「神の子・神の国」の実相世界は
神と共にあります。
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<ヨハネによる福音書第一章1~5>
初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
人間は“神の言”の肉化であり、
人間はどの人も本体はキリストであり
つまり“生命の実相”が本体であります。
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<ヨハネによる福音書第一章14~18>
14そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。
ヨハネ伝冒頭に「言は神と共にあり」とありますから、
実相世界(神の理念)は
私たち一人一人の霊的本体でありつつ、
創造の神のもとにあるのです。
旧約聖書の詩篇91を私は時々参照して安心を得るのですが、
もう一度ご覧いただければ幸いです。
【詩篇 第 91 章
1 いと高き者のもとにある隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
2 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。
3 主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。
4 主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。
5 あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
6 また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
7 たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。
8 あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。
9 あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、
10 災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。
11 これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。
12 彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。
13 あなたはししと、まむしとを踏み、若いししと、へびとを足の下に踏みにじるであろう。
14 彼はわたしを愛して離れないゆえに、わたしは彼を助けよう。彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る。
15 彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。わたしは彼の悩みのときに、共にいて、彼を救い、彼に光栄を与えよう。
16 わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、わが救を彼に示すであろう。
冒頭に或る「いと高き者のもとにある隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人」というのは、
「自分が“神の子”であることを自覚した人」という意味であります。
“神の子”であることを自覚できれば
その人は宇宙創造の神と共にあることになります。
「言は神と共にある」からです。
ですから神想観で実相を観じる際には
「神の子」である自分が
大神様と共にあるつもりで実修すると
大きな安心感が得られます。
神と共にあります。
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<ヨハネによる福音書第一章1~5>
初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
人間は“神の言”の肉化であり、
人間はどの人も本体はキリストであり
つまり“生命の実相”が本体であります。
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<ヨハネによる福音書第一章14~18>
14そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。
ヨハネ伝冒頭に「言は神と共にあり」とありますから、
実相世界(神の理念)は
私たち一人一人の霊的本体でありつつ、
創造の神のもとにあるのです。
旧約聖書の詩篇91を私は時々参照して安心を得るのですが、
もう一度ご覧いただければ幸いです。
【詩篇 第 91 章
1 いと高き者のもとにある隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
2 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。
3 主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。
4 主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。
5 あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
6 また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
7 たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。
8 あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。
9 あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、
10 災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。
11 これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。
12 彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。
13 あなたはししと、まむしとを踏み、若いししと、へびとを足の下に踏みにじるであろう。
14 彼はわたしを愛して離れないゆえに、わたしは彼を助けよう。彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る。
15 彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。わたしは彼の悩みのときに、共にいて、彼を救い、彼に光栄を与えよう。
16 わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、わが救を彼に示すであろう。
冒頭に或る「いと高き者のもとにある隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人」というのは、
「自分が“神の子”であることを自覚した人」という意味であります。
“神の子”であることを自覚できれば
その人は宇宙創造の神と共にあることになります。
「言は神と共にある」からです。
ですから神想観で実相を観じる際には
「神の子」である自分が
大神様と共にあるつもりで実修すると
大きな安心感が得られます。