新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

東京から移住して”新甲州人”になった元観光のプロが探訪する”山梨の魅力再発見!”
旅人目線の特選記事を抜粋して発信!

58)御坂山塊、富士山展望の尾根歩きはヤマツツジの回廊!

2014-06-06 | 山梨山行・富士山と御坂山塊

御坂山塊、富士山展望の尾根歩きはヤマツツジの回廊!

「芦川村ドラマチック富士眺望コース」と呼ばれている!

世界文化遺産登録で、何かと騒がしい・・・富士山とその周辺!

しかし、霊峰富士は、やはり「富士を見る静かな山歩き」が一番!

今号は、「芦川村ドラマチック富士眺望コース」を紹介します。

芦川村のすずらん群生、今年は6月上旬が見頃に!新道峠の富士山!Photo Img_0690

 

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御坂山塊、絶景の富士山展望が堪能できる尾根歩き!

芦川村「ドラマチック富士眺望コース」を歩いて見た!

今回は、恒例の芦川村すずらん祭り※5月24日(土)25日(日)に合わせて山行を計画。

せっかく行くからには、富士山が綺麗に見える”快晴”の日に合わせたい!

すずらん開花情報は、http://www.fuefuki-syunkan.net/suzuran.htm

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芦川すずらん群生地~新道峠~大石峠へ縦走する尾根歩きは、芦川村では「ドラマチック富士眺望コース」と推奨する「天空のヤマツツジ回廊」だ。

※芦川村登山ガイドの鳥瞰図をもとに、今回コースのポイント情報を加筆して私的に登山計画の参考資料にしたものです。PDFを開いてご覧下さい。

「mt.fuji panoramic view of ridge ashigawa.pdf」をダウンロード ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

5月24日(土)早朝、新道峠の富士山ライブカメラで見ると、多少霞んでいたが、まずまずの天候のようなので決行することにした。

”すずらん祭り”のシャトルバスを利用させてもらうことを以前から考えていた。そうすると、登山口と下山口を違えて縦走できるメリットもある。

※当日は、何と山歩きの情報検索に慣れたグループリーダーらしい3組が、同じシャトル便を使って計画をしていた。皆、山好きは不便なアクセスのチャレンジに工夫をしているのだ。感心、感心!

余談だが、すずらん群生地を起点にして、一組は釈迦ケ岳コース、一組はすずらん峠から黒岳コース、そして筆者は、ドラマチック富士眺望コースへと歩き方は様々だ。帰りのバス便に合わせて、手頃な日帰り登山の穴場だ!

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御坂山塊 ドラマチック富士眺望コース!

  新道峠~大石峠の尾根歩き!

行程:           

石和温泉駅09:25発==(富士急行バス@850)==10:15着

上芦川10:17発==(シャトルバス@無料)==10:37着すずらん群生地

すずらん群生地11:10発・・水ケ沢林道・・11:59着新道峠登山口(1,550m)

・・・・12:05着新道峠(1,576m)※昼食・・・中藤山(1.665m)・・・

大岩・・・不逢山(1,562m)・・・14:10着大石峠(1,510m)・・・

水場分岐・・・林道終点・・・若彦路・・・16:00着上芦川農産物直売所おごっそう家

17:06発===石和温泉駅17:56着

PDF行程表とスポット写真ダイジェスト:

「ashigawamurafujichoboucorse.pdf」をダウンロード

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新道峠登山口~新道峠~中藤山~不逢山~大石峠の尾根歩きと富士山大展望!

芦川村では、このコースを「ドラマチック富士眺望コース」と名付けている!

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芦川村へ行くには、石和温泉駅前から富士急バスが便利!

石和温泉駅前富士急行鶯宿行バス停祭り期間はすずらん群生地までバス乗り継ぎ便有りPhoto_2 Photo_3

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”すずらん”群生地と新道峠への登山道情報 

芦川のすずらん群生地は、芦川源流域の白樺林にある。

永年に渡り”すずらん”を守り続けてきた故藤本義�・氏や多くの村人達が大切に守り続けている「すずらん群生地」の”お披露目”が、恒例の「芦川すずらんの里祭り」です。

野天駐車場が”祭り広場”になっている。

祭り会場は、白樺林の中にある自生のすずらん散策路を回遊するようになっていて、とても美しい自然林の散策を楽しめる。

”すずらん”は「君影草」とも云う可愛らしい花だ!女性にとても人気がある!

