新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

東京から移住して”新甲州人”になった元観光のプロが探訪する”山梨の魅力再発見!”
旅人目線の特選記事を抜粋して発信!

7)歴史好きにはたまらない!川浦温泉と清水渓谷健康ウォーク

2010-11-29 | 山梨、魅力の名湯&秘湯!

甲州・笛吹川上流に”信玄の隠し湯”名湯「川浦温泉」 がある!

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JR中央線・塩山駅と山梨市駅から西沢渓谷行のバスも通る雁坂道(秩父往還)

にある一軒の瀟洒な古湯宿、その川浦温泉「山県館」を拠点にして、歴史の感動が伝わる

”川浦・釜口と清水渓谷”についてご紹介します。

”川浦の郷”は、”歩いて初めて知ることも多い歴史と自然が豊かな魅力の散策路!

 

川浦の郷の物語は奥深い!

読むのが大変な方は、写真だけでもどうぞ!

JR塩山、山梨市沿線からは、信玄の菩提寺で有名な「乾徳山恵林寺」の山号

になっている「乾徳山」(夢想国師修業の鋭い岩峰の山)が昔は東山梨郡三富村

と云われた時代に、甲斐九筋の一つ秩父往還(現雁坂みち、ほぼ国道140号に沿う)

の川浦温泉方面を示す目印の山になっています

秩父往還は、日本武尊の東征伝説や大和朝廷時代から伝説が数多くあります。

武田信玄も戦略的に重要筋として「川浦口留番所」を設けたところです。

注)右写真右端の扇山(=恵林寺山)と白い浮雲の下、岩峰の鋭い乾徳山の間の雁坂道

を北方向に進むと、笛吹川沿いに「川浦温泉」があります。

Photo

秩父往還古図関東地方建設局資料 ※PDFは添付していません。

 

②甲斐近世交通図山梨県史 秩父往還川浦口留番所位置注)赤印

など、山梨県立図書館にはありますが、興味があればご覧下さい。

 

川浦温泉バス待合所、紅葉樹林に”塩の平”山縣家墓地がある。

 


 

笛吹川は、甲武信岳(こぶしだけ)国師ケ岳(こくしがだけ)を源流にして、

東沢や西沢渓谷の清流を集めて、甲府盆地へ流れ、釜無川と合流して、富士川になる

延長55kmの川で、特に上流の西沢渓谷は渓谷美で人気があり、シーズンは大勢の

ハイカーが訪れます。

笛吹川上流の広瀬ダムは、下流の複合扇状地群の畑地灌漑用水などを目的とした

多目的ダムで、現在は観光客の憩いの景観スポットにもなっている

広瀬湖ふるさと記念館はダム建設前の昔の上釜口郷の様子を伝えています。

この地には、笛吹川(昔は子酉川(ねとりがわ))の語源にもなったと云う

笛吹権三郎本名日原)という落人親子の悲哀と親孝行物語が伝わる。

祖先は後醍醐天皇(1318~1339年在位)の忠臣日野資朝(すけとも)朝臣

(鎌倉時代後期の公卿)の義弟で日野河内守道義と伝えられている。資朝は

後醍醐天皇の倒幕計画の中枢にいたため捕縛されて鎌倉から、佐渡へ流罪となった人物で

、その身内の異変によって日野道義はこの地に落ちのびて来たと思われます

注)ウイキペディアの資朝の記録より推定。

その落人の親子は、この上釜口村(芹沢)に穏やかに暮らしていた。

権三郎は母親に孝養をつくし、笛吹きの名手でもあって母や村人を慰めていたが、

1575年(天正3年)7月の豪雨で、家もろともに急流に呑まれ、母だけが

行方不明になってしまった。それ以来、権三郎は昼夜問わず笛を吹きながら、

母を探して下流を訪ね歩いたがある日、川の瀬に母の呼び声が聞こえて、

急流に身を投げてしまったそうです。

数日後、小松村(現春日居町小松)の子酉川の淵に流れ着き、

長慶寺の開山円誉長慶上人に手厚く葬られて、今も墓が実在しています。

権三郎伝説が、後にこの川を”笛吹川”と呼ぶようになったという。

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清水渓谷健康ウォークの散策拠点である川浦温泉「山県館」を

外観から紹介します。

いやはや・・・!?歴史好きの人には、これほど”ほんものの史実が

伝承される由緒ある旅館”があるとは・・・、感動が一杯です!

