新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

東京から移住して”新甲州人”になった元観光のプロが探訪する”山梨の魅力再発見!”
旅人目線の特選記事を抜粋して発信!

42)”甲府五山”は、自然と歴史、文化を偲ぶ『北山野道』に!

2013-02-07 | 山梨、往古の歴史と伝説!

42)”甲府五山”は、『北山野道』の散策路にある!

甲府盆地の北山裾は、”武田氏ゆかりの史蹟の道”!

この散策路は、『北山野道』と呼ばれている!

001円光院から望むシンボル「甲斐駒ヶ岳」「北山野道」の野立案内図016

 

 

 

 

  


”甲府五山”は、その『北山野道』の「志麻の里」、

「小松の里」、「板垣の里」の要所に配置されています!

『北山野道』とは・・・、

甲府盆地は、往古には東郡、中郡、西郡の地域名で呼ばれていました。

甲府市北部一帯は、同じ意味から”北山筋”と呼ばれたのです。

北山筋の野の道と云う意味から『北山野道』と名付けられたそうです。

注)江戸時代の行政区画では山梨郡北山筋、巨摩郡北山筋(東は一部万力筋)

※甲府市教育委員会解説より

特に『北山野道』の中心になる「小松の里」は、現在の甲府市の原形になる古府中地域で、

戦国時代、”京の都”に造詣があった武田信虎は、甲斐武田家の本拠を「石和・川田館」から

「躑躅ケ崎館」に移して、躑躅ケ崎館(行政城)を京の御所に見立て、武家屋敷、城下町を

造営したのではないかと云われています。そして、背後には要害山城、城下町の要所には、

武田信玄の時代に”甲府五山”を定めるなど、「躑躅ケ崎館」の要害ともなる主要位置に数々

の寺院を配置していると推定されています。

なるほど、「躑躅ケ崎館」の位置を”京御所”の位置に見立てると、北山の要害や武家屋敷、

甲府五山等の配置と、城下町づくりに”京の都”を模して造営されたと言われるところを想像

しながら歩けるので、とても面白そうです!


『北山野道』と「躑躅ケ崎館」の要害”甲府五山”の配置!

『北山野道』の「小松の里」は、前号で紹介した武田氏ゆかりの

”躑躅ケ崎館跡(現武田神社)”と旧府中の城下町が形成されていた処で、

その「小松の里」を中心に、「志麻の里」の東端、「板垣の里」の西端

にかけて、武田信玄が制定した臨済宗妙心寺派”甲府五山《長禅寺、

円光院、法泉寺(志麻の里)、東光寺(板垣の里)、能成寺(板垣の里)

》が配置されている。

素人が勝手に想像すると、「躑躅ケ崎館」を中心に、特に相模の北条、

駿河の今川への備えか、板垣の里(東方)に東光寺、能成寺(元西青沼

(現宝町))、小松の里(南方)に長禅寺の3寺を配置、志麻の里(西方)

には法泉寺、直近に円光院、背後には積翠寺と詰城の要害山城、さらに

温泉湯治場など、戦に備えた戦国時代の城下町づくりは面白い! 


武田信玄ゆかりの”甲府五山”を歩く!

スタート地点は、甲府駅から~山梨交通バスで約10分~バス停

塩部下車で徒歩20分の「法泉寺」から・・・、途中、見所と歩程は、

『北山野道』ガイドブックに詳しく書いているので、それを頼りに歩く・・・!

注)標識のない里山歩きに慣れている筆者は、国土地理院地形図(25000分の一)

などで分岐点をできるだけ事前確認して歩くことににしている。

何故なら、山梨はまだまだ”旅人に不親切”で、観光ガイドマップだけ

では歩けないところも多々あるので要注意。

もちろんGPS・カーナビでも行けない観光ポイントも沢山あります。

里山歩きは、そんなことも面白いのですが・・・!? 


”甲府五山”(こうふござん)

甲府五山”とは・・・、武田信玄により定められた禅宗の寺格です。

臨済宗に帰依した武田信玄は、京都と鎌倉の寺院で構成される五山制度にならい、

甲府に五山制度を定めるために、甲斐国の古刹を府中(甲府)城下に集め、これらの

寺院を臨済宗妙心寺派に改めた。

注)甲州市にある武田信玄の菩提寺「乾徳山恵林寺」も同派。

通常の”五山制度”では、1位から5位まで格付けされるが、

”甲府五山”は順序、格付け等の明確な規定や資料も残されていないようだ。

”甲府五山”歩きは・・・、どうやら順不同のようなので、筆者は歩く順番(特に正月・

元旦の昼食場所、休憩ポイント、土産ポイント等)を考えて、「志麻の里」の東端に

ある甲府駅(バス10分)⇒塩部(徒歩10分)・・・スタート地点・法泉寺・・・

躑躅ケ崎館跡(武田神社=初詣)・・・円光院・・・東光寺・・・能成寺・・・長禅寺

・・・ゴール甲府駅までの全行程を歩いてみました。

”ゆっくりウォーク”と”かいてらす”でのグルメ&ショッピング(元旦も営業)を楽しんで。

所要時間は、約7時間(うち徒歩は延べ約4時間半)

