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説心説性について

2012-01-14 20:51:15 | 日記
仏教には
「説心説性」という言葉がある。
現象世界とはなんであるかといえば、
「心」と説き、
「性」と説かれているのだ。
「心」というのは、
「仏の心」であり、
「実相の心」のことである。
つまり、
「円満完全大調和」の心だ。
「性」というのは、
現象の移り変わりはすべて、
「仏性であるよ」と説いているのだ。
俗にいえば、
現象は仏が説法している姿であるよと、
いうのである。

この現象の世の奥なる世界を推論すると・・・

2012-01-14 20:24:15 | 日記
この現象世界が
「神の国」(仏の国)であるといったって、
これほど苦しみに満ちた世の中が
何故素晴らしいなどと言えるのかと、
言いたい人はたくさんいると思う。

そこで、
私は推論する。
例えば「理念アサガオ」があるとして、
それが本当のアサガオであり、
「神」とする。
それが
時間空間世界に展開されるところの
葉とか花とか種とかは、
「理念アサガオ」の展開体なのだが、
表現されるものは、
真・善・美であろうと思う。
現象世界は
一枚一枚の映画のフィルムみたいな
念波的存在と
考えてほしい。
今日あって、明日にはもう変化する一瞬の存在であると、
思ってみよう。
アサガオ同様に
人間についても、
本体自他一体の「神の子人間」
つまり理念人間を思ってみる。
実相の世界では、
与えあい、尽くし合い、向上のし合いなのだから、
私たちの実相の表現世界である現象世界においても、
私たちの本体である理念人間が
神の国を表現しているのでは
ないだろうか。
だとすれば、
やはり
人間が表現しあっているものは、
真・善・美であるのが、
本当なのではないだろうか。
つまりわれわれの本体は
「神のいのち」なのかと思う。
たとすれば、
一見憂苦に満ちた世界ではあるが、
実は美しいものであるのが
この現象の世界で
あるのかも知れない。