※今年は、残念ながら大雪の影響で開花が遅れ、5月24日の祭りの日には殆ど咲いていない状態。みんな”ガッカリ”していた。

6月上旬になって、ようやく満開になってきたようだ。

※但し祭り期間以外はバス停から歩いて1時間超かかるマイカーの領域である。往復バス利用計画も、何とか歩けるが、時間の余裕はなくなる。

昔は、すずらん群生地の散策路の奥から「新道峠」または「すずらん峠~黒岳」への登山道が抜けていたはずなので、今回、祭り会場の本部の係に聞いたら・・・誰も知らなかった。

ようやく、唯一知る人を探して聞いてみたが、「すずらん群生地奥の谷筋地点の登山道が昨年崩壊したままになっている」とのこと。残念だが登山道ではなく、車も上がれる林道を登ることにしたのです。

しかし、途中、”すずらん峠分岐”の標識の付近で、”すずらん群生地”を結ぶ登山道の明白な標識があるのが確認出来た。何だ・・・、ちゃんと「すずらん群生地」への登山道標識があるではないか!?

すずらん群生地の絵図面の”すずらん散策路”には「”×”印、ここから登山道」となっている。紛らわしい。

あとでチェックして見たら、谷筋のところが崩壊している以外は通れるようであった。このあたりが役場の情報提供の中途半端なところである。

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すずらん群生地から水ケ沢林道へ 林道ゲートから新道峠へPhoto_4 Photo_6

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すずらん峠への登山道(黒岳への近道)すずらん群生地からの近道Photo_7 Photo_8

すずらん群生地

を抜ける

登山道道標。

※本来の近道

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道中に右に見える釈迦ケ岳  南アルプス白根三山もダイナミックImg_0666 Img_0664

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水ケ沢林道終点※車旋回    新道峠登山口※ここから10分と標示Photo_9  Photo_10

※実際は約5分

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御坂山塊の富士山展望尾根回廊!

御坂山塊は、山梨県南部、甲府盆地と富士山北麓及び桂川(?相模川)流域との間に東西に延びる山塊。東から高川山(976m)、三つ峠(1,785m)、御坂山(1,596m)、黒岳(1,793m)、節刀ケ岳(1,736m)等の山が連なる。

※筆者は、東京時代には、河口湖駅~天下茶屋~御坂山~黒岳~新道峠~大石村か、余裕のある時は、大石峠まで伸ばして、大石村へ下山したことは何度かある。

芦川から登るのは、マイカー登山で黒岳へ行っただけ。今回は楽しみだ!

付録:18)「御坂黒岳(1,792,7m)と芦川すずらん群生の里!」

http://blog.goo.ne.jp/yssoho/d/20110529

「すずらんの里祭り」のシャトルバスを利用させてもらったら、今回のドラマチック富士眺望コースは余裕の回遊登山ができたので、すずらんの開花遅れは帳消しでシャトルバスに感謝している。

新道峠で迎える大きな富士山   御坂山塊大石峠への尾根道Img_0682 Photo_11

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新道峠は標高1,576m。今、売り出し中の富士山絶景ポイント!

登山口1,550mから車を停めて歩いて行ける気軽な富士山の大展望地だ!

新道峠分岐には富士山ライブカメラが設置してあり、いつでも富士山の様子が見られる!

インターネット「ふえふき観光ナビ」の新道峠ライブカメラで確認できる。

http://www.fuefuki-kanko.jp/livecam/

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眼下に河口湖を望み、その向こうに大きな富士山が聳える!Photo_15 Photo_13

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御坂山塊の尾根道は、6月上旬にヤマツツジが満開!※14年5月24日撮影!Img_0757Img_0748


38)富士山を”北口本宮富士浅間神社の登山門”から登る!

2012-10-20 | 山梨山行・富士山と御坂山塊

富士山を”北口本宮富士浅間神社の登山門”から登る!

10月13日(土)、富士北麓から五合目まで、「富士信仰の歴史の跡を辿る」登山ガイドツアーに参加してきました。

五合目のあたりは、”ナナカマドやダケカンバ”などの美しい紅葉の季節!