川浦温泉「山県館」は武勇で名高い武田24将の山県三郎右兵衛尉昌景が先祖

1561年(永禄4年)武田信玄が乾徳山恵林寺に、第4次川中島合戦に備えて

負傷兵士の湯治のため川浦湯屋の開発を下知した際、命を受けたのが山縣昌景で、

信玄公唯一の”下知状”が恵林寺に残る由緒ある史実の旅館です

※下記添付文献写真は当館HP掲載

現在、第14代の当主、山縣信一郎さんが継承されています。

女将の善子さんの”温かいもてなしの心”があちこちに行き届いています。

最近、若女将が就任、ますます充実のサービスが・・・、嬉しい限りです!

一般の観光地紹介ブログでは省略されますが、皆さんにぜひ山縣昌景のこと

を知ってもらいたいと思います。

山縣三郎右兵衛尉昌景は江戸時代中期以後、軍談が盛んになった頃書かれた

と云われる竹月堂浮石筆の”武田24将を見ると・・・、

24将の中でも信玄の信頼は厚く、勝頼の対面に位置して側近中の側近であったようです。

「takeda24shou.pdf」をダウンロード ※資料:武田神社刊「名将武田信玄」

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山縣三郎右兵衛尉昌景(やまがたさぶろうびょうえのじょうまさかげ)は、

幼名を飯富(おぶ)源四郎といい、飯富兵部少輔虎昌(おぶひょうぶしょうゆうとらまさ)の弟。

信玄の近習小姓から150騎の侍大将に抜擢され、名を”三郎兵衛”と改める。

板垣、甘利氏亡き後「職(しき)」に任じられ、信玄の片腕として領国経営に才能を発揮した。

信玄上洛の先発隊として三河に進軍、徳川家康が唯一敗戦となった「三方ケ原の合戦」での功績は有名。

また、勝頼が再上洛で進軍した「長篠の合戦」では、勝頼の無謀な戦略を二度諌めたが、

聞き入れられず、単騎敵陣へ突撃し、壮絶な戦死をとげた”武勇の将”として名高い。

Photo_5 ・・・・・・川浦湯屋の開発を命じた信玄公の唯一の文献が、

乾徳山恵林寺の宝物館に残されている

※実は、この山県館にも、山県昌景宛てに送られた信玄直筆

の感謝状が残されているとか!とにかく凄い

流石、信玄が直々に開発を命じた川浦湯屋!

この川浦温泉は鎌倉時代に遡る秩父の武将畠山重忠が腹痛を起こした時、

薬師如来の霊夢により発見されたという伝説もある古湯であるが、戦国時代に、

”信玄の隠し湯”として開発整備されて戦略的に重要な湯治湯となって以来、

現在もその名湯が伝承されている。当代が新たにボーリングをして豊富な源泉を保持し、

2本の源泉で、毎分1250㍑の湧出量を誇り、源泉温度も42℃~40℃で、

100%天然のかけ流しを誇る他に類を見ない名泉です。PH9.2、

高アルカリ性単純温泉で、ラドン含有量も0.22マッハあって、温泉の権威、

大月短期大学地球科学研究室の田中収名誉教授もベタ褒めの温泉です

これほどの名湯は甲斐(山梨)の誇りです。

源泉を発掘した武田信玄と守り継いでいる山縣家に感謝です!

Photo_10 江戸時代1856年に再建された川浦温泉山県館全景(明治中期の写真)、

湯屋、湯治場付近の写真が館内に掲示してあります。

「川浦温泉山県館」の詳細案内はHPでご覧下さい。http://www.comlink.ne.jp/~yamagata/

 

旅行ガイド、温泉旅館ガイドやお客様の紹介記事などでたくさん紹介されているので、

このブログでは省略しますが、”川浦の山間”にあって、心地よい渓流のせせらぎの中、

脈々と伝わる往古の人々の営みが心豊かに感動を与えてくれる随一の一軒湯宿を一度は

訪れて下さい!

最近整備されたバス停の上にある”湯の平の山縣家墓地”に、山県昌景の墓石がある

法号は「雄臾院殿良山元英大居士」。

その奥に、文化財で室町時代の作と云われる気品ある山縣家聖観音が祀ってある。

Photo_9 Photo_11 山県家聖観音と山県昌景の墓

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・健康に効果!チトンフィットとマイナスイオンがいっぱい!

