<現象はナイんだからアルとしてしがみつく縛りを外せ。>
現象はナイんだから
アルとしてしがみつく縛りを外せ。
そしてこの世は「神のコトバ世界」(実相世界)であるとして、
見えざる実相(神の力)に自己を委ねよ。
実際に「現象ナシ」であり「実相あるのみ」なのだから。
さすれば
本当に無我になった時においては
神の力が流入する。
本当に実在しているものが、
姿を現わす。
(参考 奇蹟の時は今 アディントン著谷口雅春訳)
<アディントンの詩>
【わたしは光である
神はその光を通して輝き給う。
それは神と私とは‟二”にあらず
一体であるからである。
わが居るところ、そして常に
神はわれを通して意志し給う。
わたしは恐れることも
みずから意志することも
計らうことも必要ではないのである。
されど、もしわたしが
絶対他力の無我全托の
力みなく、そのままの心になれば
神は、神みずからの‟はからい”を
私を通じて実現し給うのである。】
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