新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

東京から移住して”新甲州人”になった元観光のプロが探訪する”山梨の魅力再発見!”
旅人目線の特選記事を抜粋して発信!

小金沢連嶺の石丸峠から、富士山、南アルプス、八ケ岳、金峰山の大展望!16-07

2016-07-02 | 山梨、魅力の山行!

山梨のお薦めハイキングコース・・・小金沢連嶺の石丸峠・・・!

石丸峠は標高1910m。大菩薩峠・嶺に慣れたら次は石丸峠がお薦め・・・!

今号は山梨ハイキングの穴場スポット「石丸峠と小金沢山」コースを紹介します。

石丸峠に登る登山道から望める八ケ岳と右手前に奥秩父山塊の「金峰山」 ! 

石丸峠が近づくと、壮大な南アルプスの大パノラマが凄い・・・!

石丸峠は標高1910mだが、大菩薩峠(標高1900m)ほど有名ではない。

往古、甲州街道を表街道として”甲州裏街道と”呼ばれた大菩薩越(萩原口、後の青梅街道)

の抜道であったとも言われる。

かつて日本百名山の深田久弥氏が大菩薩嶺に登るのに「登山道が整備されていない時代、

大月から小金沢連嶺を越えて大菩薩嶺を目指した」と云われる。今も登る人はあまり多くない。

石丸峠は、大月~真木(現在真木小金沢林道)~湯ノ沢峠~白谷丸~黒岳~川胡桃沢ノ頭~

牛奥ノ雁ケ腹摺山~小金沢山(2043.3m=雨沢ノ頭)~狼平~石丸峠~の尾根道と・・・、

上日川峠から~小屋平へ抜けて~石丸峠~牛の寝通りと呼ばれる尾根道を下り、榧(かや)の

尾山、狩場山、棚倉を経て~小菅村へ下る大菩薩越(青梅街道)の抜道であったらしい

このあたりの山道は、往古黒川鶏冠山(1710m)あたりが”黒川金山”として栄えた頃・・・、

金鉱石や砂金を運び出す間道として歴史に残る幾多の”金の道”などがあり、興味は尽きない。


 今号は歴史道が目的ではなく、大パノラマを楽しむハイキングコースの紹介です!

登山口は大菩薩峠「上日川峠」バス停の一つ手前、小屋平「石丸峠登山口」で下車。

甲斐大和駅前発栄和交通の「上日川峠」行バス時刻は季節運行なので別途確認。所要約36分。


暫く樹林帯の中を登ると県営林道に出る!この林道の標識から登山道は一本道!


樹林帯から石丸峠の尾根が覗き、小金沢山方面の右先には富士山が見え始める!  

 


 登り約1時間10分。石丸峠近くになると眺望も開け、ぐ~んと山歩きの気分が高まる!

 


富士山の眺望もこんなに雄大に見える!少し雲をかぶった富士山もタマにはイイ!

   


大菩薩嶺の岩塊斜面に似た石塊の道を越えると大菩薩湖と甲府盆地の先に南アルプス!

  


石丸峠(ピークは1910m)。振り返ると熊沢山(1978m)は熊笹が茂る山肌!

  

熊沢山を越えて約30分で大菩薩峠介山荘へ至る。南西側に展望が開ける。


石丸峠から南方を見ると、笹原尾根の先に、小金沢山(2014m)が聳える!

 写真右:狼平(笹原)の美しい小金沢山 写真左:1957m峰天狗棚山から見る小金沢山!

 高齢者や初心者は気候が良く見晴らしがイイ日に、この辺で折り返すとゆっくり出来て最高!

 ここなら、富士山、奥秩父山塊(金峰山)、八ケ岳、甲府盆地、南アルプスを堪能できる!

  

小金沢山(こがねざわやま)は山梨県大月市の最高峰で甲州市の境にある山。

大菩薩嶺から南側へ続く尾根筋を小金沢山稜または小金沢連嶺と呼び、その主峰の山。

相模川水系の葛野川の源流となる小金沢(黄金沢とも書く)が湧き出ることから、

その名が付けられた。天狗棚山の北側は多摩川水系、南東側は桂川を経て相模川水系、

西南側は重川~笛吹川を経て富士川水系と三つの水系の分水嶺になっている。

小金沢山は、三角点が設置された当初は雨沢ノ頭と命名され、小金沢山の名は当山より

南側の黒岳につけられていたという。注)ウイキペディア参照。

山の東側一帯は「小金沢水源の森」として林野庁の森百選に選ばれている。


天狗棚手前の笹原には牛の寝通り分岐の標識があり、左へ下ると小菅村へ通じる昔道。

  


笹原を過ぎて小金沢山の取付きから急に登山道が荒れてくる(人があまり歩かない様子)!

  

標識が要所にあるので登山道は迷うことはないが、笹が道を隠すことによる道迷いに注意要。


この日、秀麗富嶽十二景「小金沢山」の富士山方向は雲に覆われてしまったので登頂中断!

注)この写真を撮った日は、小金沢山への取り付きから、②のコブ、③のコブを経るが、

上記写真左の如く、頂上を踏んでも眺望が期待できなくなったので、僅か手前だが・・・、

③のコブで昼食を済ませて折り返すことにした。

以前にも登ったことはあるし・・・、頂上の写真は以前のもので間に合わせをご容赦。

筆者も高齢になっているので、ゆっくり歩き安全第一の登山はもちろんですが、甲州に

移住して以来、時々登る山梨での山登りは晴天を確かめて出かけるように努めているが!?