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清水渓谷周遊健康ウォーク!

散策路は整備されて”安心です。

周遊は4コースから選択できます!

①3.92km 消費カロリー160~225kcal

②5.55km 〃230~320kcal約80分

③2.61km 〃100~140kcal約35分

④2.68km 〃115~165kcla約40分

清水渓谷・一之釜周遊ウォーキングコースプリント版が地元にあるので確認すると良い。

市設定コースでは約3.92kmがお勧め!歩行標準タイムは約55分。

一万歩程度の適度な心地よいコースです。ウォーキング効果による消費カロリーは、

体重により160kcal~225kcalと目安されている。※資料参照。


笛吹川上流域は”秩父多摩甲斐国立公園”に位置します。

この地域は”笛吹源流百果の郷”とも云われています。景観地の広瀬湖畔に、

森林セラピー基地があって、セラピーガイドが西沢渓谷セラピープログラムを

提供してくれています。

西沢渓谷ウォーキングコースは有名で大勢のハイカーが訪れますが、川浦温泉を拠点に

軽ウォーキングスタイルでOKの安全・安心の静かな里山歩きができるコースもある。

秩父往還ロマンを残す川浦・釜口郷を周遊する憩いの里道歩きです!

 

スタート&ゴールは川浦温泉「山県館」拠点が最適!

山県館?380m⇒川浦口留番所340m⇒お伊勢宮860m

⇒天科発電所140×2m⇒名爆一之釜1210m⇒清水渓谷

295m⇒清水渓谷駐車場100m⇒山県館? ※約3.5km

Photo_16 川浦口留番所跡(復元)

1382年頃配置の雁坂道秩父往還)の重要な関所

 

 

戦国より江戸時代、関所は人や物資の流入を取締る役割を果たしていた。

番屋とも云われ、村人が24時間交代で守ったといわれる。

近世交通図甲斐九筋に各番屋が配置されていた

Photo_17Photo_18 

 

 

お伊勢宮:昔々、弘法大師が立ち寄られ岩盤に自らの像を刻まれた磨崖仏があって、

大師の功徳にあやかる人々の祈りを込めた石仏が奉納されたもので、百体仏とも云われる。

様々な表情の石仏があって興味深い。

Photo_20 釜口の郷:

写真:川浦発電所の橋から穏やかな”釜口の郷”を臨む!

 

家の落人伝説や笛吹権三郎の親孝行物語が、この郷に語り伝えられている。

一度、”語りべ”の話をじっくり聞きいてみたいものです!

凄然とした里山の風景は、いろいろなことを語ってくれます。

Photo_5 笛吹川の名爆”一之釜”

 

 

 

清水渓谷随一の名勝で、新緑、マイナスイオンの納涼、渓谷の紅葉も絶景ですが・・・、

晩秋の静かな清流も、舞い散る枯葉の音が、何とも言えない癒やしの感動を提供してくれます!

2010年は猛暑で、紅葉は11月上旬がピークでした。

雁坂道を”ちょっと”車を止めて”歩いて見ませんか”!? Photo_13

 

 

 

 

 

 

 

 

名爆一之釜や清水渓谷の風景は自然そのまま!

”川浦郷”に悠然と歴史を綴る・・・、

川浦温泉山県館は、静かな宿ですPhoto_15

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

渓谷の対面から見た山県館。

 


 


6)”枯露柿づくり体験”でもてなす「甘草(かんぞう)屋敷」のボランティアの皆さん

2010-11-11 | 山梨、里山の郷土愛!

重要文化財の「甘草屋敷」は甲州市JR塩山駅北口前にあります。この駅の北口に降り立つと最初に迎えてくれる美観シーンが「甘草屋敷」で、ほとんどの訪問者は感嘆しています!新宿から1時間20分、特急が停車する駅で「駅前がこれほど風情のあるところはない」と言っています。注)南口はバスターターミナルや低層商業施設が少々あり”お洒落美観”はありません。

塩山をJR中央線で初めて訪ねる人に、北口から塩山観光をスタートされるように薦めます。タクシー乗り場には常時駐車しています。タクシーの方は、ここから西沢渓谷、大菩薩峠、恵林寺、放光寺、川浦温泉、枯露柿の松里地区方面へは行きやすい最寄口でもあります。

