すべての人は念経僧(ねんきんそう)である 2012-09-02 21:10:30 | 日記 有無を超えた世界に存在するところの 本来の自分は 経ならざるはない経を、 昼夜を分かたず 永遠に 念じ続けているということだ。 すべての人の本当の自分は この念経僧(ねんきんそう)であり、 それが人の本体である。
本来の吾は、現象を自由自在にあやつる主人公 2012-09-02 20:55:36 | 日記 現象世界が 次から次へとかってに展開してきて、 自分は右往左往、 その動きに翻弄されて生きることを 「法華に転ぜられる」 というのである。 本来の吾が まだわからない時は そうである。 これに対して 迷悟を超越したとき、 つまり 現象は 「法華」の展開する姿なのだと悟った時、 法華(実相)を転ずる立場に 変わるのである。 こうなると、 本来の吾は、 現象を自由にあやつる主人公であることがわかり、 わかると同時に 現象に 円満完全大調和が あらわれてくるのである。