特に6月~7月は梅雨のシーズンだし、山のパノラマ展望が期待できない日が続いたので、

以前、撮った5月6日の晴天の日に登った時の写真を使用したものです。

この時も、石丸峠付近では最高の展望だったのですが、段々と雲が出てきて残念!ご容赦。


 参考:「石丸峠と小金沢山」山行スケジュール

日帰り山行:JR甲斐大和駅から栄和交通バス大菩薩峠行は1日4本季節運行、各自確認要。

小屋平~石丸峠上り歩行約1時間10分、石丸峠~小金沢山上り歩行約1時間20分。

歩行標準時間上り計2時間30分、下り約2時間+15%計画しても帰りのバスにも楽々です。

さらに筆者は撮影や休憩などに約1時間組んでの行程です。各自の都合に合わせて計画下さい。


JR甲斐大和駅前===小屋平(石丸峠入口)===小屋平発・・・・

8:10発          8:46着 ※登山準備後 9:00出発

県営林道分岐・・・・・新登山道分岐・・・・岩塊斜面・・・・

9:02頃           9:06頃     9:50頃

石丸峠(1910m)・・・・牛の寝通り分岐・・・・1957m峰

10:05頃着        10:23頃      10:32頃

(天狗棚山)・・・・狼平(笹原)・・・・小金沢山取り付き・・・

※展望抜群!      10:50頃    11:05頃

②のコブ・・・・③のコブ・・・・小金沢山(雨沢ノ頭2014.3m)

        12:05頃 ※昼食 ③のコブから頂上へは約20分

帰りはピストンルート。小屋平発15:00、15:50発の甲斐大和行。


 

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45)古代ロマンの足跡と自然が移ろう石和の「大蔵経寺山」!

2013-05-02 | 山梨、魅力の山行!

 

古代ロマンの足跡と自然の移ろいを訪ねる”大蔵経寺山”

標高715.6m!

”鎮目”にある「山梨岡神社」の御神体でもある神々しい山!

4月中旬、大蔵経寺山は新緑に映える”マルバアオダモの群生”

とヤマ桜が美しい!

大蔵経寺山登山案内掲示板Photo_2 Photo           JR石和温泉駅から見る「大蔵経寺山」

 

 

 

 

 

 


往古は、獅子が蹲踞(そんきょ、そんこ=うずくまる)する形に似ているので、

「青獅子山(せいししざん)」と称し、「松本寺=現大蔵経寺」の山号になったこともある。

注)この登山案内掲示板は大蔵経寺境内登山口に掲示してあるもので、別途、巻末に、

「登山ルートMEMO」を添付してあります。


今回は、古代ロマンが眠る山梨百名山「大蔵経寺山」の山行記録を紹介します!

登山の目的は、大蔵経寺山周辺に伝わる古代甲斐国の歴史探索であるが、多くの謎々を

解かなければならない。

時間を要するため速報版として、山梨百名山「大蔵経寺山」の山行記録を紹介します。

行程:4月13日(土)晴天 ※日帰り 

※標準コースタイムは上り約1時間半、下り約1時間半

石和温泉駅前9:00AM発・・・140号(雁坂みち)山神宮前交差点・・・

山神宮前宮9:05・・・山神宮口イノシシゲイト9:20・・・山神宮石段9:40・

・・山神宮奥宮9:50(小休止)・・・鞍掛塚・積石古墳10:15・・・

林道分岐10:18・・・林道終点10:25・・・大蔵経寺山頂上11:00(小休止)

・・・展望地上(昼食休止)11:50・・・展望地12:30・・・大蔵経寺境内

イノシシゲイト13:10・・・物部神社13:15(小休止)13:20・・・

大蔵経寺13:25着・・・石和温泉駅前着13:35頃

注①上記歩行時間は、スナップ写真と小休止の時間を合わせて、上り約2時間、

下り約2時間半をかけて歩いたタイム記録です。

ゆっくり歩くことで何もないと思う山もいろいろな発見に出会い、楽しいハイキングになります。

注②大蔵経寺を拝観する場合は、拝観時間を約20分程度要。14:00PM頃石和温泉駅着

の予定を組むと良いでしょう。但し、拝観料300円と”心得”が必要です。

注③登山ルートにある、山神宮(前宮、奥宮)、積石古墳、大蔵経寺山、石切場跡、

物部神社など要所の予備知識があると、なお楽しく歩けます。

※山頂には遺跡や遺構は見当たらないが、往古には大蔵経寺山(御室山)山頂に物部神社が

あったとか、古城があったとか・・・、南面には、少々痛々しいが、昔は石切場として石和

の繁栄を支えた山であったことなど、関心事は多い。

特に、マルバアオダモの群落は心地よい”癒やしの風景”になる。

さらに時間の余裕があれば、山梨の呼称発祥のゆかりがある「山梨岡神社」も訪ねて見る

ことをお薦めします。

※大蔵経寺山は、御室山と並びこの神社の御神体ですから・・・。

また、「菩提山長谷寺」も一見の価値ありです。


JR石和温泉駅前から・・・、松本の「山神宮=天狗神社」里宮へ・・・! 

通称”お天狗さん”と”鞍掛塚積石古墳”が第一目標地点!