Photo 今回、東京の知人で観光、ホテル、レストラン業界のオーソリティである春口大先輩が、山梨学院大学の講義の帰りに塩山に途中下車して、訪ねて下さった。丁度、甘草屋敷では「ころ柿づくり体験」が行われ、その講習が終わって、”枯露柿”がつるされた直後に訪れて頂いたので、その美しい景観を背景にした記念写真を掲載しました。

枯露柿がつるされた「甘草屋敷」の柿色格子の景観が何と美しいこと!観光パンフレットの表紙を飾るシーンで”温かい人々の営み”を伝えてくれる古民家史蹟なのです。

Photo_2 「甘草屋敷」の”ころ柿づくり”体験は、まちの観光ボランティアの皆さんで運営されています。※みなさんは無報酬で、真心から”おもてなし”をしていることを知っておいて下さいね。

首都圏から、「ころ柿体験」に訪れるお大勢の客様のために、まず、収穫した大粒の”甲州百匁柿”を皮むきします。その手伝いの情景です。皆さんがほんとうに優しい顔をしているのがわかりますか!?

※善意の心づくしに脱帽ですね!毎日延20人くらいのボランティアが手伝っているとのこと。

素晴らしいまちの人々ですね!

Photo_3 「ころ柿づくり体験」へ参加した人々は真剣です。参加費は一人500円(入館料含む)で、自分で皮を剥いて作った大粒のつるし柿を2ケ持ち帰りが出来ます。自分の家の軒先で天日で干して、約1カ月経つと、美味しい枯露柿が出来上がりますが、琥珀色に輝く大きなつるし柿の並ぶ情景はほんとうに見事で美味しそうですね。

私も2年前に、ころ柿づくりを教えてもらって、作って見ましたが、とても愉しく、約1ケ月間、軒先で乾き具合と色具合を見ながら、”ころころ”とひっくり返して、全体に天日がいきわたるように干し続ける作業行程は、意外に手間がかかります。その「ころころ」返して作るところから、”ころ柿””枯露柿”と云われるようになったようですよ。「枯露柿」も高級感があって良いブランド名ですが、「ころ柿」も可愛いい名前ですね!

「最初の体験では、熟成するまで待ち切れず、途中で食べてしまった」ことを覚えていますが、それでも自分で作った”ころ柿”なので、とても美味しかった思い出があります。それ以来、農家の皆さんが、その気持ちを心得て、食べごろになるまで熟成干しして出荷して頂いている苦労を分かるようになったつもりです。だから、極上粒は1ケ@700円~900円もするのかと・・・。体験は楽しんで、なお色々なことを教えてくれる想い出です。

”枯露柿は松里ブランドが極上品”と言われて評判です。武田信玄が干し柿を奨励し、美濃の国の蜂屋柿を移植したのが始まりだといわれています。江戸の昔から、甲州八珍果として上等の献上物になっていて、今に伝えられています。甲州百匁柿は他に類を見ない大粒で、自慢の特産品です。ぜひ、賞味して見て下さい。他にない絶品ですよ!

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Photo_4 「甘草屋敷」内には市の”こども図書館”があります。古い農家の畳のある部屋で子どもの本が読めます。丁度、この日は塩山愛育園の元気な子供たちが愉しそうに学習をしていたので、写真を撮らせてもらいました。

子供さん全員をカメラに収めることが出来ないで済みません。全員を写そうと声を掛けるたびに、せっかくの素晴らしい笑顔がかしこまってしまったので、瞬間に撮ったスナップ写真を掲載させてもらいました。YS

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「甘草屋敷」は、山梨県東部に分布する江戸時代の養蚕農家の典型で、茅葺き(現在は銅板葺き)で切り妻造りの重要文化財に指定された旧高野家の古民家史蹟なのです。江戸時代、八代将軍吉宗の治世(1720年頃)に、幕府の採薬使、丹羽正伯が当時高野家の薬草園を見聞して、幕府御用が申し渡されて以後、薬草の甘草(かんぞう)を栽培して幕府に納めていたところなのです。「ドラマ暴れん坊将軍(吉宗)でご存知の小石川療養所にあった小石川薬草園」に、ここから薬草が納められていたと思うと、とても身近に感じますね!?

