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苦痛が意味するもの

2012-09-25 17:12:30 | 日記
普通人は
苦しいことがあると、
なだめたり、
一時的に緩和したり、
苦痛それ自体を
取り去ることを
考えるものである。
だが、実は苦痛って、
それがあることは、
大事なことを
意味しているのだ。
苦痛とは
本来あるべきものが、
本来の状態にないから、
起こっているものなのだ。
それはつまり
本来の状態を
考えなさい、
と訴えているようなものであり、
本来の在り方を考え、
現在のあやまりを正すべき
良いチャンスなのだ。

人のことが分るのに、(私には)苦しみの体験が必要だった

2012-09-25 16:18:30 | 日記
私は
少年の頃も、
青年の頃も、
自分のことばかりを大切にする
人間であった。
つまり
利己的な人間であった。
これは不必要に卑下して
言っているわけではなく、
本当のことである。
でも70歳の今は、
自分が
それほど利己的であるとは、
思っていない。
では何が
私を
利己的からそうでない人間に
変えたのであろうか。
まず思いあたるのは、
青年時代神経症で
苦しんだことだ。
それと、
それが招いた数多くの挫折の体験だ。
だが苦痛のみが人を変えるものであろうか。
やっぱり、
正しいものの観方で、
苦痛の真の意味を悟ることができたことが、
人間理解の
本当の原因である。
私は
苦しめば人のことが分るようになるから、
大いに苦しむ必要があるなどと、
決して言っているわけではない。
苦しむのは、
自己の迷いの産物であるからで、
もっと立派な生き方をしてきたのであれば、
苦しむ事態に陥らないで済んだはずだからだ。
だが、私が言いたいのは、
苦痛があったとしても、
それに正しく対処すれば、
苦痛をてことして、
人のことが分るようになったり、
人間性が高まったりする、
ということである。