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シュタイナー先生、こどもに語る

2012-09-09 15:13:18 | 日記
(参考 シュタイナー先生、こどもに語る ルドルフ・シュタイナー 松浦賢一訳)イザラ書房)

私が今日、
偶然入った経堂の古本屋で、
上述の、
素晴らしいことが予感される本を
たまたま買い求めてきた。
この本が素晴らしいことは
以下の引用文かたも
一見してわかる。
【いいですか、みなさんはときどき、「あーあ、勉強以外にもっと楽しいことがあるのになあ」と思うことがあるかもしれません。でも、それはまちがっています。勉強よりも大きな楽しみはないのです! というのも、いいですか、みなさんがもし自分を不注意で怠惰にするものを楽しんだとしても、その喜びはすぐに過ぎ去ってしまうからです。いくらみなさんが楽しい思いを味わったとしても、すぐにその喜びは過ぎ去っていきます。けれども、もしみなさんが学ぶことができるものを楽しみ、<勤勉さ>と<注意深さ>をたずさえながら飛翔するならば、みなさんの魂のなかになにかが残ることになります―みなさんはいつか、魂とはなにかということを知るようになるでしょう。そうすればわたしたちは、くり返し楽しみを味わうことができます。なにか役に立つことを学んだら、それはくり返し現われて、わたしたちは絶えず新たに楽しみを味わうようになります。このときわたしたちは、尽きることのない喜びを手にしていることになります。不注意と怠惰から生まれるそのほかの喜びは、必ずいつか終わるものなのです。】
このシュタイナーという人が
どういう人であるのかは、
おいおい解った段階で
お伝えいたします。
オーストリア生まれの哲学者、とだけ、
今日は書いておきます。

人間の一生は「経」の展開

2012-09-09 14:49:57 | 日記
(参考 正法眼蔵を読む 看経の巻 谷口清超訳)
人間は実相世界において
「経」を
説き続けているという。
「実相」経である。
それ故
現象世界も
一見物質世界に見えるけれども、
実は「経」の展開である。
自己および環境世界は
その奥で
お経が読まれていると
いうことだ。
正方眼蔵では、
このことを
次のように
書かれている。
【趙州の観音院真際大師に、一人の老婆が浄財を寄付して、「どうか『大蔵経』を読んで下さい」とお願いした.すると大師は坐禅の牀から下りて、その周囲を一周し、老婆の使者にこう伝えさせた。「これで『大蔵経』を読み了った。と。この様子を使者が老婆につたえると、老婆はいった。
「先だっては大師様に、『大蔵経』を読んで下さいとお願いしたのに、どうして半分しか読んで下さらなかったのでしょうか。」
これで明らかなように、『大蔵経』を一回読んだとか、半回読んだとか言っているのは、「婆さん経を三巻」といった所であり、まだまだ現象に引っかかっている。しかるに「『大蔵経』を転じ了った」と趙州がいわれるのは、趙州の全自己を「経」といっている。それを全部読誦した。すると趙州が禅牀をめぐると、趙州を禅牀がめぐる。それは単に禅牀だけのことではなく、全宇宙がめぐるのである。従って何も禅牀にこだわることはない。無数の『大蔵経』の読み方があるということになる訳である。】
人間の実相が「経」であり、
現象世界は「経」の展開であるとの説法は
正法眼蔵で
実際に説かれていることがらだ。