「山神宮」里宮をスタート地点に、奥宮~積石古墳を経て、大蔵経寺山頂を目指す。

Noは、PDF資料③の位置参照Noです。

 起点:JR石和温泉駅          ①登山口は松本「山神宮前宮」Photo_12 003

 

 

 

 

 

 


②里宮のイノシシゲート            山神宮奥宮赤鳥居   

007Photo_5 

 

 

 

 

 


新緑も美しいが・・・、マルバアオダモの群生は、とても優しく、迎えてくれる!017_2 Photo_6

 

 

 

 

 

 


 

閑話休題:   「マルバアオダモ」 Ask.com百科事典による

 マルバアオダモ(丸葉青�丁、学名:Fraxinus sieboldiana)、モクセイ科トネリコ属の落葉高木。雌雄異株。別名:ホソバアオダモ、トサトネリコ、コガネアオダモ、コゲナヤチダモ。アオダモは(石和町誌大蔵経寺山山林の植物調査でも、別名:コバノトネリコとして確認されている

 幹の高さは5~15m。花期は4~5月。白色の4弁花を蜜に咲かせる。花弁は6~7mm。果実は長さ2~2.7cmの翼果となる。

 新緑の雑木の群落の中に、白色の淡い花の群落が映える!登山道の癒やしの風景をなす。大蔵経寺山に相応しい”佛”の樹花(�丁=ダモ)のよう・・・!?


 

③160段の石段は”山神の境地へ”(左に巻き道あり)③「山神宮・奥院」Photo_8 016_2拝殿と本殿

 

 

 

 

 


閑話休題:  ③「山神宮」

 通称:「お天狗さん」として山麓の里人に親しまれている!

 笛吹市石和町松本にあり、松本山岸組小物成山字三斗六升の天狗山の山腹に鎮座する

山神宮(別名:天狗神社)と称し、祭神は大山祗命(おおやまずみのみこと)を祀る。

火伏の神、家運繁栄の神として広く信仰を集める。

弘化2年(1845)正一位山神宮として奉遷され、天狗の面(作者不明)があるという。

拝殿に向かう参道は、急峻なジグザグ道。赤い鳥居を経て百段余り(数えた人は160段

と書いている)の石段を仰ぐ時、霊験あらたかな”山神宮”の境地が見える!  


登山道は山神宮の上から大岩のガレ場   ④鞍掛塚積石古墳(史跡)を通る Photo_9 025       

 

 

 

 

 

 


閑話休題:  ④「鞍掛塚石積古墳」

大蔵経寺山周辺には、縄文、弥生、古墳、平安時代の遺跡が、数々発掘・確認されています。

 鞍掛塚積石古墳は、大蔵経寺山周辺の積石塚古墳群、3つの支群の一つで、通称松本天狗山の山腹にある古墳です。

直径は15m、全長2.75mの竪穴式石室で、往古の渡来人の墓石室であったのではないかと言われている。そんな大昔から・・・、この地に人々が住み始めた証でもある。


⑤林道と合流後、この標識を右へ登る ⑥目印を頼りに登るパズルのような岩間の登山道027029

 

 

 

 

 


⑦大蔵経寺山頂 標高716m※715.6m大蔵経寺山は要害山への尾根筋

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⑧下山は分かりやすい登山道をゆっくりと満開のヤマザクラが青天にたなびく!034037

 

 

 

 

 


御坂山塊”黒岳の向こうに富士山が覗く     大蔵経寺を眼下に覗く

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045富士山・御坂山塊を背景に甲府盆地の展望 ⑨大蔵経寺口のイノシシゲート                                       052 

 

 

 

 

 


 

⑩古代の謎が眠る”物部神社” 056      ⑪甲斐の名刹「松本山大蔵経寺」                 058

 

 

 

 

 


物部神社

往古は、御室山(大蔵経寺山)山頂に鎮座していたと神社で、後世になって現在地に

遷座されたと伝えられている。 

江戸時代は、別名:”物部十社明神”と称し、「古事記」によると神武天皇(イワレビコ)

の神武東征において名を残す饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を物部氏の元祖として

10代までを”10神”として祀る。

貞観5年(863年)、清和天皇56年御代、甲斐国従五位下勲12等~、

元慶3年(879年)、陽成天皇57年御代、正四位上、物部�・従三位の位と田34町歩を賜る。

往古は、山梨郡御室山(=大蔵経寺山)に鎮座したが、後世に現在地に遷座されたと伝わる。 

この往古の年代が推定できればロマンは膨らむが、大蔵経寺山頂には遺跡や遺構も

発見されていないようで、専門家の探求を期待したい。

注①2代目「宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)が、物部連(もののべのむらじ)、

穂積臣(ほづみのおみ)、采女臣(のごめのおみ)の祖とも言われている。

注②物部氏は古代の話であるが、神武天皇が大和国の平定の折に、功をなして以来、

代々朝廷に仕えて、垂仁天皇の御代に朝廷を警護し武事を掌握する部族の総称として

「物部」の姓(かばね)を賜る。

注③神武天皇(推定BC660~BC585年在位)は神日本磐余彦尊(かむやまといわれ

ひこのみこと)といい、日本神話に登場する日本初代天皇76年(古事記、日本書紀による)

※神武天皇という呼称は、奈良時代後期の文人淡海御船が歴代天皇の漢風諡号(しごう

=おくりな)を一括撰進したときに付されたといわれる。

注④垂仁天皇(推定BC29~AD70年在位)は活目入彦五十狭茅尊(いくめりいびこい

さちのみこと)といい、第11代天皇と言われている。

しかし、いずれも古事記や日本書紀の神話の時代の話であるので、史実の特定は難題ですが、

それは専門家にお任せしたい。凡人としては、謎々の多い魅力のある「大蔵経寺山」周辺に

存在する古墳や数々の史跡、伝説を訪ねることでいろいろな感慨があり、素直に歴史ロマンを

楽しみたいと思っています。

BC300~100年頃~弥生時代に小国家が生まれ、AD1年、倭国百余国と邪馬台国卑弥呼

を共立した大和国が誕生する神話時代以前の話でもあるし、大和政権の国家統一が進むのは、

AD360年頃と言われているので、時代考証を確認することと物部氏が朝廷より甲斐国開拓

と支配のために最初に派遣された人物だとすれば、渡来人の来朝と物部氏族80~100氏族

とも言われる子孫の誰かを特定することなどは、専門家の間でも難題なようです。


筆者は、延喜式神名帳三代実録等で、古代において甲斐国一宮(後世は浅間神社)の格式

を有したこの「物部神社」こそ、”大和朝廷と繋がる由緒深い神社”として興味をもっている。

この「物部神社」の存在こそ、甲斐国開拓(甲斐国最初の支配)のため朝廷から派遣された

物部氏族の足跡を証すゆかりの神社ではないかと・・・、

現在、知りたい謎々のテーマである。

この大蔵経寺山とその山麓には、往古の歴史ロマンがたくさん眠っている!