真っ赤なナナカマドや黄色いダケカンバの紅葉、オンタデの草モミジ・・・、

大きなフジアザミやヤマトリカブトなどの花を楽しみながら・・・、

富士信仰の文化遺産が多彩に残る”歴史の吉田口古道”を歩いてみました。

「富士山駅」から望む、快晴の富士山        紅葉が始まった五合目の色彩

20121013_002 20121013

 

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現在、富士登山は、富士スバルライン”五合目小御岳神社”までバスや車で簡単に行けるので、北麓~一合目~五合目までの吉田口登山道は、なかなか歩く機会が少ない。

ほとんど忘れかけられているのではないでしょうか!?

筆者も、春夏秋冬のお中道(大沢崩れ)歩きや富士スバルライン五合目から富士山頂上へ2度も登ったのに、山麓から五合目まで登ったのは、初めての体験です。

山麓から富士山へ登ったことがないと云う人は、多いのではないでしょうか!?

そうかと云って・・・、北麓富士浅間神社の登山門から中の茶屋~馬返し~一合目~二合目~三合目~四合目~五合目~経ヶ岳~六合目~七合目~八合目~本八合目~九合目~吉田口頂上(久須志神社)~剣が峰までを通して登る”時間と元気”がないので、なかなか北麓から頂上へ登る機会もない。

標準的には、2泊3日の行程をとれば無理はないと思うが・・・、決して無理をしないのも安全・安心登山の心得の一つですから・・・。

筆者は、今夏7月に、富士山頂へ登頂して来ました。

7月山開き後、夏休み前の山小屋が空いている時を選んで、且つ梅雨が中休みの7月10日(火)~11日(水)1泊2日の山行プランで、富士スバルライン五合目~富士山吉田口頂上へ登って来ました。

※本ブログ8月号で紹介しています。バックナンバー8月号(36)でご覧ください。

順序は逆ですが、その時、北麓富士浅間神社の北口登山門~一合目~五合目の山行は、気候が良く、秋の紅葉が始まってからにしようと考えていたのですが・・・。

丁度、運よく10月13日(土)富士吉田市富士山課と教育委員会・歴史民族博物館の主催で「古の草山・木山を歩む~富士山歴史散歩」のガイドツアーがあると云うので、参加させてもらいました。

注)富士山概念図では、草山は、北口本宮富士浅間神社~馬返し、

木山は、馬返し~五合目(天地境=森林限界)、焼山は五合目~頂上の植物の状態で区分されている。但し、現在は、温暖化の影響もあり、森林限界が六合目あたりまで上りつつあり、焼山の七合目あたりまで、オンタデが増殖しつつあり、森林限界は変化をしているのではないかと思われる。

昨年1月号のブログ取材で富士吉田市歴史民俗博物館を訪ねた時、学芸員の篠原武さんに勧められて、「富士を登る」と云うガイドブックを購入、拝読した。

筆者は、この本「富士を登る」をキッカケにして、一度は北麓から富士山へ登っ見なければならないと思ったものです。

富士を登る」は富士山の歴史・文化史蹟の解説のみならず、吉田口登山道ガイドマップとしても”優れもの”です。

北口本宮富士浅間神社から北口登山門、吉田口登山道に沿って、”歴史・文化遺産などが写真付・図説で詳細に解説されています。登山ガイドブックとしても必要な情報(登山道情報、標高、距離、標準歩行時間と見所などの全てを網羅しています。この本があれば・・・、誰でも安心して楽しく歩けます!

今回は、その「富士を登る」を執筆・編集された学芸員の”布施光敏”さんが直接ガイドをして頂けると云うので、「富士を登る」を手に「歴史の道~吉田口登山道」の史蹟を巡る登山ガイドツアーに参加して来ました。ラッキーです。

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富士山吉田口”古道”は、今も現役の県道”吉田口登山道”として、歩きやすく整備されています!

本来の”富士登山”は、北口本宮富士浅間神社の登山門(北口鳥居)が起点です!

本来、富士山吉田口登山道は、富士吉田市(上吉田)の北口本宮富士浅間神社の境内にある「富士山吉田口登山門」が起点であることをご存知ですか?

