新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

東京から移住して”新甲州人”になった元観光のプロが探訪する”山梨の魅力再発見!”
旅人目線の特選記事を抜粋して発信!

7)歴史好きにはたまらない!川浦温泉と清水渓谷健康ウォーク

2010-11-29 | 山梨、魅力の名湯&秘湯!

甲州・笛吹川上流に”信玄の隠し湯”名湯「川浦温泉」 がある!

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JR中央線・塩山駅と山梨市駅から西沢渓谷行のバスも通る雁坂道(秩父往還)

にある一軒の瀟洒な古湯宿、その川浦温泉「山県館」を拠点にして、歴史の感動が伝わる

”川浦・釜口と清水渓谷”についてご紹介します。

”川浦の郷”は、”歩いて初めて知ることも多い歴史と自然が豊かな魅力の散策路!

 

川浦の郷の物語は奥深い!

読むのが大変な方は、写真だけでもどうぞ!

JR塩山、山梨市沿線からは、信玄の菩提寺で有名な「乾徳山恵林寺」の山号

になっている「乾徳山」(夢想国師修業の鋭い岩峰の山)が昔は東山梨郡三富村

と云われた時代に、甲斐九筋の一つ秩父往還(現雁坂みち、ほぼ国道140号に沿う)

の川浦温泉方面を示す目印の山になっています

秩父往還は、日本武尊の東征伝説や大和朝廷時代から伝説が数多くあります。

武田信玄も戦略的に重要筋として「川浦口留番所」を設けたところです。

注)右写真右端の扇山(=恵林寺山)と白い浮雲の下、岩峰の鋭い乾徳山の間の雁坂道

を北方向に進むと、笛吹川沿いに「川浦温泉」があります。

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秩父往還古図関東地方建設局資料 ※PDFは添付していません。

 

②甲斐近世交通図山梨県史 秩父往還川浦口留番所位置注)赤印

など、山梨県立図書館にはありますが、興味があればご覧下さい。

 

川浦温泉バス待合所、紅葉樹林に”塩の平”山縣家墓地がある。

 


 

笛吹川は、甲武信岳(こぶしだけ)国師ケ岳(こくしがだけ)を源流にして、

東沢や西沢渓谷の清流を集めて、甲府盆地へ流れ、釜無川と合流して、富士川になる

延長55kmの川で、特に上流の西沢渓谷は渓谷美で人気があり、シーズンは大勢の

ハイカーが訪れます。

笛吹川上流の広瀬ダムは、下流の複合扇状地群の畑地灌漑用水などを目的とした

多目的ダムで、現在は観光客の憩いの景観スポットにもなっている

広瀬湖ふるさと記念館はダム建設前の昔の上釜口郷の様子を伝えています。

この地には、笛吹川(昔は子酉川(ねとりがわ))の語源にもなったと云う

笛吹権三郎本名日原)という落人親子の悲哀と親孝行物語が伝わる。

祖先は後醍醐天皇(1318~1339年在位)の忠臣日野資朝(すけとも)朝臣

(鎌倉時代後期の公卿)の義弟で日野河内守道義と伝えられている。資朝は

後醍醐天皇の倒幕計画の中枢にいたため捕縛されて鎌倉から、佐渡へ流罪となった人物で

、その身内の異変によって日野道義はこの地に落ちのびて来たと思われます

注)ウイキペディアの資朝の記録より推定。

その落人の親子は、この上釜口村(芹沢)に穏やかに暮らしていた。

権三郎は母親に孝養をつくし、笛吹きの名手でもあって母や村人を慰めていたが、

1575年(天正3年)7月の豪雨で、家もろともに急流に呑まれ、母だけが

行方不明になってしまった。それ以来、権三郎は昼夜問わず笛を吹きながら、

母を探して下流を訪ね歩いたがある日、川の瀬に母の呼び声が聞こえて、

急流に身を投げてしまったそうです。

数日後、小松村(現春日居町小松)の子酉川の淵に流れ着き、

長慶寺の開山円誉長慶上人に手厚く葬られて、今も墓が実在しています。

権三郎伝説が、後にこの川を”笛吹川”と呼ぶようになったという。

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清水渓谷健康ウォークの散策拠点である川浦温泉「山県館」を

外観から紹介します。

いやはや・・・!?歴史好きの人には、これほど”ほんものの史実が

伝承される由緒ある旅館”があるとは・・・、感動が一杯です!

