山梨の里山に春が来た!あちこちに、桃の花が咲く・・・!
ご存じ、山梨には春爛漫の花々と大自然の”屈指の風景”がある!
まもなく里山一面に桃の花が咲く!これぞ”桃源郷の花畑”である!
3月号は、山梨四大桃源郷の一つ「一宮桃源郷」を紹介します!
~一宮桃源郷~
一宮桃源郷から望む南アルプスの全貌 一宮桃源郷から臨む白根三山と鳳凰三山!
山梨四大桃源郷は、バックナンバーでも紹介したので各解説は省略します。
①塩山桃源郷 ②新府桃源郷 ③白根桃源郷 ④一宮桃源郷の四ヶ所あります。
紹介する「一宮桃源郷」は四大桃源郷の中で”南アルプスが最も美しく映える風景”です!
一宮桃源郷から覗く甲斐駒の雄姿 一宮桃源郷から臨む南アルプスの大パノラマ!
一宮桃源郷は生産量日本一の要!パノラマ風景のスケールも抜群!
山梨県の桃の生産量は日本一!
平成25年度桃収穫量ランキング
①山梨県39100トン②福島県29300トン③長野県15400トン
しかし、収穫量と同様にこのスケールの大きい美しい風景に感動する!
一宮桃源郷から望む大蔵経寺山方面 一宮桃源郷花見台の無料駐車場
一宮桃源郷から眺める南アルプス 一宮花見台にヤマ桜咲く風景
桃源郷は絵物語の世界のように こんな環境で育つ桃は美味しさも抜群
夫婦でサイクリングも気持ちよさそう この奥に見えるのが花見台/展望地
山梨の桃源郷は、全国に誇れる風景を堪能できる!
南に富士山、西に南アルプス、北に八ッ岳、東に奥秩父山塊が望める!
「笛吹市桃源郷春まつり」・・・、
2016年は3月27日(日)~4月24日(日)
詳しくは、笛吹市観光商工課 TEL055-262-4111
http://fuefuki-kanko.jp/content/springfes_2016/
この一宮桃源郷は、西北に南アルプス、北東に奥秩父山塊の大パノラマが展開する。
但し、南の富士山は御坂山塊が手前にあるので臨むことはできない!
甲斐国の時代、浅間神社が甲斐国一ノ宮と格付けされ、地名も「一宮」と呼ばれる
ようになったという。
往古、天平時代聖武天皇の勅願で行政の要「国分寺」が置かれ、古来より甲府盆地
甲府盆地の産業と文化の中心地であったところです。
笛吹川の支流で水はけが良い扇状地で肥沃な耕地に恵まれた一宮は・・・、
「日本一桃の里~いちのみや」がキャッチフレーズで、桃の有名ブランドです。
特に、一宮桃源郷の花見台がある一宮町土塚と金沢地域は標高も高く、昼夜の
寒暖差も大きくて着色の良い、糖度の高い桃を生産している。
山梨は、桃(もも)以外に、葡萄(ぶどう)、李(すもも)も・・・、
全国一の生産量になっていて、可憐な李の花や葡萄の花も楽しめる!
さくらんぼ、柿、りんご、なし、梅なども評価が高く、食べる楽しみも一番だが、
開花の季節から、眺める楽しみも”いっぱい”です。
甲斐国には、往古に”五山の送り火”があった・・・!?
その一つ、一宮花見台の奥山に、廃寺大積寺の大積寺山があることは、
山梨通でも意外に知られていない!?
往古には「大積寺山」の送り火があったと言う!
山奥に、菩提山長谷寺と争った大名刹「廃寺・大積寺」があったようだ!
「甲斐国志」の記述を一つづつ拾って分かったことで、かつて山梨県のIT広報で、
大久保山の大文字焼のことを知った時、「甲斐の四大送り火」の一つと解説して
いたので、興味を引かれて電話取材してみたが、窓口では三つしか知らなかった。
今は、観光イベントで復活した「”送り火ならぬ火祭り”」と言う三つのイベントを
人々は知るのみである。また広報も、その”三つの火祭り”しか紹介されていない。
①鳥居焼=柏尾山(かしわおさん)➩柏尾山大善寺
②笈型焼=大蔵経寺山(だいぞうきょうじやま)➩菩提山長谷寺
注)現在は、笛吹市の観光イベントとして電照の笈型焼で復活している。
③大文字焼=大久保山(おおくぼやま)➩現在は妙亀山広厳院にて採火式が行われる。
この「大文字焼」は、甲斐国志巻40古跡部第三大積寺の跡の項に「大積寺山」で
行われていたことが記載されている。
「大積寺(たいしゃくじ)」は甲斐国志では「帝釈寺山」と書いたようで、寺院の
名は「帝釈寺」とも言った。往古に実在した大刹であったそうだ。
塔頭千坊と言われ菩提山長谷寺と競った大寺院であったと伝わる。
注)菩提山長谷寺は柏尾山大善寺と競っていた。
近年発掘調査もされ、実在したことは証されたが詳細は不明のままだ。
平安期~昭和時代まであったらしいが、創建や由緒も不詳である。
④錫杖焼(しゃくじょうやき)=奈良原山(ならばらさん)➩廃法華寺
⑤這藤焼(はいふじやき)=境川藤垈地域 ➩ 不詳
注)甲斐国志では「藤垈の域、同村の山・・・」と記すのみ。
以上、甲斐国志古跡部を読みとると、上記五箇所あったことが分かる!
想像するに、一宮に国分寺が置かれ、そこから全ての送り火が拝める位置にある
ことは、調べて見ると「見えたであろう」と思えることから・・・、
筆者は、「甲斐の四大火祭り」は実は”五山送り火”であった!?」のではないかと
検証してみたが、楽しみを越えない範囲に留めた。
素人の筆者でも、早計に京都のように「五山送り火」とは呼べない。
送り火は国分寺法華霊滅罪寺の精霊送りが、旧盆の7月14日(盂蘭盆)に行われたこと
で一宮に置かれた国分寺を基点にすると、丁度五箇所の山とも視野に入ることから興味
をもっている。
まさに「五山の送り火」と言いたくなるが、臨済宗の五山文学や時代考証も合わない。
また、三箇所の寺院の創建・由緒も不詳のままであるので、ここから進めようがない
ので今回はここまでとします。どなたか、詳しくご存知なら教えて下さい。