新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

東京から移住して”新甲州人”になった元観光のプロが探訪する”山梨の魅力再発見!”
旅人目線の特選記事を抜粋して発信!

27)甲斐大和、武田家終焉を偲ぶ”秋の里山歩き”!~その1~

2011-12-09 | 山梨、往古の歴史と伝説!

甲斐大和は、武田家終焉の悲劇を語り継ぐ、幽愁の里山!

ここ甲斐大和は、甲斐武田家第19代”武田信玄”を後継した第20代勝頼が天正3年(1575年)、織田・徳川連合軍に長篠の戦いで敗れ、天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍の甲斐侵攻によって敗退をやむなくし、小山田信茂の大月・岩殿城を目指す途中、信茂の謀反にあって、甲斐大和天目山へ退避を図るが、田野の鳥居畑で、3月11日、勝頼主従はついに自刃して果て、”武田家終焉の地”となったところです。

また、その昔、室町時代前期にも、甲斐武田氏の13代当主「武田信満」が、天目山で自刃したところでもある!それほど山深いところにある天目山栖雲寺は、堡として、隠れ里に適しているところだったのだろう! 

武田信満は、室町時代前期応永20年(1413年)に、武田家歴代で唯一山梨郡千野郷(現甲州市塩山千野)に館を構えた第12代武田信春の死去により家督を継いで第13代当主、甲斐国・安芸国守護となる。1416年、鎌倉で鎌倉公方と前関東管領の上杉氏憲(禅秀)の対立から反乱が起こった時、信満は、氏憲に味方したため、翌応永24年(1417年)、将軍足利義持の命を受けた上杉房方や今川氏の幕府軍に鎌倉に攻め入られて敗れ、氏憲は自害して鎮圧された。信満は甲斐国に敗走したが、やがて上杉憲宗の追討を受けて、木賊山にて自害して滅亡した(鎌倉大草紙)。その墓所が天目山栖雲寺にあるのです。

注)信満の滅亡により、甲斐国は一時守護不在になり、国人による騒乱期に陥った。

武田満の自刃後、武田家は嫡男信重がいったん高野山に篭もり、後に再興し、・・・信虎、信玄と続くが・・・、勝頼の代で武田家終焉の地となった甲斐大和は、甲斐武田氏にとって、2度も”数奇の運命を辿った因念の里”でもある!注)歴史概要は後述MEMO参照

Photo_26 『甲斐大和』は、南北朝時代貞和4年/正平3年(1348年)、名僧業海本浄(ごっかいほんじょう)が、かつて中峰明本(普応国師)から教えを受けた”元(中国)の杭州天目山”を彷彿する木賊(とくさ)山を選び、修行道場として「天目山護国禅寺(現栖雲寺)」を創建したところで、山号を”天目山”としたことから、現在、木賊の地を”天目”とも言う。

”大和木賊は、約660年前に拓かれた憂愁の山郷でもある。

天目山栖雲寺※「石庭会館」から富士山も望める!

鎌倉時代には勝沼(現甲州市)以東の諸村を”深沢郷”と称し、江戸時代には、日川右岸の初鹿野(はじかの)、旧甲州街道で開けた鶴瀬(宿)2村が山梨郡栗原筋(後の東山梨郡)に属し、日川左岸、笹子峠下の日影(駒飼宿)、田野村、木賊村3村が八代郡石和筋に属した。

江戸時代慶長検地の後、”深沢郷”にあった鶴瀬、初鹿野(はじかの)、日影、田野、木賊村が、後の大和村の原形を形成したようです。

昭和16年2月、5ケ村が合併。「大いに和する」願いを込めて”大和村”が誕生。

その後、平成17年(2005年)、塩山市、勝沼町、大和村の3市町村が合併して、甲州市になり、”大和村”は消滅したが、地名として甲州市大和町田野、大和町初鹿野などと、そのまま残されている。

JR中央線の駅名は”甲斐大和”駅。明治36年(1903年)2月1日、中央本線が大月~当駅まで開通した。当初の駅名は、所在地の初鹿野(はじかの)とした。1993年(平成5年)に現在の”甲斐大和”駅と改称された。注)明治36年6月11日、初鹿野~甲府駅間が延伸され、中間駅となった。

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今号は、甲斐大和の天目(木賊)”栖雲寺”~”竜門峡”~”景徳院”ルートの”悠々散策プラン”を紹介します!

