新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

東京から移住して”新甲州人”になった元観光のプロが探訪する”山梨の魅力再発見!”
旅人目線の特選記事を抜粋して発信!

9)山梨の魅力山行特集NO5”茅ケ岳(1703.6m)”           藤原教授の探訪記録YS記!

2010-12-13 | 山梨、魅力の山行!

美しい山々を歩くたびに・・・、人里の魅力を知る!YS記

深田久弥氏の終焉の山として有名な 「茅ケ岳」(標高1703.6m)に登りました。

茅ケ岳は山好きの人々には知名度が高く、山容が美しい山梨百名山の一つです

登山計画書は:「kayagadake.pdf」をダウンロード

Photo

武田の郷(武田八幡)から臨む茅ケ岳の山容!

中央線韮崎付近からもよく見えますネ!

八ケ岳に似ているので「ニセ八ツ」ともいわれています。

登ってみたくなる山ですね!

あの深田久弥先生さえ憧れて登った山ですから!

写真中央の尖鋭が茅ケ岳です。

左奥は金ケ岳(1764m)で尾根渡りができる。茅ケ岳山頂から金ケ岳の往復は約2時間、明野への下山ルートもあります。

この里の昔々・・・ひと言!

武田家累代の始祖新羅三郎義光の三男、源義清と嫡子清光の時、常陸国(現勝田市)武田郷から甲斐国に配流され最初に、市川荘平塩岡(現市川三郷町)に館を構えた。山を背に防砦に適した丘陵地高台で、甲府盆地の遠望が素晴らしい。しかし、嫡男清光はさらに日照豊かで広大な大地を選んで、逸見の荘(現北杜市大泉)を開き、谷戸城(詰城)を築城して”館”を構えた農業開発”甲斐の黒駒”と評判をとる軍馬を生産して”軍力”を蓄え、さらに子福者で11人の子を甲斐国内の要所に配置して武田家繁栄の基礎を築いた。谷戸城の真南に甲斐駒ケ岳がそびえて、この地も、ほんとうに絶景のところです!そして、清光の子、甲斐武田家の始祖と言われる「武田義信」(1128年~1186年)は、さらに地の利を考慮して、鳳凰山を背にした現韮崎市・武田の荘に、武田八幡宮を氏神として、白山城を詰城に”武田館”を構えた

上段の「茅ケ岳」山容の全景が昔の武田荘の館から見た展望景観なのです!凄い場所を選んだものです!

往古の武田家累代が築いた”荘の館”は背後の山に詰城を構え、高台地を選んで、防砦ばかりではなく”領地の様子が一望に見渡せる絶景の地”を選んでいることが良くわかります。景色が抜群なはずです。特に山梨はほとんどの土地が扇状地(勾配地)で、食料生産のための農地開発に工夫を要し、富士川から釜無川を上って魚介類を運び入れることを当時の武将たちも考慮していたことが偲べます。

美しい自然の里山を訪ねると、かつて武将が選んだ国づくりの領地と築城の歴史が重なるところは、とても興味深いところです。また、険しく美しい山容は山岳信仰の修験者の目標になった理由も分かるような気がする。いつも思うことだが、往古は地図もなく情報がない時代に、どうして知ったか?素晴らしい場所を選んで荘(郷)を築いたものだと感心します。

今回は、”茅ケ岳”登頂と”武田の郷”を訪ねる魅力を併せて紹介します。

茅ケ岳登頂記録!2010年12月9日(木)山梨の魅力山行NO5

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茅ケ岳山頂(1703.6m)

先ず頂上の景観を!素晴らしい景色です!

新雪で綺麗に覆われた茅ケ岳山頂の記念写真!背後は金峰山、瑞牆山、奥秩父方面。

最近、地元の決断で頂上の灌木枝を伐採して頂いたお陰で・・・、

茅ケ岳山頂は360度のパノラマ展望が望めます!

北東に”瑞牆山、金峰山、奥秩父山塊、東南に御坂山塊と富士山、南西に鳳凰三山と甲斐駒ケ岳、北西に八ケ岳編笠山(手前に金ケ岳があるので全望はない)の遠望が開け、苦労して登った者だけに与えられる感動の瞬間がある!

登山口は深田久弥の歩いた深田記念公園ルートを選びました。

Photo 深田久弥記念公園

韮崎市管理の駐車場(約20台分)あり、洋座便式トイレにトイレットペーパーも完備。但し、各自ペーパーは持参のこと。

深田久弥氏は石川県加賀市生まれの小説家で、1959年~63年『日本百名山』を発表登山ブームの先がけになった登山家として有名です。1971年3月21日茅ケ岳登山中に山頂直下で脳卒中のため68歳で死去その場所に深田久弥先生終焉の地と表記された石碑が立っています。山梨の魅力を知るためには、一度は登りたい山です!

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Photo女岩

 唯一の水場。中間の絶好の休憩場所でもある。

 冷たい石清水が湧き出て、とても清涼感があります。

 登りの途中「あと5分で冷たい水あり」の標識。

 水場を保護されていて、コップも置いてある。

 但し、大岩がガレキ状になって崩れやすくなっている。

 岩場の下は危険なので立ち入り禁止の標識あり。

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Photo_6 うっすらと新雪に覆われた茅ケ岳頂上から雲間に浮かぶ鳳凰山の姿に感動しました。雲一つない風景も素晴らしいが、うっすらと雲がかかって、遠望の山々を浮かびあがらせる風景もなんともいえない・・・!当日は富士山もうっすらと霞んで綺麗でした!

