心で病気を治せるかどうかということですが、
大聖師御講義『続々甘露の法雨』(日本教文社)という本には、
その体験が無数に載っているのですが、
治った人のほとんどは
心で病気を治しているのです。
それには、
あばれ馬(或いは牛)のように暴れまわる現象の心を、
いかに統御して実相の心にもっていくかの方法が
満載されているのです。
ぜひご一読をお願いいたします。
(参照 大聖師御講義『続々甘露の法雨』谷口清超編纂 日本教文社 p511)
【人間は、“肉体”と、“心”(精神)と、“霊”との三つの面をもっていますが、その“霊”の面こそ、実は単に“面”ではなくて、人間の“本体”なのでありまして、それは“神の分霊”なのですから本来完全なのであります。“心”は“肉体”と“霊”なる実相とをつなぐ架け橋みたいな働きをしている“道具”なのであります。
その“心”が、病気とか逆境とか争いとかいう「物質的状態」の欠陥の方ばかりに振り向いていますと、その不健全な“心”の波動が肉体を支配しまして、肉体を不健全にし、それを病気にしますし、既に肉体が病気になっていますならば、その病気を益々悪化せしめるように“心”が“肉体”を支配するのであります。
そこで肉体を健康にしようと思うならば、その“心”をして肉体の不健全な状態や環境の不満足なことに振り向けることを止め、“神の分霊”なる“霊”なる自己の“生命の実相”の完全さに振向けしめるようにしますと、“心”は恐怖や不安で乱れた波動を起すことを止め、正常な“健全な波動”を起しますから、その、正常な“健全な波動”で肉体を支配しますから、肉体は自然に健康を恢復することになるのであります。】
いろいろな現象的な悩みをかかえておられる方は
原点に立ち戻り、
生命の実相の第1巻から14巻までの熟読と理解、
四部経の徹底読誦、
そして神想観を
工夫し修せられますことを
おすすめする次第です。
大聖師御講義『続々甘露の法雨』(日本教文社)という本には、
その体験が無数に載っているのですが、
治った人のほとんどは
心で病気を治しているのです。
それには、
あばれ馬(或いは牛)のように暴れまわる現象の心を、
いかに統御して実相の心にもっていくかの方法が
満載されているのです。
ぜひご一読をお願いいたします。
(参照 大聖師御講義『続々甘露の法雨』谷口清超編纂 日本教文社 p511)
【人間は、“肉体”と、“心”(精神)と、“霊”との三つの面をもっていますが、その“霊”の面こそ、実は単に“面”ではなくて、人間の“本体”なのでありまして、それは“神の分霊”なのですから本来完全なのであります。“心”は“肉体”と“霊”なる実相とをつなぐ架け橋みたいな働きをしている“道具”なのであります。
その“心”が、病気とか逆境とか争いとかいう「物質的状態」の欠陥の方ばかりに振り向いていますと、その不健全な“心”の波動が肉体を支配しまして、肉体を不健全にし、それを病気にしますし、既に肉体が病気になっていますならば、その病気を益々悪化せしめるように“心”が“肉体”を支配するのであります。
そこで肉体を健康にしようと思うならば、その“心”をして肉体の不健全な状態や環境の不満足なことに振り向けることを止め、“神の分霊”なる“霊”なる自己の“生命の実相”の完全さに振向けしめるようにしますと、“心”は恐怖や不安で乱れた波動を起すことを止め、正常な“健全な波動”を起しますから、その、正常な“健全な波動”で肉体を支配しますから、肉体は自然に健康を恢復することになるのであります。】
いろいろな現象的な悩みをかかえておられる方は
原点に立ち戻り、
生命の実相の第1巻から14巻までの熟読と理解、
四部経の徹底読誦、
そして神想観を
工夫し修せられますことを
おすすめする次第です。
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