もしかしたら、古代の甲斐国を最初に支配した歴史上の人物こそ、物部氏族であった

のではないかと・・・、興味は深まるばかりである!? 

興味本位の素人ですが、詳しく調べた方がおられたら教えを乞いたいと思っています。


⑪松本山大蔵経寺 寺記略伝によると・・・

松本山大蔵経寺は奈良時代西暦722年(養老6年)、法相宗の行基菩薩を開祖として創建。

略縁起によると、往古は「菩提山長谷寺」の本坊で「松本寺」と呼ばれており、

山内に「物部神社」を勧請し、大寺院であった。

南北朝時代の応安年間(1368年~)、足利三代将軍義満の子、観道上人が中興開山として

入山する際、甲斐国守護武田信成に命じて、七堂伽藍を建立させたと伝わる。

その時、山の形が獅子が蹲踞する形に似ているので「青獅子山」と号し、大蔵経を五重塔

(三重塔?)に納めたことにより「大蔵経寺」に改名。

その後「旧松本寺」の寺号を山号に変え「松本山大蔵経寺」となった。

この時、武田信成の代より、武田家祈願所に・・・、

天正年間(1590~1年頃)に徳川家康が祈願所と定め、葵の紋を寺紋として戴き

御朱印地を拝領・・・、江戸期には、新義真言宗談林能撰寺格(学問所)を有し、

甲斐国真言宗七檀林の一寺として、寺運興隆の一途を辿ったと記されています。

また、往古の松本寺は、物部神社の鎮守の神であったと伝わる。

「大蔵経寺」のことは、http://www.daizokyoji.org/info.html  をご覧下さい。

 往古は、御室山にあったと伝わる物部神社は、松本寺が創建される前からあったと

推定されるので、物部神社と松本寺はどちらが先に創建されたかは興味深いところです。

そうすれば松本寺が物部神社を勧請したこと、鎮守であったことなどの意味が説けると

考えている。 


大蔵経寺山の新緑に彩りを添える「マルバアオダモ」の花!佛の木に相応しい。                   

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20)三窪高原と柳沢の頭はヤマツツジが満開!

2011-06-26 | 山梨、魅力の山行!

三窪高原・・・、大自然に映えるヤマツツジの美しさに感動しました!

今年、4月から毎週末(土日)と祭日に、大菩薩峠登山口行バスが柳沢峠まで延長運行になりました!

※上りはJR塩山駅発9:25時、下りは柳沢峠発15:40発で、東京からの電車による日帰り山行が便利になりました。

Hp 三窪高原展望地から望むヤマツツジと富山!Photo 天ならこんな素晴らしい景色が!

上部の写真は、三窪高原の絶景!

注)甲州市観光案内所2007年広報より複写紹介しています。あいにく訪ねた当日は曇天で、筆者の写真では、ほんとうの素晴らしい展望を誤解されかねないので、借用して紹介しておきます。                         

昭文社登山マップにも三窪高原はガイドされています。訪ねる場合は、登山ガイドマップを持参すると安心です。最寄りの書店で販売しています。

2007年頃、三窪高原は、特に高原の中心地(展望地からNTT無線中継鉄塔の辺り)にあるレンゲツツジ畑がシカ被害にあって以来、現在、防護柵などで再生中であるが、地元行政窓口は、毎年行っていたツツジ祭りを中止してから、広報は散漫で、観光交流課や駅前の観光案内所の窓口では、開花情報等を聞いても把握しておりませんでした。甲州市は観光情報提供があまり親切丁寧ではないので、あまり頼りにならないのが残念です。「UP TO DATE」が可能なIT情報発信ができない”ベタ貼りホームページ”なので、お客の方が、むしろ新しい観光情報を交換し合っているのではないでしょうか!?辛口で失礼ですが・・・!?

※着地型観光旅行のホットな情報発信を提供できるのは、まだまだ時間がかかるようです!地元の方が発地観光情報に遅れているようでは情けないですネ!筆者のようなブログやインターネット情報を通じて、より活きた観光情報を交換することも大事ですネ!

大したことがない情報や小さなことまで、自由に発信できるので、観光パンフレットにはない情報が得られることだけは確かなようです。読者数が毎月増加しています!