プロカメラマンならこんな景色も楽々ものにするのでしょうが!?

Photo_7 完全冬装備で、楽々と新雪道を下山の藤原教授

スキーで鍛えた積雪歩きは、山側に重心をおき、アイゼンを活かしたベタ足歩行で基本通りの歩き方で・・・、バッチリです。

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茅ケ岳の下山後は、韮崎の武田郷にある”白山温泉”がおすすめ!

露天風呂から茅ケ岳を真正面に眺めながら、登山の疲れを癒やす至福のひと時!

Photo_8Photo_10 白山温泉

和風デザインの瀟洒な温泉施設で、とても清潔感があります。落ち着いて、とても心地よい温泉です。源泉の温度は45.5℃、泉質はナトリューム塩化物・炭酸水素温泉で、とても温泉らしいところです!

HPはこちらから・・・・・・・、http://www.hakusanonsen.com

つかの間の休息でも、すっきり身体の疲れを癒やしてから、武田の郷を巡るのがお勧めです。白山温泉には本格派の手打ちそば屋とオーナーのコレクションを展示した大村美術館もあります。

武田郷は、武田信玄の先祖(武田家の始祖)武田義信が開いた武田の荘!

・・・帰路、時間があれば、ぜひ訪ねて見たいところです。

Photo_13

鳳凰山願成寺

奈良時代(771年)創建の古刹。

武田家始祖信義公が武田家累代の祈願所として興隆。後白河天皇から「鳳凰山」の山号額を下賜された(寺伝)。阿弥陀三尊像は重要文化財。

天正10年信長の兵火で尽く焼失。僅かに仏像縁起記等が運び出されたとのこと。

この山門は1662年(江戸時代)に建立されたもの。

表参道石段の石像観音は1666年、曹洞二世中興赫山(かくざん)和尚により彫造安置。一体も欠けることなく今日に伝わる。

Photo_15武田信義の墓

この墓地は、”鳳凰山”を背景に、美しいところです!

武田太郎義信(1128年~1186年)は、源氏の新羅三郎義光を先祖とし、武田八幡宮にて元服の後、武田姓を名乗った武田家の始祖として、この地を本拠としました。1180年石和に甲斐源氏を集結、源平壇ノ浦の合戦に貢献したことで歴史に残る。

後に、頼朝の謀略で子らが暗殺され、弾圧を受けて失脚。山梨・牧の荘を本拠にした源平合戦の副将軍「安田義定」とともに、歴史の悲哀で、あまりに有名な信玄の影に薄れて、脚光をあびていませんが、忘れてはならない甲斐の武将がここにもいたのです。

甲斐の歴史と山梨の今があるのは・・・、武田信虎・信玄・勝頼の三代”だけではないのです!

武田八幡宮は武田家先祖累代の氏神とした由緒ある八幡宮!

武田家の氏神とした武田八幡宮。山奥には(源)為朝神社と白山城跡があるが、クマ出没注意の標識は不気味です!

甲府の武田神社とは違って、武田家の厳粛な歴史観が漂っています!

Photo_16 武田八幡宮の歴史を感じる鳥居

武田八幡宮は、822年(弘仁13年)嵯峨天皇の御代、勅命により、土地の神武田武大神宇佐八幡を合祀して創建された。社記に「地名の二字を冠として武田八幡宮と奉称し額面を賜り侯」とあるそうだ。この八幡宮が「武田の荘」の地名の発祥です。

さらに鎌倉時代初期、清和天皇の貞観年間(859~76年)に京都石清水八幡を勧請し、甲斐武田の崇敬を集めた総家の氏神となったところです。

この武田八幡宮で武田義信は元服し、武田の姓を名乗って、武田家が始まったのです。

この鳥居のところから、山門の奥、苔むした石段を上り、拝殿・本殿へ詣でる時は、少々厳粛な気持ちになります!

社務所は誰もいないことが多く、ひなびています!甲府の武田神社とはえらい違いです

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武田八幡宮の拝殿

この拝殿奥上部に、本殿(国重要文化財)が祀られている。

戦国時代、1541年(天文10年)父信虎を国外へ追放した武田信玄が、現本殿を再建し、勝頼滅亡の直前に、夫人が戦勝祈願をした願文は今に伝えられ、武田家の栄枯盛衰の歴史を伝える古社なのです・・・。

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人々が崇めた名山を登山すると・・・、その崇高さと雄大さを知り、その山麓は湧水と清流に恵まれていて、古くから人々の集落が形成されている。そのような里山を歩くと、驚くほどその里山には深い感動の歴史が刻まれていることがわかります。甲斐国・山梨は・・・、”凄いところ”だと思います!

奥深い歴史を辿ると感慨はひとしおですが、それ以上に、里山から見る美しい景色は至るところあって、訪ねた人々に必ずや感動を与えています!

現在、韮崎市は、この武田家発祥の地、神山町一帯を「武田の郷」として紹介しています

武田八幡宮、願成寺のほか、白山城跡、武田義信の館跡など、武田一族の旧跡が点在していて、周辺には見どころがたくさんある。特に、名勝の七里岩の上にある武田勝頼が築城した”新府城跡”も、武田家の盛衰の歴史を知るには欠かせない訪問地です。ご参考まで!

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