新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

東京から移住して”新甲州人”になった元観光のプロが探訪する”山梨の魅力再発見!”
旅人目線の特選記事を抜粋して発信!

石和・大蔵経寺山南麓には、古代甲斐国の歴史ロマンが眠る!17-06

2017-06-01 | 山梨、往古の歴史と伝説!

JR石和温泉郷~大蔵経寺山南麓には、古代甲斐国の歴史ロマンが眠る!

山梨県の代表的な「石和温泉郷」、JR石和温泉駅の新駅舎が完成し、北口ができた。

その北口から歩いても約5分の近いところに、「甲斐の名刹松本山大蔵経寺」がある。

今号は、その松本山大蔵経寺に伝わる古代甲斐国の歴史ロマンを訪ねる!

JR「石和温泉駅」お洒落な新駅舎に開かれた「北口」より眼前に望む大蔵経寺山 !

今年春、半都会風だったJR石和温泉駅がこんなにお洒落な駅舎に生まれ変わりました。

明治36年(1903年)6月11日 国鉄中央線が甲府まで開通した時、「石和駅」として開始。

昭和年代に、石和温泉郷ブームを経て、平成5年(1993年)石和温泉駅に改称。

平成28年(2016年)新駅舎誕生とともに念願であった北口が開かれました。

筆者には、石和温泉郷は、昔、団体客の一人として会合と宴会をともにした想い出ばかりで、

石和の町をぶらぶらと歩いたことはなかった。

また、宴会・会合に呼ばれた石和温泉郷を自由に観光などをしたことはなかった!

筆者は東京から甲州に移住して以来、約8年経ちますが・・・、

今は、峡東から国中(甲府)、富士川辺りまでは自転車でも自由に散策できるようになって、

都会にいては触れることはできない”古代の歴史”に触れたり、特に果物栽培が盛んな山梨

では四季折々の美しい風景や珍しい山野草にも出会えます。

そして、何よりの喜びは、山梨を愛する人々が、先祖代々引き継いで往古より育んで来た町

の息吹を感じることができること・・・です!

今や日本は外国人訪日客が急激に増加し、2017年4月には2578900人/月も訪れました。

2016年は念願の2000万人を越え、2403万人。2020年には4000万人に倍増する!

2016年の山梨県観光入込客統計によれば、213万7741人、宿泊客142万5573人。

うち外国人客は12万8851人。まだ宿泊観光客の9%に過ぎないが、地元の人々の歓迎の

空気が充満すれば、首都東京から最も近い日本らしい里を残すところもあり、もっと、もっと

外国人客が大勢訪れるように期待ができると思います。”石和温泉郷”が、”笛吹の里”に

なった時には、自他共に認められる素晴らしい、”あるべき観光地”になると思っています。

国内・国外からの観光客も増加傾向にある昨今、JR東日本と笛吹市の英断によって、

JR中央線駅舎整備の一環で石和温泉郷駅の新駅舎が完成し、念願の北口が開けた。

まだ課題はあるが、これからは新北口によって”笛吹(石禾)の里”が期待される!


今号は「新甲州人」のお気に入りになった「石和温泉郷駅北口」の大蔵経寺山麓、

笛吹市石和・松本「大蔵経寺山々麓に眠る古代甲斐国の歴史ロマン探訪」の一部と

その拠点にある名刹「松本山大蔵経寺」の荘厳な静寂の中に癒やしの縁側から

眺める「自然と融合した美しい蓬莱庭園」を紹介します・・・!


大野桑戸橋から望む大蔵経寺山南麓には、古代甲斐国の歴史ロマンがいっぱい!