晩秋の木賊”栖雲寺”から、竜門峡遊歩道を下って、田野”景徳院”へ歩いて見ました!

延べ約3時間の軽い散策です!※11月の取材ですが、都合で12月号で紹介しました。

甲斐大和へのアクセス

Photo_2

左:甲州市ガイドMAP抜粋複写

電車:JR中央本線 ”甲斐大和”駅下車 

新宿から各駅停車でも約1時間50分@1890円。

特急で大月乗換え約1時間30分@2790円。 

”特急かいじ”で、JR塩山駅に下車すると・・・、

甲州市民バスで約1時間のバス旅を楽しめる。

甲州市縦断線のバスは、塩山市街地を巡り、勝沼(旧街道、大善寺経由)、大和(笹子峠入口、駒飼宿、JR甲斐大和駅、景徳院入口、竜門峡入口、やまと天目山温泉経由)天目まで、里山の景色が美しいルートです。

”のんびりバス旅観光”を楽しみ、歩く時間を短縮できて・・・、さらに今回紹介の散策コースは、緩やかな下り道歩きで、とても楽々です。”ぶらり散策旅”にもお薦めです!

バス旅:JR塩山駅前9:07発、又はJR甲斐大和駅9:54発、天目(栖雲寺)10:08着がお勧め。半日ゆっくりと散策できます。帰りのバスは、景徳院入口14:05発、甲斐大和駅14:09着又は塩山駅14:57着

※塩山駅下車も、バス旅の楽々日帰りプランが可能です。※甲州市民バスは全区間@300円。

注)運行時刻は変更になる場合があるので、要事前確認。TEL栄和交通0553-26-2344

車:中央自動車道 甲斐大和BS、国道20号線(甲州街道)、山梨県道212号線日影笹子線(笹子峠超え)などがあります。

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「甲斐大和、悠々散策プラン~そのⅠ~」は、天目山栖雲寺”がスタート拠点・・・!

甲州市の竜門峡遊歩道ハイキング 標準コース案内は・・・、

注)遊歩道を上り、車道を下るコースとなっています。これは、里道にある天目山温泉?入浴とレジャーセンター(ヤマメの釣り堀と蕎麦処)に寄るコースとして、推奨されているためです。

甲斐大和駅→(2.2km徒歩40分)→景徳院→(1.4km徒歩20分)→竜門峡遊歩道入口(竜門橋)→2.4km徒歩60分~80分→天目山栖雲寺→(0.5km徒歩8分)→やまと天目山温泉→(1.5km徒歩20分)→日川レジャーセンター→(0.6km徒歩10分)→遊歩道入口(竜門橋)→(1.4km徒歩20分)→景徳院→(2.2km徒歩35分)→甲斐大和駅 ※歩行約4時間30分のコースを紹介しています。

今回は、”ハイキング弁当持参”で、竜門峡遊歩道で紅葉の渓谷美を眺めながら、ゆっくりと”オニギリ”弁当などを食べるプランです!歩行時間は、ゆっくり歩きでも約1時間20分に短縮で・・・、楽々プランです。

注)特に、秋の紅葉時は、寒い日もあるので、途中入浴コースは要注意です。歩行時間プラス栖雲寺見学約30分、昼食休憩約30分、景徳院見学約30分、計1時間30分を組むことも可能です。延べ約3時間程度の散策です。※途中撮影等道草時間を含めた参考プランです。

甲州市民バスで訪ねる「甲斐大和、悠々散策プラン」の詳細!

B 新宿・八王子から特急(かいじ、あずさ)なら、JR塩山駅で下車

中央本線・各駅停車ならJR甲斐大和駅下車

塩山駅前9:07発===JR甲斐大和駅9:54発===天目山栖雲寺10:08着10:10発~天目山栖雲寺見学(寺宝見学は事前予約要)・・・竜門峡遊歩道入口・・・平戸の門・・・丸太橋・・・11:20~東屋(休憩舎・昼食 の敵地)・・・落合三 つの滝・・・東電取水口・・・竜門峡入口駐車場・・・※蕎麦切「砥草庵」(※要事前確認)・・・景徳院見学・・・13:50着景徳院入口バス停1 4:05発===JR甲斐大和14:09着、JR塩山駅14:57着

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天目~竜門峡~景徳院の散策ポイント!

