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神に無条件降伏せよ。何事も可能となる。

2015-03-17 17:50:09 | 日記
「神に無条件降伏せよ。何事も可能となる。」
と谷口雅春先生は
「叡智の断片」(日本教文社)という本の中で
書いておられる。
「幼な子のように、神様の膝に掻き上がれ」という言葉と
似たような言葉だが、
無条件降伏という言葉も
我を取り去って、
神の円満完全世界を受け入れて観ずる場合に
祈りの状態を産み出す上で
とても参考になる言葉だ。
「南無」とか「帰命」とかの意味と
同一なのだと思う。
神想観を頑張りたい。

ここがこのまま実相世界

2015-03-17 16:57:15 | 日記
ここがこのまま実相世界であり、
実相世界の姿が実は存在していて
眼(まなこ)を開いて見える人には見ることも可能なのであると、
谷口雅春先生は
「生命の実相」の中で
次の比喩で
書いておられます。


(参考 生命の実相第39巻 谷口雅春著)
第6章 即身成仏の真理

次に『華厳経』の一部を意訳してみることにいたします。
それは釈迦牟尼仏が舎衛城の祇園精舎の大荘厳重閣講堂で説法しておられた時のことでした。重閣講堂というのは現象界から見ればささやかな茅屋(ぼうおく)にみすぼらしい僧侶たちが釈迦の説法を聴いているように見えますが、実相界から見れば、それは大荘厳きわまりなき、広大無辺の講堂で、無数の菩薩たちが雲のように集まって説法を聴聞しているのです。これが本当にわからなければ『華厳経』はわかりません。現象界の姿と、実相界の姿と二重にそのまま存するのですけれども、実相を見る智慧の眼(まなこ)のひらかない者には、その荘厳なる光景が見れども見えず、聴けども聞こえないのです。それはAKの放送の波とBKの放送の波と二重に一空間に存在するのと同じようです。AKに波長を合わせればAKの放送があらわれます。BKに波長を合わせれば、BKがあらわれます。現象界の波と実相界の波と二重に存在していますから、「重閣講堂」というのでありまして、われわれの心が波長を合わした方ばかりが見えるのです。「重閣講堂」というのは必ずしも、単に屋根が重なっている楼閣という意味ではありません。