川浦温泉「山県館」は武勇で名高い武田24将の山県三郎右兵衛尉昌景が先祖

1561年(永禄4年)武田信玄が乾徳山恵林寺に、第4次川中島合戦に備えて

負傷兵士の湯治のため川浦湯屋の開発を下知した際、命を受けたのが山縣昌景で、

信玄公唯一の”下知状”が恵林寺に残る由緒ある史実の旅館です

※下記添付文献写真は当館HP掲載

現在、第14代の当主、山縣信一郎さんが継承されています。

女将の善子さんの”温かいもてなしの心”があちこちに行き届いています。

最近、若女将が就任、ますます充実のサービスが・・・、嬉しい限りです!

一般の観光地紹介ブログでは省略されますが、皆さんにぜひ山縣昌景のこと

を知ってもらいたいと思います。

山縣三郎右兵衛尉昌景は江戸時代中期以後、軍談が盛んになった頃書かれた

と云われる竹月堂浮石筆の”武田24将を見ると・・・、

24将の中でも信玄の信頼は厚く、勝頼の対面に位置して側近中の側近であったようです。

「takeda24shou.pdf」をダウンロード ※資料:武田神社刊「名将武田信玄」

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山縣三郎右兵衛尉昌景(やまがたさぶろうびょうえのじょうまさかげ)は、

幼名を飯富(おぶ)源四郎といい、飯富兵部少輔虎昌(おぶひょうぶしょうゆうとらまさ)の弟。

信玄の近習小姓から150騎の侍大将に抜擢され、名を”三郎兵衛”と改める。

板垣、甘利氏亡き後「職(しき)」に任じられ、信玄の片腕として領国経営に才能を発揮した。

信玄上洛の先発隊として三河に進軍、徳川家康が唯一敗戦となった「三方ケ原の合戦」での功績は有名。

また、勝頼が再上洛で進軍した「長篠の合戦」では、勝頼の無謀な戦略を二度諌めたが、

聞き入れられず、単騎敵陣へ突撃し、壮絶な戦死をとげた”武勇の将”として名高い。

Photo_5 ・・・・・・川浦湯屋の開発を命じた信玄公の唯一の文献が、

乾徳山恵林寺の宝物館に残されている

※実は、この山県館にも、山県昌景宛てに送られた信玄直筆

の感謝状が残されているとか!とにかく凄い

流石、信玄が直々に開発を命じた川浦湯屋!

この川浦温泉は鎌倉時代に遡る秩父の武将畠山重忠が腹痛を起こした時、

薬師如来の霊夢により発見されたという伝説もある古湯であるが、戦国時代に、

”信玄の隠し湯”として開発整備されて戦略的に重要な湯治湯となって以来、

現在もその名湯が伝承されている。当代が新たにボーリングをして豊富な源泉を保持し、

2本の源泉で、毎分1250㍑の湧出量を誇り、源泉温度も42℃~40℃で、

100%天然のかけ流しを誇る他に類を見ない名泉です。PH9.2、

高アルカリ性単純温泉で、ラドン含有量も0.22マッハあって、温泉の権威、

大月短期大学地球科学研究室の田中収名誉教授もベタ褒めの温泉です

これほどの名湯は甲斐(山梨)の誇りです。

源泉を発掘した武田信玄と守り継いでいる山縣家に感謝です!

Photo_10 江戸時代1856年に再建された川浦温泉山県館全景(明治中期の写真)、

湯屋、湯治場付近の写真が館内に掲示してあります。

「川浦温泉山県館」の詳細案内はHPでご覧下さい。http://www.comlink.ne.jp/~yamagata/

 

旅行ガイド、温泉旅館ガイドやお客様の紹介記事などでたくさん紹介されているので、

このブログでは省略しますが、”川浦の山間”にあって、心地よい渓流のせせらぎの中、

脈々と伝わる往古の人々の営みが心豊かに感動を与えてくれる随一の一軒湯宿を一度は

訪れて下さい!

