山梨市正徳寺は、・・・?!
少し古くなったが、2012年の山梨日日新聞に
「養鰻場に温泉が出た!」と掲載され、大人気に
なったことを思い出す。その”正徳寺温泉”初花”は
現存する。「温泉で育った鰻」は食欲をそそった!
筆者も妻と一度、試食したことがある。
現在、首都圏からの客で行列ができるお店「山下
フルーツ農園」の獲り立ての桃を食べられるお店
は、現代にマッチ(SNSをフルに利用)している。
頭が冴えている、新しい人が多い街だと思う!
今号は山梨市「正徳寺村」の良い処を紹介します。
正徳寺温泉「初花」、最近の観光資源!地元で人気の日帰り温泉!
「養鰻場に温泉が出た!」、「難しい、えずけ作業、出荷までに、
半年から1年!」地元もマスコミも、ヒト騒ぎあったことを思い出す!
地元もマスコミもヒト騒ぎあって、地元で、鰻の美味しい”初花”と
して有名な山梨市の観光施設になったことは、確かである!?
筆者も家内と試食に行った。美味しい鰻であったことは異存ないが、
表のサービスの体制が出来ていないで、幻滅したことを思い出す!
パートさん(だけで・・・)体制を組み立てるのは難しいのか!?
当時の新聞抜粋を見ると、「和風”樽風呂”に人気」直径約1間
(1.8m)の木製(一度に4~5人は入浴できる)、他に、
大野天風呂、うち風呂、寝湯、サウナ、超音波風呂などを完備。
一日ごとに、男湯、女湯の入れ替えなど、日帰り温泉ブームとは云
え、造ればお客が来ると云うわけにはいかない。
家内のように大浴場が好きでない女性もいることを忘れてはならない。
昔、ある温泉地に、アメリカ人夫婦を招待し、喜ぶと思って大浴場に
案内したら、激怒されたことを思い出した。その訳と同じであった。
泉質は,低張牲アルカリ泉で、源泉は40.2℃程度。神経痛、
関節痛、疲労回復などに効用がある。※山梨県内の温泉の泉質は
殆ど同じだが、やはり料理、施設、サービスが三拍子そろわないと、
長いブームを続けるのは難しいようだ!?
武田家累代党首の中で、信玄が崇めた高祖は信成と信縄公であった!
「長興院殿」は、何と武田信玄の高祖、武田信縄公の戒名であった!
そのお墓(五輪塔)が現山梨市正徳寺の「聖徳寺」にあったのだ!
実は、数年前、ある方に資料を見せられて、あの「乾徳山恵林寺の
寺伝「恵林寺50年史」を自習した時に、知ったことでるが、殆ど
の山梨県人が、今も尊敬する武田信玄の菩提寺乾徳山恵林寺に菩提
寺を定めた時、招聘した快川国師に直願した恵林寺の塔頭「長興院」
と「継統院」の2棟であった。「長興院」は・・・、あの武田信玄が
選んだ”武田家累代の高祖として、累代の中で武田信縄と武田信成
公の二人のみ選んで高祖と崇めたのかと考察したが、素人的には
生涯において、たった一度すら、戦に負けたことがない二人だと云
うことが分かったが、その二人の高祖を選んで、快川国師に嘆願し
てまで、塔頭を建てたのかと筆者は考察したが、「ここで記して
おきたいが武田信成公は、確かに、信玄が選んだ二人の高祖のうち
の一人だとして、信縄公は?と考えるも、武田家終焉の将として
位置づけされる武田勝頼公の代になって、「高祖二人の中に、
長興院殿がいて、尊父の信虎公が崇められていないのはおかしい」
と云い「長興院殿を聖徳寺に戻した」という話を思い出す。
「信玄が追い出した信虎ではないか?!」思うこともあるが・・・。
※確かに、その時の歴史の記録を学ぶだけでは分からないことが
多い!筆者も、後でわかってきたことであるが、現在の恵林寺の
境内に勝頼時代に、長興院が戻されたことが記された石碑が残され
ていた。
日本地名大辞典~山梨市編では・・・、
笛吹川中流右岸に位置し、北は上万力村、西は落合村。村内を南北に
青梅往還が通る。天正10年(1582)9月2日の徳川家印判状
写(【巨摩郡古文書】若尾資料)に「甲州万力内常徳寺分十八貫文」
とみえ、土橋左衛門尉は、当地を含め計25實文を本領である事を
含め駿河国厚原(現静岡県富士市)の替地として宛がわれている。
・・・・・、「甲斐国志」によると、もとは、落合・山根・正徳寺
の三村で1村を構成し、慶長6年(1601)以降分村したと云う。
慶長古高帳では、落合村の高一千二五一石余りのうちで幕府領。
元禄卿帳では、落合村枝郷とあり、甲府家領。・・・・・・、
文化(1804~18)初年、家数98.人数348、※甲斐国志
現在山梨市正徳寺では、・・・
用水は笛吹川の立川堰(差出堰ともいう)を当村他、17ケ村で
利用(※甲斐国志、地誌稿)。、他に、当村で水を引き入れ、当村、
桑戸、小松(現春日居町)の三ケ村で利用した三箇村堰があった。
(※甲斐国志)、若宮社、臨済宗聖徳寺(現臨済宗向嶽寺派)があり
、・・・、明治8年(1875)上岩下、山根、矢坪、落合の四ケ村
が合併、平等(ひらしな)村となる。
など、各自治体により変遷があるが、高齢化社会によって、大都会と
違い生い立ち村の歴史を尊重する人が多く、変遷に基調を守っている。
それでいて、新しい息吹を感じられる。山梨市の今を感じる・・・!
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