尊師谷口雅春先生が
人類光明化運動において意図したことは
超越的内在の神性または仏性(つまり実相世界)の信仰が全てであって、
決して現象的な運動ではなかった。
時に現象的な運動が必要な時期もあったが、
それが「主」であったことは
まったく無いのである。
であるから
人類光明化運動は宗教なのであって、
実相探求の求道がそこから失われるとき、
それはもはや
人類を人生苦から救うことなど
まったくできなくなってしまう。
いつでも苦しみ、悩みのあった時に、
そのような人たちを受け入れて真理を知らせる場所が
なくてはならないし、
必要な書物が
ふんだんに
そこになくては
ならないのである。
尊師がはじめに意図したことを
改めて思い起こそう。
(参考 生命の実相第39巻 谷口雅春著)
<生命の実相第39巻はしがき>
このような超越的内在の神性または仏性の信仰こそ全人類を「一」(ひとつ)に結び合わす愛の紐となりうるのである。わたしは仏教家がすぐ言葉の端を捉えて有神論にケチをつけたがるのを悲しむ者である。有神論は結局、内在仏性論となるべきことは、「神の国は汝の内にあり」というイエスの言葉でも分かるのである。本書においては仏教とキリスト教(投稿者註~万教のことを暗に含む)とが結局「一」に融合すべきものであることを明らかにし、それによってイエスや釈迦時代の宗教的奇蹟の復活を可能ならしめ、かねてこの真理よりして、人類永久平和への道と、人類永遠至福健康への道とを具体的に開示せんとしたものである。
人類光明化運動において意図したことは
超越的内在の神性または仏性(つまり実相世界)の信仰が全てであって、
決して現象的な運動ではなかった。
時に現象的な運動が必要な時期もあったが、
それが「主」であったことは
まったく無いのである。
であるから
人類光明化運動は宗教なのであって、
実相探求の求道がそこから失われるとき、
それはもはや
人類を人生苦から救うことなど
まったくできなくなってしまう。
いつでも苦しみ、悩みのあった時に、
そのような人たちを受け入れて真理を知らせる場所が
なくてはならないし、
必要な書物が
ふんだんに
そこになくては
ならないのである。
尊師がはじめに意図したことを
改めて思い起こそう。
(参考 生命の実相第39巻 谷口雅春著)
<生命の実相第39巻はしがき>
このような超越的内在の神性または仏性の信仰こそ全人類を「一」(ひとつ)に結び合わす愛の紐となりうるのである。わたしは仏教家がすぐ言葉の端を捉えて有神論にケチをつけたがるのを悲しむ者である。有神論は結局、内在仏性論となるべきことは、「神の国は汝の内にあり」というイエスの言葉でも分かるのである。本書においては仏教とキリスト教(投稿者註~万教のことを暗に含む)とが結局「一」に融合すべきものであることを明らかにし、それによってイエスや釈迦時代の宗教的奇蹟の復活を可能ならしめ、かねてこの真理よりして、人類永久平和への道と、人類永遠至福健康への道とを具体的に開示せんとしたものである。