上記掲載の写真はそのままに、図説が困難なので、文章で山並みを解説します。

・大蔵経寺山山容は「石和」と甲斐国府のあった「春日居」を合併した「笛吹市」に属す

写真正面の左に笈型焼きの頂が「御室山」、尾根筋の緑濃い山頂が「大蔵経寺山」

 注)大蔵経寺山山頂は標高715.6m。御室山山頂の登山道のさらに上部にある。

・その笈型(送り火の形)が見える御室山山麓には、山梨の語源となった「山梨岡神社」

・御室山山頂(597m)には大蔵経寺に伝わる「旧蹟物部宮」の印に「石祠」が祀られる

・その側に奈良時代養老6年行基開基の現「松本山大蔵経寺」の草創の地「彌勒平」

と呼ばれる地があり、そこに大蔵経寺の旧蹟「彌勒実相院」が開かれた地と伝わる。

・さらに大蔵経寺山尾根道を進み三つ頭の先を右に進むと菩提山と呼ばれる嶺がある。

注)春日居ゴルフ場と「兜山」が目立ち、その兜山の中腹と記されるものもある。

その頂を源流にする日向沢と日影沢の合間に、同養老6年に行基開基と伝わる古刹

「菩提山長谷寺」へと通じる。往時は「彌勒実相院」と「菩提山長谷寺」は山腹に配置され

国府を防備できる立地に配置されたと云われ、同伝行基開基の「廃鎮目寺址」もしかり。

・更に、その東側に連なる四阿山には、古代より日本武尊を祀る「吾妻屋宮」がある。

これらの古刹寺院配置や山梨岡神社境内に配置されたと云う伝鎮目軍団等と云い、

この辺りは古代の甲斐国府(址)を中心にした戦略的配置を想像できるところでもある。

実際にそれぞれの現地に登って見ると・・・そんなことが想像に浮かんでくるのである。


JR石和温泉駅新駅舎1Fの「笛吹市石和温泉観光案内所」を訪ねよう!

今やITやスマホの事前情報も得て訪れた方が良いが・・・、

ピンポイントに地元を知り尽くした明るい案内嬢がUP TO DATEに

観光情報を教えてくれる!

観光案内所には観光MAPや周辺観光の情報まで全て集まっているので、

せっかく石和を訪れたなら、先に、詳細情報を得て楽しんで下さい。 


新装なったJR石和温泉郷駅1Fに「笛吹市石和温泉駅観光案内所」!

 

・JR石和温泉駅は2Fが開札口です。エスカレーターで1Fに下りたところにサインが

あり、その直ぐ左にガラス張りの明るい入口がある。

・そこに新装なった観光案内所があります。写真左はパンフコーナーと案内カウンター。 

2017年4月より笛吹市石和温泉観光案内所長にはより親切な案内を目指す女性所長

が赴任。もの知りで親切な案内嬢2人も”おられるので、これからも観光客は安心・・・!

注)この新装を機に、長年、笛吹市の観光振興に貢献された、特に笛吹内随一のもの知り

の上、話上手だった前所長山田氏はこれを機会に退任され、これからも観光協会の特別顧問

して笛吹市訪れる観光客のために役に立つ仕事をされるようですが、そろそろ”自由人”

として自らの人生を楽しんで頂きたいと思います。

山田氏は、特に武田家累代の研究や笛吹石和の歴史探訪は、山田氏の得意の分野なので、

筆者はこれからもいろいろとご教授を乞いたいと思っています。何卒、よろしく願います。

本ブログを通じて恐縮ですが「笛吹市の観光魅力スポットの数々の楽しめる情報を教えて

頂きありがとうございました。改めてお礼申し上げます。」

石和温泉観光案内所は従来は観光協会の運営だったが、新たに笛吹市観光物産連盟の運営

拡大され、地元産「ワイン」のテイステイングも楽しめる話題の案内所に生まれ変わった。 


 観光案内所にあるワインテイステイング自販機は人気のサービス!


ただの飲料自販機ではない!「テイステイングワイングラス」が用意

され、コイン2~300円で地元産ワイン銘柄が自販機で試飲できる。

山梨県産ワインは、2016年の「日本ワインコンクール」の6部門で、

最高賞を受賞。金賞は県内ワイナリーで15点も入賞したことはワイン

通なら殆ど周知のこと。石和観光の好印象の想い出になるでしょう!