まさに終日観光コースです。山梨の中低山登山並みの運動量です。

但し、殆ど歩く道には、山のように危険個所がないので安心です。

参考)7時間には各見学(約10~15分×8)グルメ&ショッピング(約1時間)を含む

スタートは?法泉寺山門から9:00AM・・・9:50武田神社の初詣と屋台小休止

約1時間)・・・?11:40円光院・・・12:00信玄火葬塚(岩窪町)・・・

12:30大泉寺・・・13:10”かいじあむ”大休止(約1時間)※注)善光寺は省略

・・・?14:30東光寺・・・?15:10能成寺・・・?15:30長禅寺・・・

ゴール16:00PM甲府駅 


?法泉寺(ほうせんじ) 

創建は元徳年間(1329~1332年)

武田信武の菩提寺で、快岳周悦を住職として招き庇護した名刹。

甲府盆地の北麓、法泉寺山の南東山麓に位置。東に相川が流れる。

山号は「金剛福聚山」 本尊は弥勒菩薩。

015

 

 

 

 

 

 


甲斐国志によれば・・・

南北朝時代の元徳年間(1329年~1332年)に甲斐国守武田信武が開基。

開山は月船周勲。※月船は、自ら法師である夢窓国師の二世と位置づけたという。

寺名は、境内にある金剛不動石と呼ばれる巨石に由来する。


「甲陽軍艦」によると、快岳は武田氏滅亡に際して、帯那郷(甲府市

上帯那、下帯那山へ逃れ、京都より持ち帰った勝頼の遺髪を帯那山に

隠したと云われ、後に徳川家康が快岳を中興開山として、武田勝頼の

菩提寺に定めたと云われる。

注)県内には、武田勝頼が織田・徳川連合軍に敗れて自刃した甲斐

大和の田野には、家康が勝頼を手厚く葬っている”景徳院”がある。


 

 法泉寺の鐘楼     法泉寺の由緒案内       夢窓国師の築庭017016         020

 

 

 

 

 


武田信武公の墓           武田勝頼公の墓019 018

 

 

 

 

 


武田神社(旧蹟 躑躅ケ崎館跡)

武田神社               

甲府(古府中)の武田家本拠「躑躅ケ崎館」跡」建立された”武田信玄”を祭神とする!

創建は大正8年(1919年)だが、永正16年(1519年)躑躅ケ崎館の史蹟が

見事に保存されており、躑躅ケ崎館旧蹟と言った方が趣が大きい処だ。001  

 

 

 

 

 

所在は、甲府市古府中町2661

スタート地点の法泉寺より、徒歩約40分。

「北山野道」ガイドブックは、法泉寺から小松の里の北山奥にある積翠寺温泉”要害”と

”要害城跡”を目指すが、今回は省略します。

『北山野道』散策では、やはり躑躅ケ崎館跡と武田神社がメーンテーマですネ。

武田神社は、バックナンバー1月号にて詳しく紹介しています。


 ?円光院(えんこういん)

創建は、永禄3年(1560年) 信玄正室”三条夫人”の菩提寺。

本尊は阿弥陀如来。前身は石和の清光寺(室町時代に成就院に改称)

かつて、恵林寺が信長・家康軍によって焼き打ちにあった時、

「心頭滅却すれば、火もまた涼し・・・」と言って焼身した”快川国師”の語録に

「西方一美人、円光如日、和気似春」と、暖かく穏やかな婦徳高いお人柄であった

と云われる”信玄”正室の三条夫人の菩提寺!

円光院参道 山号は「瑞巌山」    021_085 022_097円光院本堂へ 

 

 

 

 

 


 

「甲斐国志」によれば、円光院の前身は八代郡小石和郷に建立された清光寺で、

甲斐源氏の始祖、逸見清光(源清光)公の開創と云う。

室町時代に武田信守により父武田信重の菩提寺として再興され、成就院と改められている。

成就院は永禄年間に武田信玄により甲府城下に移転され、「甲府成就院」となり、

甲府五山に定められた名刹。「寺記」によれば、元亀元年に死去した信玄正室三条夫人

(円光院殿)の菩提寺として、三条夫人の院号にちなんで「円光院」と改称された。

円光院庫裏             円光院本堂023_093024_098


円光院境内西には、三条夫人の墓所である宝篋印塔が造営されている。

江戸時代に柳沢吉保によって寄進された石灯籠、代官平岡氏の墓などもある。

025_102 026_103三条夫人の墓所          三条夫人の墓

 

 

 

 

 


武田信玄の岩窪火葬塚もすぐ近くにある。