鹿児島中央駅に「若き薩摩の群像」がある事はよく知られている。
以前から話題にのぼっては、その後進展がなかった問題が、ここへ来てまたスポットを浴びそうな兆しがある。
高見弥一と長崎出身の通詞・堀孝之の二人を新たに加えようという動きがあるらしい。
不勉強なため、門田明氏の『若き薩摩の群像』を読み返すことにした。
※ 以前の春苑堂出版のものも手元にあるけど、今回は息子さんが出された高城書房の復刻版(写真なし)
☆☆
ところで、薩摩藩英国留学生に加えられた、曽祖父・轟の兄、名越時成の渡英時の年齢については以前も書きました。
『名越時成の「留学派遣」時の年齢』(2017.4.24投稿)
21歳ではなく、数えの19歳、満年齢なら17歳です。
時成さんは、弘化4(1847)年 9月24日生まれなのですから。
時成の直接の家系ではないにしても、鹿児島中央駅前の「若き薩摩の群像」が話題になれば、名越時成のこともまた取り上げられることもあるかもしれないと思うと、またこの「年齢問題」が気にかかるのです。
☆☆
そういえば、昨年購入した『敬天愛人』第37号 p.205に、曽祖父・轟の名前を見つけました。
「西南戦争」で亡くなった人の名簿は目にしますが、「西南戦争国事犯・懲役人名簿」に「名越轟」で載っていました。
轟の命日に。
名越 轟:嘉永三(1850) 年生まれ ー 大正11(1922) 年2月6日沒 於・台湾阿喉廳港西中里阿喉街)
◯ 訂正:轟が亡くなった場所を「於・台南州佳里」としていましたが、
台南州佳里で亡くなったのは祖母の実父「寺山用之」でしたので上記の通り訂正(2020.2.7)
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