笛吹市の観光情報は、http://www.fuefuki-kanko.jp でご覧下さい。 


 

  「大蔵経寺南麓に眠る古代甲斐国の歴史ロマンを辿る」をテーマに、

何度か「松本山大蔵経寺」の井上住職を訪ね、教えを乞いました。

そして、多くの寺伝と伝承や地元周辺に伝わる古代の歴史遺産等について

もお話を伺い、さらに踏査、考査し、推論したもののうち・・・、

特に「大蔵経寺境内に祀られる物部神社」や大蔵経寺の発祥地「彌勒平」

旧蹟のことなどを抜粋して簡単に紹介します。

もしこの中のテーマ課題のことで、既に研究された成果等で熟知されて

いる方には、もし本ブログを見て頂いて気になる点等ありましたら、

何卒、ご教授賜りたく。気になる点のコメントを賜れば幸いです。


古代より歴史ロマンを語り継ぐ甲斐の名刹「松本山大蔵経寺」

大蔵経寺山と大蔵経寺全景    右の仁王門を入ると庫裏(拝観受付玄関)


 「松本山大蔵経寺の略縁起(寺伝)」によると※甲斐国志・甲斐国社記寺記にも記載。

松本山大蔵経寺は、奈良時代養老6年(722年)に法相宗の行基菩薩を開祖と

して創建されたと伝えられている。往古は菩提山長谷寺の本坊で松本寺と呼ばれ

ており、山内にも物部神社を勧請し、大寺院であったようである。

応安年間(南北朝時代)足利三代将軍義満の麁子観道上人が中興開山として入山

するにあたり、足利義満が甲斐の武田信成に命じて七堂伽藍を建立させた。

この時より武田家祈願所になっている。

また、山の形が獅子が蹲踞(そんこ=横たわる)するのに似ているので靑獅子山

(せいししざん)と号し観道上人が大蔵経を五重塔に奉納したことに由来して、

寺名を松本寺から大蔵経寺に改めた。

・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

江戸時代に入ってから、徳川家康・秀忠公らによる当山護寺復興にあたり約30石

の所領が御朱印地として安堵され、寺門は興隆を見た。

・・・・・・・・・・・・・・・(省略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・

詳しくは、松本山大蔵経寺のHPでご覧下さい。

http://www.daizokyoji.org/info.html


 YS記:

天正年間に家康の甲斐国入国と大蔵経寺立ち寄りの縁で、徳川家康の庇護を受け、

江戸時代になって二代秀忠の代より代々、葵御紋の使用を許されて、現在も葵門

をはじめ寺紋に”葵の御紋”が継承されている名刹である。

第三十七世井上秀典住職と副住職(後継ぎ)も、勉強家で”もの知り”です。

いつも穏やかな笑顔で話され、寛容に教えを乞える”気さくな”和尚さんです。

最近、参拝客や拝観客へのもてなしなど、特に外国人観光客の来訪も増えて来た

ので、京都の名刹寺院のもてなし等も学んで大蔵経寺に相応しい”もてなし”を

考え中のようです。・・・楽しみです。

大蔵経寺を6月初旬に拝観したが、「蓬莱庭園」は”さつき”が満開で綺麗でした。

完成したばかりの庫裏の縁側(6cm厚の栗の椋材)に座って鑑賞して来ました。

※将来にでも・・・、この縁側でお茶など頂けるようになると嬉しいなと思いながら・・・。

美しい大蔵経寺山の自然を借景にした「蓬莱庭園の山水池には、大きな錦鯉が

ゆったりと泳いでいました」・・・、また、つかぬ間の癒やしを頂きました。

注)大蔵経寺本堂の縁側の改修工事は、まもなく完成するようです。

本堂の縁側が完成したら、また「蓬莱庭園」の違う風景を楽しみたいものです。

「蓬莱庭園の四季」を楽しんでもらうために、京都の名刹に負けないような縁側

できるものと・・・、とても期待をしています。

注)現在、拝観料@300円、庫裏の玄関で受け付けています!

庫裏の玄関に入った瞬間、「仏画寺」の標札が目に入る。とてもワクワクします!

本堂と庫裏全体は、まるで「現代仏画展」を見ているような楽しみと値打ちがある!