今回の開花情報は、柳沢峠茶屋のHPと現地問い合わせで、最新情報を教えてもらえました。三窪高原一帯のヤマツツジの群生は6月中旬から下旬、特にピークは6月20日頃が見頃だというので、路線バスを利用して訪ねてみることにしました。

後で伺ったら・・・、柳沢峠茶屋のご主人が今年から大菩薩観光協会の会長になられたらしく・・・、どうりで、お話を伺った際、地域観光振興策の研究にも一所懸命さを感じました。

注)今年の4月から11月の土日祭にJR塩山駅南口から、大菩薩峠登山口行きのバスが柳沢峠(隔週土曜のみ落合行)まで延長運行されることになりました。

時刻は:山梨交通バス時刻表(山岳路線)を参照:http://yamanashikotsu.co.jp/noriai/timetable03.htm

インターネット情報を駆使するハイカーや登山者達は、このバス運行を知って、利用の知恵を巡らしているが、疑問が湧いています。残念ながら、塩山発の時刻は1時間早くても良いし、柳沢峠発の下りのバス時刻が15:40時なので、利用バリエーションが限られていて、どうしてこの時間に設定されたのかという理由はわかりません。三窪高原周遊はゆとりがあってツツジ散策コース周遊だけだと問題はなく、むしろ1時間半くらい帰りの待ち時間が余ります。何と利用者の立場で、周辺登山のシミュレーションをすると、黒川鶏冠山や丸川峠の日帰りにはタイトで厳しい往復時刻設定だし、笠取山は落合便でも一泊しないと厳しいし・・・、ましてや、一之瀬高橋の住民利用はほとんど皆無のようだし、せっかく運行してもらえるなら、再検討してもらいたいものだと、利用者の願望を話しておきます。

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三窪高原を訪ねるなら、柳沢峠(1472m)の「柳沢峠茶屋」が起点です!

Photo_2柳沢峠茶屋 ライダーやドライバー達の峠の茶屋として、年間を通じて、親しまれています。

名物”麦とろご飯”と”味噌おでん”が人気メニューです。

詳しくは柳沢峠茶屋公式HPをご覧ください。

http://yanagisawatouge.web.fc2.com/

茶屋の御子息がHPを作成管理されているそうで、季節の更新をまめに伝えています。甲州市周辺を訪ねられる時は、中央道も良いですが・・・、青梅街道を奥多摩越えのドライブ旅で、柳沢峠に立ち寄ってみるのは如何ですか・・・?何か”旅”の思い出が倍増しますよ!

柳沢峠に上ると、正面に富士山が・・・、夏でも清々しい冷気が・・・、多摩川源流、柳沢川(落合川)や花ノ木沢沿いに最初の一滴が湧きだしているので・・・、筆者も次回は、東京都水道局が散策路を整備してくれている「柳沢峠ブナのみち」を散策してみたいと思っています。

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三窪高原(~柳沢の頭)は、散策路いっぱいに咲く”ヤマツツジの群落を見惚れて歩くので、まったく疲れを感じない・・・、まるで”ヤマツツジの散歩道”です!

今回、訪ねて良かったです!自然に映える”ヤマツツジの高原風景”に魅了されました!

前評では、「三窪高原のツツジはシカの被害でダメになった」情報だけが浸透していて、甲州市の観光案内は、はっきり言ってウヤムヤの休眠情報でしたが・・・、とんでもない・・・!実際に訪ねて見ると、確かに一部中心部のレンゲツツジ畑はシカの被害(ダメージ)で防護柵(金網)が目立つことから、かえって痛々しいが、レンゲツツジ群落の最盛期を見ていない筆者にとっては、もし金網が目立たなかったら、何ら気にしないで、山全体のヤマツツジだけで、十分満足をしているところです。

植物公園のお花畑ではあるまいし、畑のように咲いていなくても、山が好きな人は大自然の中に、ポツンとある小さな花でも感動をするはずです。

柳沢峠を訪ねて見たら、市営駐車場は観光バスやマイカーで、こんなに賑わっていていました。山歩きや自然が好きな人は、活きた現地情報を良く探してくるものだと感心します!

Photo_3 柳沢峠の整備された甲州市営駐車場とトイレ施設前の大勢のビジター達。

こんなに大勢の人が訪れる魅力があるんですよネ!

ツアー等は、ここから柳沢の頭へ向けてスタートし、鈴庫山分岐から無線基地鉄塔まで歩き、そこから折り返して、展望地、ハンゼの頭を経て、柳沢の頭へ戻り、駐車場の登山口へ下るのが最も短時間なので、ほとんどがこのコースを辿っているようです。

・山歩きに慣れた人は、斉木林道(笠取林道)を入り、三窪高原への標識がある整備された登山道(殆ど人に合わない静かな散策路)を登り、ハンゼの頭下分岐へ出て、鈴庫山を踏み、そこから無線基地鉄塔を目指して、三窪高原休憩ポイントに立ち寄り、帰路、ハンゼの頭(展望地)、柳沢の頭の展望地を経て、市営駐車場へ戻るのがお薦めコースです。所要はゆっくりで約3時間半。

柳沢峠(1472m)を起点に、柳沢の頭(1671m)からハンゼの頭(1693m)、板橋峠の周辺までの一帯を称して”三窪高原”と言っています。

特に、中心部のハンゼの頭の展望地から、NTT無線中継鉄塔がある辺り(東屋とトイレ施設があって休憩地)が滑らかな窪地になっていて、特にレンゲツツジが群生していたところです。まるで自然のレンゲツツジ畑になっていることから、そこに東屋やトイレなど休憩施設が作られて、三窪高原のツツジ観賞ポイントになっていったようです。

今では、シカの好物であるレンゲツツジの畑は壊滅状態で、防護柵だけが無残に目立ちます。

しかし、それ以上に、高原全体の広範囲にわたって、ヤマツツジの群落が咲き誇っていて、散策路に沿って板橋峠方面まで周遊して見ると、とても美しい色彩のヤマツツジが堪能できます。

中には、白いドウダンツツジやヤシオツツジらしい花もチラホラ見られて、山好きにはたまりません!淡いピンクのズミの花もひっそりと、美しく可憐に咲いていましたよ!

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三窪高原の散策路を歩くと、いたるところで、こんなヤマツツジやレンゲツツジに出会えます。まるで自然の盆栽のような枝ぶりのツツジもありました!?

