも何足も履きつぶした。

   バドミントンは本格的に(その2終わり)

  この職場が新幹線の高架下の建物で、高架下と大きな車庫の間が、またバドミントンなどに適した場所でもあった。高架下にはいくつかの部署の違う職場があり、職場ごとに対抗心を燃やすこともありました。

 当時の職場では地区と言う管理区分があり、そのうちの一つ地区でもバドミントン大会が開かれていた。職場レクのリーダーになる面倒見の良い先輩がいて、その地区大会への出場を進められた。

 気後れする気持ちもあったが、大会に昼休みに使っていた玩具のようなラケットを持って参加し、しかも負けるばかりでもなく、本格的なラケットを持つ相手から、勝利を挙げることさえできたのです。

 その喜びから、より本格的にバドミントンに熱中することになります。間もなく、フレームがアルミ製でシャフトがカーボンファイバーの画期的なラケットが出現します。あこがれて手に入れたそのラケットは「カーボネックス8(エイト)」でした。

 次いでフレーム、シャフト共にカーボンファイバーでしかもフレームとシャフトに継ぎ目が無くなり、軽量化競争も始まります。テレビではラケットと鶏卵を天秤秤(てんびんばかり)の両側に載せて重さを比べる場面もありました。
               (終わり)
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連載320「バドミントンは本格的に」(その1)

2024-08-11 05:00:18 | バドミントン
 バドミントンラケットは軽量化に反比例して高価に。

 懐かしい、新聞記事。第一回のバドミントン社会人リーグ発足記事です。

    バドミントンは本格的に(その1)

 群馬県の水上町に転勤すると、うらやましい光景に出会います。なんと、独身寮での夕食を終えると、バドミントンに出かける二人がいたのでした。(後年、そのうちの一人と、新潟支社の大会の決勝戦で優勝を争うことになった。)

 彼らは木製のラケット枠に同じく木製のラケットのねじれを防ぐための四角の枠をはめたラケットを持って出かけ、羨望の目で見ていたものでした。ラケットもそのころから、大きな進歩が始まります。木製ではあっても、シャフト、柄の部分に金属が使われたりしていました。そのころだったと思うが、相沢マチ子・竹中悦子のダブルスが全英オープンで優勝し、話題になっていた。 

 何時かは自分もバドミントンを本格的にやってみたい、そんな気持ちが日々に高まるけれど、職場も違い申し出るチャンスも無く日々は過ぎ去っていきました。
しかし、その水上も5年間の勤務を終え、長岡に転勤することによってバドミントンがより身近なスポーツとしてやってきたのです。
       (続く)
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