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イエスの十字架は現象を抹殺せば実相が生きて来るという象徴である!

2018-10-24 12:59:03 | 日記
イエス・キリストは
十字架を背負わされ
されこうべ(ゴルゴダ)という所に連れて行かれた。
おつらかったと思う。
十字架は「時間・空間」の象徴である。
そこで十字架に架けられた。
「時間・空間」の十字架に肉体が磔にされた、ということは、
「時間・空間」世界に存在する肉体を、
共に実在にあらずと抹殺すれば、
肉体は神のコトバ(ロゴス)の肉化であるから、
(参考 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。 ヨハネ伝1-14)
仮存在ならぬ神のコトバ(ロゴス)が
生きてくるのである。
(参考 生命の実相20卷)
【「そうだ。肉体イエスを抹殺(ころ)した時、実相のキリスト、アブラハムの生まれぬ前から生き通しの久遠のキリストが生きているのだ。イエスの十字架は現象を抹殺せば実相が生きて来るという象徴である! 今、ここに、久遠生き通しの生命が復活する。今だ、今だ! 久遠の今だ! 今が復活だ! 今を生きよ。」
わたしの眼の前に輝く日の出の時のような光が燦爛と満ち漲った。何者か声の主が天空に白く立っているように思われたが、それはハッキリ見えなかった。しばらくするとその燦爛たる光は消えてしまった。わたしはポッカリ眼をひらくと、合掌したまま坐っている自分をそこに見出したのであった。】


実相の観によって運命・環境・財福等を支配する

2018-10-24 11:08:09 | 日記
実相とは一切事物の
本体である。
肉体を含む万物の「いのち」とも言える。
だから
実相が顕われて来れば
実相の内容である
知恵・愛・生命・供給・喜び・調和の如き
実相の御徳が
すべて顕われて来ることになるのである。
(参考 人生は心で支配せよ 谷口雅春 日本教文社)
【吾々の真理に対する意識が高まって来るにつれて、生命と愛と智慧とが供給されるばかりでなく、財もまた吾々の周囲に集まって来るのである。何故なら、一切の事物は「想念」より発生したものであるが故にそれが形象化して財となったとしても、その財の内性には依然として「想念」が存在するのである。「想念」はそれ自身意識していないとは言え、一個の実態なのである。吾々はそれを指して事物に宿るところの霊魂と言ってもよいだろう。「想念」は「形象」の中に宿ってその「形象」を支持しているところの霊智体である。「形象」の存続する時間的長さは、形象の中に内在する「想念」がそれに賦与した力の持続する長短によるのである。吾々が自己の住む世界並に環境を支配することが出来るのは、自然及び一切の現象と一切の事物のうちには「想念」なる実体(霊魂又は霊智体)が宿っていると云うことを認むることによってである。何故なら吾等のうちに宿るところの高き意識的な霊智体は。一層低き霊智体(運命・環境・財福等)を支配し得ないと云う道理はないからである。】

私が宗教に求めたもの

2018-10-24 10:12:16 | 日記
私が宗教に何を始めから求めてきたのかといいますと、
「真人間になること」でありました。
心の救済とか
病気云々などというものは
皆目なかったのでした。
また病気でもなかったです。
私は教師として児童を指導するにあたり、
自分の心が純粋でない感じがして
それが嫌で
谷口雅春先生のご本を読んだり
神想観をしたりしていたのであって、
つまり良い教師になるために
宗教を求めたのです。
存在の探求、
つまり本当の自分を求める気持ちは併存していたにせよ、
「人として立派になりたい」
「きれいな心の教師になりたい」ということが
一番のねがいであり、
そのことを宗教に求めていました。
人として立派な行動や態度のできるようになりたいという
根本の願いが抜けてしまったら
それは宗教の目的からずれています。
もともと人間は神の子なのですから
「神」を顕わしたいという願いをもっているのですから。