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散策路でもシカが知らないのだろうか・・・?ほんのわずかですが、見事なレンゲツツジも咲いていました!

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神奈川から来られた旅の家族ですが・・・、”優しい家族愛の雰囲気に・・・、つい記念写真を撮らせて頂きました。

三窪高原を訪ねられた記念になればと思い・・・、掲載させて頂きました。

神奈川のどこかで、このブログをご覧になって頂けると良いのですが・・・!?

お名前は伺っていませんが、親孝行の成人がお母さんと息子さんを連れて、近くの温泉に宿泊された帰りに、三窪高原のツツジを見に来られたようです。

ヤマツツジが想像以上に美しかったので、良い想い出になることを願っています!

Photo_14 この幸せの一瞬が旅の想い出になればと、撮らせて頂いた写真ですが・・・、

お母さんにはいつまでもお元気で・・・、また甲州市へ観光に来て下さい!

男の子供さんは、将来、お父さんのように強く、自然を愛する優しい大人になって、山へ登って来られるように、たくましく育って欲しいと蔭ながら祈っています。

お幸せに!

甲州の空の下より・・・!

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19)甘利山のつつじ大群落と千頭星山!

2011-06-23 | 山梨、魅力の山行!

甘利山のつつじ大群落と千頭星山!

鳳凰三山の前衛にある甘利山(1,731.4m)は、韮崎市の船山橋北詰めから、甘利山高原線を約16km上り、広河原駐車場に至ると、そこが甘利山登山口となります。

今回は、甘利山と千頭星山を紹介します。

別紙、PDFの山行計画書で詳しく紹介しています。「amariyama_to_sendoboshiyama.pdf」をダウンロード して、参考にして下さい。

筆者は以前も歩いていますが、ここは初心者でも安心して歩けるお薦めのスポットです!ぜひ、一度、訪ねて見て下さい。

甘利山登山口(広河原駐車場)からツツジの散策路を30分ほど登ると甘利山頂上に行ける手軽なハイキングコースです。

Photo 甘利山山頂のツツジ大群落と

  富士山の大展望!

・掲載写真は:

  韮崎市HP広報写真より複写

甘利山のレンゲツツジの大群落は、例年、6月上旬から6月下旬にかけてが見頃です。

レンゲツツジの見頃は、毎年、梅雨時期になるので、出来るだけ晴天予報を選んで、行かれることをお薦めします!ましてや快晴なら、富士山の展望も絶景です!

今年は、ミツバツツジは5月中旬から6月上旬、レンゲツツジは6月下旬が見頃だそうです(韮崎市観光課)。

甘利山は一部ヤナギランなどを除くと、幸いにしてツツジは野生動物等の被害にあっていないようで・・・、嬉しいニュースです。日頃、保全管理をして頂いている地元の皆さんに感謝です!

注)次号で紹介しますが・・・、甲州市の柳沢峠にあるツツジの名所「三窪高原」を6月中旬に散策してきました。三窪高原の中心域にあるレンゲツツジ群落は、シカの被害で、未だ柵の中で再生中でしたが、残念ながら未だ無残な状態が回復していません。しかし・・・、行って見て良かったと思います。登山道(整備された散策路)や展望地はもちろん、山々のあちこちに見事に真っ赤なヤマツツジの大群落が咲き茂っていて、それは・・・、それは見事でしたよ!お楽しみに!

また、7月上旬が見頃の櫛形山のアヤメ大群落も野生動物の弊害を受け、柵対策などして再生中ですが、未だに元のようには戻っていないようです。最盛期は3000万株も咲き誇ったといわれるアヤメ大群落も、昨年は約40株程度が再生確認できたそうで、大自然の過酷さを痛感します。現在も、復興努力が続けられています。近い将来、櫛形山の見事なアヤメ大群落が戻ると良いですネ!

3033mの千丈ケ岳ですら、2500m以上までシカが餌を求めて上っていて、高山植物のお花畑まで荒らされているのは、嘆かわしい限りです。

里山の開発によって、野生動物の棲みかを壊した人間への仕返しか?

クマ、シカ、イノシシ、サル対策など、今、里山では、野生動物対策が大きな課題になっているのです。

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さて、昨年から始めた山梨魅力山行レポートは、5月末、御坂黒岳山行の後、藤原教授が多忙なスケジュールが重なって体調を崩されたため、6月から月例山行を中止をしました。彼は、湘南から山梨に毎週通っているので、それだけでも大変なのですが、そこへ山梨登山スケジュールを併せていたので、無理が重なったのが原因なのでしょう。

できるだけ初級編(中低山の易しいマイカー登山コース)を選んで登っていたのですが、登山だけは無理は禁物なので、筆者が案内する山梨魅力山行入門編はこれで終了することにしました。

藤原教授と訪ねた山梨の魅力山行は、金峰山、尾白川渓谷、富士山お中道大沢崩れ、大菩薩峠、茅ケ岳、そして、御坂黒岳と山梨の美しい山々のほんの一部をガイドしましたが、あいにく一回も快晴の大展望に恵まれることもなかったのが、少々心残りです。

せめて素晴らしい大展望の感動でも、一回くらいは味わってもらえれば、疲れも吹き飛んだのではないかと思っています!?

しかし、山の天気はなんとやら・・・!?特に最近の異常気象は読めないので仕方ありませんね!

岩崎元郎先生曰く、「雨もまた良し・・・」とするのが、山の気象の心得なのでしょうか!?