現在は、重要文化財として市が所有管理をしていて、「薬草の花咲く歴史の公園」として、まちを訪れる人々をお迎えしています。 ※市の広報による。

結構、重要文化財は維持管理にお金がかかるだけで、”見せ物的”な施設が多いのですが、この施設は、歴史資源のことが良く分かっているだけではなく、”まちは人々の温かい触れ合いがあってこそ良いまち”ということを心得た廣瀬館長さんならではの運営力だと思いますね。善意のボランティアの人々と一緒になって、訪れる人々を親切にもてなして、この施設は、人々のために”活かされていている”のが良いですね!YS


5)山梨の里、”万葉のくさもち”のお母さんが作る”すいとん料理”

2010-11-09 | 山梨、郷土食と温かいもてなし!

秋に楽しみにしていた・・・。山梨大工にある丸山さん家の”すいとんの手料理を食べに行って来ました!

山梨市大工は、雁坂道の山梨市北にある”大井俣窪八幡神社”(源氏の祖といわれる清和天皇の勅願により、859年に宇佐八幡宮が勧請されたといわれ、重要文化財が9件、県指定文化財が3件もある凄い神社)を創建する時代に、全国から呼ばれた宮大工が集まって出来たと伝わる山里です。北には”6代続く老舗の養老酒造”(築約200年近いと推定される趣ある酒屋)と酒蔵櫂(コーヒーも飲める)など立ち寄り処もあり、興味深い旧道を抜けて、北の八幡横から市川を通り、太良峠(たらが峠標高1120m)、武田信玄の生誕地、積翆寺温泉方面へ抜ける道31号線を上ると大工へ行ける。”万葉のくさもちの幟”が迎えてくれます。

Photo_5 ”丸山さんの家”の手作り”万葉のくさもち”はよもぎの葉色濃く、如何にも手作りの味が香ばしいのです。遠くからも車で訪れる客の多い評判のお菓子屋さんなのです。”丸山さん家”は、お母さんの入れてくれる美味しいお茶と心を込めた”自慢の手作りのおだんご”を軒先の縁台で味わえる処です。

京都でよく見る赤い大日傘と毛氈を敷いた丸太の椅子がくつろげます。

”お茶とお団子”で旅人を和ませる、まるで昔の”峠の茶屋”がここにはあります古都の里山を思わせる”旅のいやしがある茶店”といった方がぴったりの感じです。そう、お菓子店ではなく、”峠の茶店”なのです。

丸山のお母さんは”京都が大好き”だそうです!だから、何となく雰囲気があるのですね!

くさもちだけでなく、初夏のよもぎの収穫を終えると、夏は新鮮なよもぎの風味を味わえる”よもぎ蕎麦”を食べさせてもらえます。どこにでもはない、丸山さん家ならではの蕎麦の味です。何気ない添え物の手作り漬物も絶品です。

今回は、珍しい”すいとん料理”を食べさせてもらえるというので訪れてみました。丁度、丸山のお母さんがすいとん料理を作っているところに伺い、写真を撮らせてもらいました。何と優しそうで、心を込めて料理を作っておられるか、この写真でも伝わりますよね!?Photo_6

調理場で”すいとん”を煮る丸山のお母さんの姿は想い出す”おふくろさん”の優しい料理姿ですね!

毎日、よもぎ汁(ジュース)を飲んでいるこのつややかなお母さんのお顔のつやをご覧頂けますか?ほんとうに若々しい美しい姿ですね!美味しいはずです!

Photo_9 今はなかなかない欅無垢の火鉢に炭火を入れた温かい食卓に、特別に”すいとん料理”を運んで頂きました。

「温かいことろで、召し上がって!」というお母さんの心遣いなのです。嬉しいですね!

Photo_8 良くダシの効いた見事な”すいとん料理”でした!甲州の名物料理は”ほうとう鍋”と言うけれど、忘れられている”すいとん料理”は昔は全国的に、もっと馴染み深い食べ物であったので、ここのすいとんの味なら、きっと懐かしく喜ばれる美味だと思いますね!

今度はぜひ家内を連れていってあげたいと思っています!皆さんもぜひ訪れてみて下さい。

美肌になる特性のよもぎ汁は非売品ですが、お母さんに頼んで飲ませてもらってみれば・・・きっと、また行きたくなりますよ!?YS

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名物になるであろう!手作り”まんようの糸切り餅”

デザートは”よもぎの糸切り餅”、素朴な味ですが、ほんとうの手作りの美味しさです。あちこちで売っている甲州名物”OO餅”などは比べ物になりません。ただ、丸山さん家を訪ねなければ味わえませんが、わざわざでも訪ねて食したいお勧めの味なのです!