注)正直のところ素人が見た限りでは、数十点の仏画は大作ばかりです。

本堂は、大蔵経寺伝統の仏像、仏画、位牌なども拝観しやすくなりました。

但し、国宝や指定文化財などは一部は管理上、宝物殿に保管されているので・・・、

国宝等は適当な時期にご開帳をされることを検討されているようです・・・。


  「大蔵経寺へのアクセス」

 JR石和温泉駅北口下車、眼前に見える大蔵経寺山を目印に、徒歩で僅か5分。

 北口の直ぐ目の前に見えるお洒落な保育所「ISAWA DAIGO HOIKEN」の

 手前を左に折れ、道なりに数軒の住宅の間を抜けて右折する。

 その先の横断歩道(信号なし)を渡り左折、平等川の盆橋(ぼんばし)の右側

 を渡ると・・・、その橋から大蔵経寺山方面を見ると山麓に大蔵経寺の大きな

 本堂・庫裡の屋根が見える。

 その盆橋を渡って右折、pachincoABCの橫を真っ直ぐ進むと写真左のような

 大蔵経寺正面に到達する。比較的優しい道程です。

 正面「大蔵経寺」の門石を進むと写真左「庫裡」がある。その庫裡に受付がある。

 少しだけ時間をつくれば・・・、「静寂と荘厳の世界」を堪能できます。 


 山梨に移住して以来、まだハンドルネームの通り「新甲州人」なので、

未知のことばかりです。もし筆者のテーマ課題について研究成果をお持ち

の方や熟知の方がご覧になられていたら、気になる点をぜひご教授下さい。


 甲斐の名刹「松本山大蔵経寺」

松本山大蔵経寺は庫裡の玄関を入ると「静寂と荘厳の世界」・・・と表現しました!

・本堂との間に葵門(徳川家の葵の御紋が彫られる)から入る客殿の玄関がありますが、

 その中心から見る大蔵経寺の「蓬莱庭園」は、近代になって築庭されたものだが・・・、

 決して名園ぶらず「大蔵経寺山の自然を借景にしてまるで山水の境地を表している」

 大蔵経寺では、37世井上秀典住職により「蓬莱庭園」と名付けられたと云う。

 注)37世住職が「皆様に不老不死の境地をひとときでも感じて頂ければ」と命名・・・。


蓬莱(ほうらい)」とは、古代中国で東の海上にある仙人が住む仙境の一つ。

道教の流れを汲む神仙思想で説かれるもの。不老不死の仙人が住むと伝えられる


 「蓬莱庭園」の癒やし~庭園に注ぐ山水池には、錦鯉が活き活きしている!

 


  大蔵経寺境内の西に赤い鳥居が映える「甲斐・物部神社」


 「物部神社」は、境内に掲げる由緒版によると・・・

物部十社明神といい、物部氏の御先祖であるニギハヤヒノミコト、その子可美真手命

(ウマシマジノミコト)より十神をお祀りする神社です。

・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

往古は、山梨郷御室山に鎮座したが、後世この地に遷し祀る。

現在、御室山に旧蹟があり、最古の神社として伝えられている。と由緒解説がある。


 YS記自習NOTEでは、大蔵経寺山南麓に数々の謎解きを試みた。

その①の課題は、その御室山に旧蹟物部宮が祀られたのはいつ頃の時代か?

筆者は様々な説があることも考査したが・・・、

最終的には、雄略天皇の御代(5世紀中)ではないかと推論することにした。

物部神社由緒に贔屓目に最古の神社と記されるが如何に昔のことなのか?不詳!

注)有名な甲府の昇仙峡奥にある金桜神社とどちらが最古なのか?等々です。

金峰山奥宮は伝景行天皇御代日本武尊東征の登攀道と伝わる金峰山を国家鎮護

の霊地として国奴塩海宿へ命じ本宮創建。雄略天皇10年現御嶽山へ里宮を建立。

とある。現代では創作と云われる「ヤマトタケル伝説より、筆者は雄略天皇期

(説)が有力と見ている。

従って、最古を争うことではなく、甲斐物部神社の旧蹟物部宮は、同じく雄略期

が濃厚とみています。何故なら、雄略天皇の時代に日本国の統制が拡大され・・・、

周知の通り、往時、古代甲斐国は日本国の東端の国であったと云われるからです。

そうすると・・・若彦路の竹居にワカタケルの封地(ほうち)伝説も無視出来ない。

注)ワカタケルは後の雄略天皇であると比定されていることもあって、雄略天皇

自らが甲斐国に来たがどうかは疑問だが、雄略天皇の命で誰かが軍団を率いて甲斐

国へ入国したことと、その軍団こそ物部氏一族ではなかったのかと推論しています。

注)雄略天皇の時、物部目(不詳だが12代?)が「大連」に任命されている。

そうすると、雄略天皇に命じられた大連物部目氏は一族の誰かに命じて、東端の

甲斐国覇権・統治のために遣わしたのではないか・・・との論拠に至っています。  

②もし、物部氏一族が都から来たなら、どの道を越えて甲斐へ入国したのか?