まだ、登山入門編では、誰でも当然ながら、山歩きに慣れるだけが精いっぱいで、マイペースで自然をゆっくり楽しめるまでには行かなかったのではないかと思いますが、安全安心の山歩きの基本を最低限度は身につけて頂いたと思うので、これからは、”単独行ならぬ””藤原流マイペースハイク”を楽しんでもらいたいとエールを送ることにしています。

筆者も、これからは山チームに参加する時は別ですが、”マイペース登山”に戻れるので、里山散策ウォークを楽しみたいと思っています。

高山も毎年1本くらいは登っていたので、今年はどこにしようかとも考えています。

その前に、まだまだ、山梨の低山や里山でも歩いたことがないところがたくさんあるので、次号からは、そんな里山散策記事も増やしたい思っています。

時々は、「新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見」をご覧ください。

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9)山梨の魅力山行特集NO5”茅ケ岳(1703.6m)”           藤原教授の探訪記録YS記!

2010-12-13 | 山梨、魅力の山行!

美しい山々を歩くたびに・・・、人里の魅力を知る!YS記

深田久弥氏の終焉の山として有名な 「茅ケ岳」(標高1703.6m)に登りました。

茅ケ岳は山好きの人々には知名度が高く、山容が美しい山梨百名山の一つです

登山計画書は:「kayagadake.pdf」をダウンロード

Photo

武田の郷(武田八幡)から臨む茅ケ岳の山容!

中央線韮崎付近からもよく見えますネ!

八ケ岳に似ているので「ニセ八ツ」ともいわれています。

登ってみたくなる山ですね!

あの深田久弥先生さえ憧れて登った山ですから!

写真中央の尖鋭が茅ケ岳です。

左奥は金ケ岳(1764m)で尾根渡りができる。茅ケ岳山頂から金ケ岳の往復は約2時間、明野への下山ルートもあります。

この里の昔々・・・ひと言!

武田家累代の始祖新羅三郎義光の三男、源義清と嫡子清光の時、常陸国(現勝田市)武田郷から甲斐国に配流され最初に、市川荘平塩岡(現市川三郷町)に館を構えた。山を背に防砦に適した丘陵地高台で、甲府盆地の遠望が素晴らしい。しかし、嫡男清光はさらに日照豊かで広大な大地を選んで、逸見の荘(現北杜市大泉)を開き、谷戸城(詰城)を築城して”館”を構えた農業開発”甲斐の黒駒”と評判をとる軍馬を生産して”軍力”を蓄え、さらに子福者で11人の子を甲斐国内の要所に配置して武田家繁栄の基礎を築いた。谷戸城の真南に甲斐駒ケ岳がそびえて、この地も、ほんとうに絶景のところです!そして、清光の子、甲斐武田家の始祖と言われる「武田義信」(1128年~1186年)は、さらに地の利を考慮して、鳳凰山を背にした現韮崎市・武田の荘に、武田八幡宮を氏神として、白山城を詰城に”武田館”を構えた

上段の「茅ケ岳」山容の全景が昔の武田荘の館から見た展望景観なのです!凄い場所を選んだものです!

往古の武田家累代が築いた”荘の館”は背後の山に詰城を構え、高台地を選んで、防砦ばかりではなく”領地の様子が一望に見渡せる絶景の地”を選んでいることが良くわかります。景色が抜群なはずです。特に山梨はほとんどの土地が扇状地(勾配地)で、食料生産のための農地開発に工夫を要し、富士川から釜無川を上って魚介類を運び入れることを当時の武将たちも考慮していたことが偲べます。

美しい自然の里山を訪ねると、かつて武将が選んだ国づくりの領地と築城の歴史が重なるところは、とても興味深いところです。また、険しく美しい山容は山岳信仰の修験者の目標になった理由も分かるような気がする。いつも思うことだが、往古は地図もなく情報がない時代に、どうして知ったか?素晴らしい場所を選んで荘(郷)を築いたものだと感心します。

今回は、”茅ケ岳”登頂と”武田の郷”を訪ねる魅力を併せて紹介します。

茅ケ岳登頂記録!2010年12月9日(木)山梨の魅力山行NO5

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茅ケ岳山頂(1703.6m)

先ず頂上の景観を!素晴らしい景色です!

新雪で綺麗に覆われた茅ケ岳山頂の記念写真!背後は金峰山、瑞牆山、奥秩父方面。

最近、地元の決断で頂上の灌木枝を伐採して頂いたお陰で・・・、

茅ケ岳山頂は360度のパノラマ展望が望めます!

北東に”瑞牆山、金峰山、奥秩父山塊、東南に御坂山塊と富士山、南西に鳳凰三山と甲斐駒ケ岳、北西に八ケ岳編笠山(手前に金ケ岳があるので全望はない)の遠望が開け、苦労して登った者だけに与えられる感動の瞬間がある!

登山口は深田久弥の歩いた深田記念公園ルートを選びました。

Photo 深田久弥記念公園

韮崎市管理の駐車場(約20台分)あり、洋座便式トイレにトイレットペーパーも完備。但し、各自ペーパーは持参のこと。

深田久弥氏は石川県加賀市生まれの小説家で、1959年~63年『日本百名山』を発表登山ブームの先がけになった登山家として有名です。1971年3月21日茅ケ岳登山中に山頂直下で脳卒中のため68歳で死去その場所に深田久弥先生終焉の地と表記された石碑が立っています。山梨の魅力を知るためには、一度は登りたい山です!

