イエス・キリストは
十字架を背負わされ
されこうべ(ゴルゴダ)という所に連れて行かれた。
おつらかったと思う。
十字架は「時間・空間」の象徴である。
そこで十字架に架けられた。
「時間・空間」の十字架に肉体が磔にされた、ということは、
「時間・空間」世界に存在する肉体を、
共に実在にあらずと抹殺すれば、
肉体は神のコトバ(ロゴス)の肉化であるから、
(参考 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。 ヨハネ伝1-14)
仮存在ならぬ神のコトバ(ロゴス)が
生きてくるのである。
(参考 生命の実相20卷)
【「そうだ。肉体イエスを抹殺(ころ)した時、実相のキリスト、アブラハムの生まれぬ前から生き通しの久遠のキリストが生きているのだ。イエスの十字架は現象を抹殺せば実相が生きて来るという象徴である! 今、ここに、久遠生き通しの生命が復活する。今だ、今だ! 久遠の今だ! 今が復活だ! 今を生きよ。」
わたしの眼の前に輝く日の出の時のような光が燦爛と満ち漲った。何者か声の主が天空に白く立っているように思われたが、それはハッキリ見えなかった。しばらくするとその燦爛たる光は消えてしまった。わたしはポッカリ眼をひらくと、合掌したまま坐っている自分をそこに見出したのであった。】
十字架を背負わされ
されこうべ(ゴルゴダ)という所に連れて行かれた。
おつらかったと思う。
十字架は「時間・空間」の象徴である。
そこで十字架に架けられた。
「時間・空間」の十字架に肉体が磔にされた、ということは、
「時間・空間」世界に存在する肉体を、
共に実在にあらずと抹殺すれば、
肉体は神のコトバ(ロゴス)の肉化であるから、
(参考 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。 ヨハネ伝1-14)
仮存在ならぬ神のコトバ(ロゴス)が
生きてくるのである。
(参考 生命の実相20卷)
【「そうだ。肉体イエスを抹殺(ころ)した時、実相のキリスト、アブラハムの生まれぬ前から生き通しの久遠のキリストが生きているのだ。イエスの十字架は現象を抹殺せば実相が生きて来るという象徴である! 今、ここに、久遠生き通しの生命が復活する。今だ、今だ! 久遠の今だ! 今が復活だ! 今を生きよ。」
わたしの眼の前に輝く日の出の時のような光が燦爛と満ち漲った。何者か声の主が天空に白く立っているように思われたが、それはハッキリ見えなかった。しばらくするとその燦爛たる光は消えてしまった。わたしはポッカリ眼をひらくと、合掌したまま坐っている自分をそこに見出したのであった。】