 銚子塚古墳の発掘調査結果により、原秀三郎氏は右左口・中道越えで4世紀中

 には、都から甲斐国入りをしているのではないかと云う説を具体的に述べて

 おられるのが唯一専門家の公の論拠と見るが、もちろん異論を挟むものではない。

 しかし素人の筆者には若彦路の竹居に伝わる「ワカタケル伝説」が無視できない。

 往時、大和朝廷の雄略天皇が甲斐国を日本国東端の要衝とすべく大連物部目氏に

 命じて、甲斐国に入国したのは物部一族の軍団ではないかと考えている。

 その雄略天皇期に絞って見ると、5世紀中と云う見方も成立する。

③そして、この大蔵経寺境内あたりが、物部氏一族の最初の本拠地ではなかったのか

 と考えれば、物部氏一族の高祖ニギハヤヒがその背後の御室山山頂に守護神として

 祀られたと云うのは、なるほど御室山の旧蹟物部宮の話は頷ける”伝説”となる。

 そうすると、古代甲斐国の歴史はここから始まったと云う証しにもなるが・・・!?


 古代甲斐国に物部氏が居たと云う証しと云えるものは一件しか見当たらない。

特に今回のテーマ課題である甲斐物部神社と甲斐物部氏の所縁については・・・、

何故か特定された文献がない。一~二行あっても殆ど課題の解釈や意見が異なる。

甲斐物部氏については、定説化に至っていないらしい。

そこで素人の生涯学習の精神で調査・研究を始めたものの、常に足踏み状態を繰

り返すことになって多くの時間を費やしてしまったが、自由人の生涯学習なので、

謎が多いほど根気がわくことに押されて、ようやく、ある程度の私見(解明)を

まとめる時期に来たのです。

理論武装がまとまったら、しかるべき方にご教授を願いたいと思いつつ・・・、

甲州のキタリモン(よそ者)には、物部氏の詳しい研究者の方に辿り就く術がなく、

従って、上記①②③の謎(宿題)の解明要点だけを抜粋して記させて頂きます。

本編NOTEの記述は数十ページに及びますが、本ブログでは前述程度が精一杯です。

しかも、それは研究成果にはほど遠く、中間地点でのある程度到達した推論にしか

過ぎない点もあるかと思います。自由人の自習過程に免じてご笑談下さい。

専門家の方にはご無礼があるかもしれませんが、何とぞ、ご寛容とご容赦のほど

を伏してお願い申し上げます。先ずはお願いまで。


 御室山山頂の印の大岩に祀られる旧蹟物部宮の石祠・・・!


上記写真のところが、御室山山頂の旧蹟物部宮の目印となる大岩石です。

近年37世井上住職の代になって、累代伝承される場所が後世まで伝えられるよう

取りあえず、目印として小さな石祠を置いて祀ることにされたそうです。YS記


 大蔵経寺山南麓には、

その他、山梨岡神社、摂社吾妻屋宮、菩提山長谷寺、廃鎮目寺、甲斐国府址、

寺本廃寺址、金峰山山宮、金桜神社里宮などの他、山梨市に及んで日下部

の地と日下部氏のゆかりもどうやら雄略天皇の時代考証がベースにあって、

後に、奈良時代、特に養老年間の行基開基の寺院と「大僧正」時代の国策に

基づいた各地の戦略的寺院配置などもとても気になります。

古代甲斐国には、勝沼の「柏尾山大善寺」、塩山裂石の「裂石山雲峰寺」など

甲斐国全体の要衝の立地に行基開基の寺院があるのは、戦略的配置と思えて

なりません。

しかし、これらのYS記自習NOTEを本ブログで掲載するには、容量が足りません。

また、機会があれば、追々に教えを乞いたく思っています。よしなに・・・!


 

 

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