天目山栖雲寺”は、”そば切り発祥”の地としても知られる!(寺伝は後述)

バス停から栖雲寺入口      栖雲寺境内※銅鐘は甲斐5鐘の一つ      栖雲寺本堂と庫裏           

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天目山栖雲寺 創建時は天目山護国禅寺。別称:棲雲寺。

武田信満公が開基、名僧”業海本浄”が開山した名刹!

注)寺記では開基が武田信満公と解説されているが、年代的に見て武田信武公とする説が多い。当時安芸国を本拠地にしていた武田信武公(1292年~1359年又は1362年説)は武田家中興の祖と云われ、1351年に混迷の甲斐国へ入国を果たして、甲斐守護職となった時期で、実質的には信武公あっての創建ではないかと思われる。

ここでは寺記による信満公を開基と記すが、筆者は注の専門家説を注視する。訪ねる時は、ぜひ関心を以って拝観してみては如何ですか!?

南北朝時代、”業海本浄(ごっかいほんじょう)という僧が、文保2年(1318年)に”元(中国)の天目山(杭州)”に渡り、中峰明本(普応国師)に教えを受けて、嘉歴元年(1326年)に帰国後、20年にわたって諸国を巡り、貞和4年/正平3年(1348年)、天目山に立地環境が似ていて、修業に相応しい地として選んだところが、甲斐国の木賊山(現甲州市大和天目)であった。

想像するに、当時の木賊山中で選らばれた境内地(現栖雲寺)は、山深く、険しい渓谷を登って辿りつける唯一の立地であったのだろう。現在でも、幽玄さが漂う見応えのある名刹です。

栖雲寺は、①武田信満の廟所、②開山業海本浄の宝篋印塔、③木像普応国師像、④業海本浄作、日本有数の”禅の石庭”、⑤室町時代(延文4年の鋳造名がある)銅鐘、など文化財を有する。また、武田家ゆかりの①信玄公軍配、②武田軍旗、③信玄公使用の兎の文鎮などが寺宝としてある。

※本堂等の拝観は要事前予約。

臨済宗建長寺派の寺院で、現在は常住ではないが、建長寺の青柳真元和尚が兼帯しておられ、ホームページを通じて、詳しく開帳されています。

詳しくは、http://www.tenmokusan.or.jp/contents.html をご覧ください。

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武田信満公の墓1417年(応永24年) 開山業海本浄の宝篋印塔※1352年(観応3年)造立Photo_3 Photo_2

Photo_4石庭会館(休憩可)と庫裏

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注)武田信満の解説MEMOは後述・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

栖雲寺の石庭は、花崗閃緑岩と自然そのままの幽玄な世界!

経文を刻む「百字石」           紅葉が見事な石庭         Photo_5Photo_7 禅修業した座禅石、磨崖仏等の史蹟Photo_6

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竜門峡を歩く・・・!

富士川水系の日川上流にある天目から田野の間の美しい渓谷が”竜門峡”と呼ばれる景勝地。さらに、上流には、「嵯峨塩鉱泉」の一軒宿があり、上日川峠に通じている。

大菩薩嶺を背景に、上日川峠と石丸峠の狭間に日川の源流があり、標高が既設第3位で1486mにある「上日川ダム=大菩薩湖」があって、富士山も望める。※地下500mに東京電力の発電所がある。注)大菩薩湖では、高山でしか見られないコマクサが育成されているとのこと、車で行ける場所で、コマクサが見られるところは、他にない穴場ですネ) 

かつて、道なき山道であった木賊山から上日川峠を越えて、武田家の家臣は、家宝の軍旗や軍配、楯無の鎧などを塩山の雲峰寺や菅田神社の境内などに隠し守った話を想像すると、昔の人は凄く険しい山中でも、命がけで踏破した想いが蘇る!

実際に歩いて見ると、”渓谷の自然美も美しく、紅葉の季節はお薦めです!

竜門峡入口と散策路           平戸の門(岩潜り)           渓谷の丸太橋

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