最近整備されたバス停の上にある”湯の平の山縣家墓地”に、山県昌景の墓石がある

法号は「雄臾院殿良山元英大居士」。

その奥に、文化財で室町時代の作と云われる気品ある山縣家聖観音が祀ってある。

Photo_9 Photo_11 山県家聖観音と山県昌景の墓

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・健康に効果!チトンフィットとマイナスイオンがいっぱい!

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清水渓谷周遊健康ウォーク!

散策路は整備されて”安心です。

周遊は4コースから選択できます!

①3.92km 消費カロリー160~225kcal

②5.55km 〃230~320kcal約80分

③2.61km 〃100~140kcal約35分

④2.68km 〃115~165kcla約40分

清水渓谷・一之釜周遊ウォーキングコースプリント版が地元にあるので確認すると良い。

市設定コースでは約3.92kmがお勧め!歩行標準タイムは約55分。

一万歩程度の適度な心地よいコースです。ウォーキング効果による消費カロリーは、

体重により160kcal~225kcalと目安されている。※資料参照。


笛吹川上流域は”秩父多摩甲斐国立公園”に位置します。

この地域は”笛吹源流百果の郷”とも云われています。景観地の広瀬湖畔に、

森林セラピー基地があって、セラピーガイドが西沢渓谷セラピープログラムを

提供してくれています。

西沢渓谷ウォーキングコースは有名で大勢のハイカーが訪れますが、川浦温泉を拠点に

軽ウォーキングスタイルでOKの安全・安心の静かな里山歩きができるコースもある。

秩父往還ロマンを残す川浦・釜口郷を周遊する憩いの里道歩きです!

 

スタート&ゴールは川浦温泉「山県館」拠点が最適!

山県館?380m⇒川浦口留番所340m⇒お伊勢宮860m

⇒天科発電所140×2m⇒名爆一之釜1210m⇒清水渓谷

295m⇒清水渓谷駐車場100m⇒山県館? ※約3.5km

Photo_16 川浦口留番所跡(復元)

1382年頃配置の雁坂道秩父往還)の重要な関所

 

 

戦国より江戸時代、関所は人や物資の流入を取締る役割を果たしていた。

番屋とも云われ、村人が24時間交代で守ったといわれる。

近世交通図甲斐九筋に各番屋が配置されていた

Photo_17Photo_18 

 

 

お伊勢宮:昔々、弘法大師が立ち寄られ岩盤に自らの像を刻まれた磨崖仏があって、

大師の功徳にあやかる人々の祈りを込めた石仏が奉納されたもので、百体仏とも云われる。

様々な表情の石仏があって興味深い。

Photo_20 釜口の郷:

写真:川浦発電所の橋から穏やかな”釜口の郷”を臨む!

 

家の落人伝説や笛吹権三郎の親孝行物語が、この郷に語り伝えられている。

一度、”語りべ”の話をじっくり聞きいてみたいものです!

凄然とした里山の風景は、いろいろなことを語ってくれます。

Photo_5 笛吹川の名爆”一之釜”

 

 

 

清水渓谷随一の名勝で、新緑、マイナスイオンの納涼、渓谷の紅葉も絶景ですが・・・、

晩秋の静かな清流も、舞い散る枯葉の音が、何とも言えない癒やしの感動を提供してくれます!

2010年は猛暑で、紅葉は11月上旬がピークでした。

雁坂道を”ちょっと”車を止めて”歩いて見ませんか”!? Photo_13

 

 

 

 

 

 

 

 

名爆一之釜や清水渓谷の風景は自然そのまま!

”川浦郷”に悠然と歴史を綴る・・・、

川浦温泉山県館は、静かな宿ですPhoto_15

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

渓谷の対面から見た山県館。