ご参考:

”すいとん”の歴史は古く、室町時代の書物に、既に「水団」の字が見られるようです。江戸時代から戦前は、すいとん専門の屋台や料理店があちこちにあって、当時の庶民の味として親しまれていた。しかも昔の食糧難を補ったヒット料理なのである。忘れられた”日本の郷土料理”なのです。※どうも、昔を知る人が、「戦時中食料がない時、すいとんをすすったことがある」などという人がいて、まるで、すいとんは貧しい食べ物の代名詞のように聞こえるようになって誤解をされ、忘れられた郷土料理になったのではないかと思われます。どうして、どうして、意外に手間がかかり、温かいお袋の心がなければ、家庭でもなかなか食べられない味になっていて、”今、復活して欲しい郷土料理”だと思いますよ。ぜひ、万葉のくさもちの丸山さん家を訪ねて頂き、賞味して見て頂ければ、私の表現で足りない、真の味覚が伝わると思います。

※以下、ウイキペディア百科事典によると・・・、”すいとんの料理”名は、青森県、岩手県周辺で使われている。そこ以外にも、日本中に同様の料理が存在している。地方によっては、「ひっつみ」「はっと」「つめり」「とってなげ」「おだんす」の料理名で呼ばれる。これらは地方により、具材や出汁に特色があり、料理法も地域ごとに異なるため、厳密に云うならば、個々が異なる地域ごとの郷土料理といえる。


4)幽玄に歴史を伝える「裂石山雲峰寺」を訪ねる!

2010-11-09 | 山梨、魅力の歴史資源!

Photo 紅葉が美しい季節の「裂石山雲峰寺」を訪れた。大和奈良の古刹を思わせる雰囲気がここにはあります。

「裂石山雲峰寺」は、甲州市塩山裂石の大菩薩峠登山口にあって、昔むかし、”東山梨郡萩原郷裂石”というところの萩原山々麓、山頭飛雲嶺にある。苔むした仁王門へ登る石段は、幽玄の世界へタイムスリップするかのような感動がありました。※石段の先に車道があり、車で入れますが・・・。

745年(天平17年)行基上人が十一面観音を刻んで一庵に奉祀し、開創したとされたとされる古刹です。伽藍は室町時代に焼失したが、武田信虎と信玄が再建して、武田家の祈願所となった由緒あるお寺です。仁王門や本堂、書院、庫裡などは昔のまま保存されていて、国の重要文化財に指定されています。特に、普段は拝観できないが、書院は大変美しい。

Photo_2 また、武田家終焉の将となった武田勝頼は、織田・徳川連合軍に追い詰められて、甲斐大和の田野で自刃した際、七人の家来が大菩薩山中の上日川峠を越えこの雲峰寺に逃げのびて、武田家伝来の家宝”日の丸”(日本最古の旗)や風林火山で有名な軍旗”孫子の旗”などをこの雲峰寺へ奉納し、隠し守ったと伝えられています。今でも当時の古びた軍旗が宝物殿に保存されています。

※その家臣は生き延びて、御旗を守るため武田家臣の名前を隠して、裂石の里に隠れ棲んだという話もあり、その子孫は現在も存続しておられるという話を聞いています。

Photo_3最近、この寺の庫裏を守るため、若奥さんが後継されたようで、この日も広い境内の落ち葉掃除をしておられたところを訪ねましたが、とても明るく、優しい案内は、この地域のお寺を訪ねた中では、特に、素晴らしい印象が残 っています。※若奥さんの写真は、はずかしいとおっしゃるので割愛をしました。

雲峰寺の若奥さんの”素晴らしい”案内に誘われて、初めて、寺の山頭にある「象頭山金毘羅宮」を訪ねてみました。その祠へ向う参道の途中で、”雲峰寺の全容”を上から眺めることができました。

Photo_4 「象頭山金毘羅宮」は、約470年前、武田家本拠を石和郷川田館から甲府つつじケ崎館へ移転した時、鬼門除けのこの地に甲斐国鎮護、軍中守護神として勘遷した。

参道の古びた石段は緩やかだが224段あって、甲州市の散策路に指定されている。しかし、役所の誰かが安易に命名したのであろうが、何と”納涼コース”と標識名で、歩いた雰囲気と場違いも甚だしい命名だと思いました。YS