富士山吉田口”古道”は、今も現役の県道「吉田口登山道」として、歩きやすく整備されています。

富士スバルライン五合目の人気とは、うって変わって、富士山の文化遺産と自然の中に息づく動植物を楽しめる「ほんとうの富士山好きが歩く道」です。ある意味では”現代版富士信仰の聖地”なのかもしれません。

北口本宮富士浅間神社登山門 ※登山門は金鳥居から数えて「四番目の鳥居」

 

 

 

 

20120826_133北口本宮富士浅間神社吉田口登山門 

往古の扁額は「三国不二山」。三国は大和(日本)、支那(中国)、天竺(インド)で、三国一で二つとない「不二山」とも呼ばれた。

現在の扁額は「富士山」で、木製の鳥居は古来の神聖な雰囲気がある。今は、外国人の旅行者も大勢訪れています。

富士山NETによると、吉田口登山道は、古くから「北口」とも呼ばれていました。

この鳥居は、起源は明らかでないが、1612年(慶長7年)の古文書「印むすび」に記された第十六 後の門」が登山門ではないかと云われている。

富士講が栄えた江戸時代には、大勢の人々が、この登山門をくぐって富士山へ登拝したことでしょう!

1680年(延宝8年)の「八葉九尊」図に神社境内から登山道が延びている個所に鳥居が描かれており、登山門と推定されている。1860年(万延元年)の「富士山道しるべ」には、「富士登山門 当社の西の隅にあり、額に「三国不二山」の五字あり、これは天和2年朝鮮国春斉の書とされるとある。

又、「この所より(一合目)鈴原(社)迄行程三里余あり」の記述あり、江戸時代より古い歴史があったものと思われる。この登山門で、7月1日の山開きが行われる。

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そうだ・・・!北麓~五合目散策のまえに・・・、

北麓から富士山吉田口頂上までは・・・、一の鳥居から始まって・・・、由緒ある”8個所の鳥居”があると・・・、歴史民族博物館の資料に、解説があります。

?金鳥居 ?北口本宮富士浅間神社参道入口の鳥居 ?北口本宮富士浅間神社の大鳥居 ?北口本宮富士浅間神社の北口登山門 ?馬返しの石造り鳥居 ?七合目鳥居荘の鳥居 ?九合目の丸太鳥居 ?富士山頂久須志神社下の鳥居がある。

各々の”鳥居”は富士山信仰の結界(境界)を示し、登山改役所や山役銭の徴収役場が置かれる目印にもなっていたようです

鳥居と鳥居の跡も数えながら登るだけでも・・・、昔を偲ぶ楽しみがあります!

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筆者の”寄り道”ですが・・・、先ずは”一の鳥居”から”北口本宮富士浅間神社登山門”までの・・・”四つの鳥居”について記述しておきましょう。

”一の鳥居”は・・・、富士山駅の近く、上吉田の下宿、国道139号線と137号線の交差点に、”一の鳥居”と云われる「金鳥居」がある!

ほんとうは・・・、この「金鳥居」から富士(信仰)登山は、始まるのです!

今回のガイドツアーの集合場所から逆方向に離れているので、省略されているが、スタートの前に、紹介しておきたいと思います。

念のためですが・・・、吉田口登山道を登るには、「金鳥居」から始まり、北口本宮富士浅間神社の「登山門」へ至るまでに、”三つの鳥居”をくぐることになるのです。

一番目の鳥居が、関東から甲州街道を経て大月で分岐、”富士みち”を歩いて来ると、最初に至る鳥居が、”一の鳥居”と云われる「金鳥居」です。

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”一の鳥居”と云われる「金鳥居」は、扁額に”富士山”と書かれています!

「金鳥居」から望む富士山(ブログ2011年1月号掲載写真)

Photo「金鳥居」は、浅間神社の鳥居ではない。

”神霊富士山の鳥居”なのです。

新田朝臣源通純書の「富士山」の額字が掲げてあります。

「一の鳥居」と云われ、1788年(天明8年)、御師中鴈丸由太夫の発願により、御師講社、富士信仰者の寄進で金銅で建立されたが、その後台風で崩壊、再建を繰り返す。1944年(昭和19年)太平洋戦争で供出。1955年(昭和30年)に、現在の銅の鳥居が建立された歴史があります。