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Photo女岩

 唯一の水場。中間の絶好の休憩場所でもある。

 冷たい石清水が湧き出て、とても清涼感があります。

 登りの途中「あと5分で冷たい水あり」の標識。

 水場を保護されていて、コップも置いてある。

 但し、大岩がガレキ状になって崩れやすくなっている。

 岩場の下は危険なので立ち入り禁止の標識あり。

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Photo_6 うっすらと新雪に覆われた茅ケ岳頂上から雲間に浮かぶ鳳凰山の姿に感動しました。雲一つない風景も素晴らしいが、うっすらと雲がかかって、遠望の山々を浮かびあがらせる風景もなんともいえない・・・!当日は富士山もうっすらと霞んで綺麗でした!

プロカメラマンならこんな景色も楽々ものにするのでしょうが!?

Photo_7 完全冬装備で、楽々と新雪道を下山の藤原教授

スキーで鍛えた積雪歩きは、山側に重心をおき、アイゼンを活かしたベタ足歩行で基本通りの歩き方で・・・、バッチリです。

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茅ケ岳の下山後は、韮崎の武田郷にある”白山温泉”がおすすめ!

露天風呂から茅ケ岳を真正面に眺めながら、登山の疲れを癒やす至福のひと時!

Photo_8Photo_10 白山温泉

和風デザインの瀟洒な温泉施設で、とても清潔感があります。落ち着いて、とても心地よい温泉です。源泉の温度は45.5℃、泉質はナトリューム塩化物・炭酸水素温泉で、とても温泉らしいところです!

HPはこちらから・・・・・・・、http://www.hakusanonsen.com

つかの間の休息でも、すっきり身体の疲れを癒やしてから、武田の郷を巡るのがお勧めです。白山温泉には本格派の手打ちそば屋とオーナーのコレクションを展示した大村美術館もあります。

武田郷は、武田信玄の先祖(武田家の始祖)武田義信が開いた武田の荘!

・・・帰路、時間があれば、ぜひ訪ねて見たいところです。

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鳳凰山願成寺

奈良時代(771年)創建の古刹。

武田家始祖信義公が武田家累代の祈願所として興隆。後白河天皇から「鳳凰山」の山号額を下賜された(寺伝)。阿弥陀三尊像は重要文化財。

天正10年信長の兵火で尽く焼失。僅かに仏像縁起記等が運び出されたとのこと。

この山門は1662年(江戸時代)に建立されたもの。

表参道石段の石像観音は1666年、曹洞二世中興赫山(かくざん)和尚により彫造安置。一体も欠けることなく今日に伝わる。

Photo_15武田信義の墓

この墓地は、”鳳凰山”を背景に、美しいところです!

武田太郎義信(1128年~1186年)は、源氏の新羅三郎義光を先祖とし、武田八幡宮にて元服の後、武田姓を名乗った武田家の始祖として、この地を本拠としました。1180年石和に甲斐源氏を集結、源平壇ノ浦の合戦に貢献したことで歴史に残る。

後に、頼朝の謀略で子らが暗殺され、弾圧を受けて失脚。山梨・牧の荘を本拠にした源平合戦の副将軍「安田義定」とともに、歴史の悲哀で、あまりに有名な信玄の影に薄れて、脚光をあびていませんが、忘れてはならない甲斐の武将がここにもいたのです。

甲斐の歴史と山梨の今があるのは・・・、武田信虎・信玄・勝頼の三代”だけではないのです!

武田八幡宮は武田家先祖累代の氏神とした由緒ある八幡宮!

武田家の氏神とした武田八幡宮。山奥には(源)為朝神社と白山城跡があるが、クマ出没注意の標識は不気味です!

甲府の武田神社とは違って、武田家の厳粛な歴史観が漂っています!

Photo_16 武田八幡宮の歴史を感じる鳥居

武田八幡宮は、822年(弘仁13年)嵯峨天皇の御代、勅命により、土地の神武田武大神宇佐八幡を合祀して創建された。社記に「地名の二字を冠として武田八幡宮と奉称し額面を賜り侯」とあるそうだ。この八幡宮が「武田の荘」の地名の発祥です。

さらに鎌倉時代初期、清和天皇の貞観年間(859~76年)に京都石清水八幡を勧請し、甲斐武田の崇敬を集めた総家の氏神となったところです。

この武田八幡宮で武田義信は元服し、武田の姓を名乗って、武田家が始まったのです。

この鳥居のところから、山門の奥、苔むした石段を上り、拝殿・本殿へ詣でる時は、少々厳粛な気持ちになります!

社務所は誰もいないことが多く、ひなびています!甲府の武田神社とはえらい違いです

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武田八幡宮の拝殿

この拝殿奥上部に、本殿(国重要文化財)が祀られている。

戦国時代、1541年(天文10年)父信虎を国外へ追放した武田信玄が、現本殿を再建し、勝頼滅亡の直前に、夫人が戦勝祈願をした願文は今に伝えられ、武田家の栄枯盛衰の歴史を伝える古社なのです・・・。

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人々が崇めた名山を登山すると・・・、その崇高さと雄大さを知り、その山麓は湧水と清流に恵まれていて、古くから人々の集落が形成されている。そのような里山を歩くと、驚くほどその里山には深い感動の歴史が刻まれていることがわかります。甲斐国・山梨は・・・、”凄いところ”だと思います!

奥深い歴史を辿ると感慨はひとしおですが、それ以上に、里山から見る美しい景色は至るところあって、訪ねた人々に必ずや感動を与えています!

現在、韮崎市は、この武田家発祥の地、神山町一帯を「武田の郷」として紹介しています

武田八幡宮、願成寺のほか、白山城跡、武田義信の館跡など、武田一族の旧跡が点在していて、周辺には見どころがたくさんある。特に、名勝の七里岩の上にある武田勝頼が築城した”新府城跡”も、武田家の盛衰の歴史を知るには欠かせない訪問地です。ご参考まで!

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