江戸時代には、この地上吉田に入る時、”俗界と富士山信仰の境界”として、”神聖な存在”であったそうです。「富士山」そのものが”神の聖域”なのです。

鳥居西側の柱の根元に、富士登山元標があり、金鳥居から富士山頂まで、4里13丁10間(17.145km)と記されている。

主に、関東から訪れる富士講の人々は、甲州街道の大月から”富士みち”を通って、上吉田に至るのが一般的であったそうで、上吉田の入り口に「金鳥居」と「登山改役所」が設けられ、大きな目印としたばかりではなく、「山役銭」と云う”入山料”を徴収して、富士信仰者の身を清め、「山行」の身支度を整えてもらい、神聖さを保っていたそうです。上吉田の御師宿の通りは、とても”神聖な領域”であったのです。

詳しくは”北口本宮の参道”とも云える御師宿の通りにある指定文化財「旧外川家住宅」を訪ねて下さい。富士吉田の事がわかる図書も販売しているし、詳しく教えてもらえます。

ブログ2011年1月号をご覧下さいhttp://yssoho.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/01/

参考)甲斐国志によると、頂上まで登るのに122文(うち御師には6文)を山中4ヶ所でそれぞれ納めていたそうです。※現在価値で云うと1200円~1400円くらいではないかと概算されています。

現在、富士山の自然・歴史・文化資源保護のため、新たに入山料を検討されているようですが・・・、筆者は、賛成の意見です!

真に、”富士山を愛する人”のみ、マナーをもって登る人のみになって欲しいもの。

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北口本宮富士浅間神社参道入口の鳥居 

20120826115北口本宮の参道入口の鳥居は「ニの鳥居」

梨本宮守正王の筆によると云う額字も「富士山」です。 

この「二の鳥居」をくぐると”北口本宮富士浅間神社境内”に入る。

ここから長い参道が拝殿に続いている。

1913年(昭和2年)に計画、1916年(昭和5年)に建立。1973年(昭和48年)に銅板葺の鳥居になった。

副碑は、当時の浜口雄幸首相の筆で「御大典記念大鳥居建設 記念碑」と記されている。

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富士山大鳥居

北口本宮富士浅間神社参道を進むと、「富士山大鳥居」がある。

20120826_118 富士山大鳥居は、「三の鳥居」      

浅間神社隋神門の前にある。やはり富士山の鳥居です。

上野寛永寺門跡、曼珠宮ニ品良怒親王の書による額字は「三国第一山」です。

「富士山」そのものをご神霊とする大鳥居は木造で国内最大。

高さ約10m、明約7mで、1952年(昭和27年)建立。

 

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北口本宮富士浅間神社は、西暦110年(景行天皇40年)日本武尊が東征の途に、当地大塚丘に立たれて、「富士の神山は北方より拝せよ」と勅されて、祠を建てて祀ったのが起源とされ、その後、恒武天皇の御代、788年(延暦7年)にこの丘の北東に建てられたのが、現在の北口本宮富士浅間神社です。※上文司厚宮司による。

垂仁天皇の御代(紀元前29年~70年)、富士山の大噴火を鎮めるため、勅令をもって火山鎮護の神「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」を祀ったと云う説もある。

古来、崇高な山であった富士山は、神体山(即ち禁足地)であり、麓にて祭礼がおこなわれ、遥拝されてきた。その後、富士信仰が盛んになり、富士講によって、富士登山(登拝信仰)が発展してきた。

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「大塚丘」・・・北口本宮浅間神社の起源となる神聖な処!

大塚丘」の祠、「大塚山」とも云う。 

Photo_2 「大塚丘の祠」は、北口本宮富士浅間神社境内の北口に、今も、ひっそりと佇んでいる。

茂った樹木に囲まれて、今は、富士山の眺望はないが、日本武尊が東征の際、立寄ったであろう時には、おそらく何もない火山岩台地と大自然の草木がまばらにあった程度で、さぞかし、素晴らしい眺望であったであろう・・・。

昔むかし・・・、日本武尊が、東征の途に、ここに立寄って、「富士の神山は北方より拝せよ・・・」と云われたそうである。

何故なら、富士山は、何所から見ても・・・、山間に少しだけ覗いて見えるだけでも、感動を与えてくれる魅力を持っているからです。

特に、この北山麓から仰ぎ見る富士山は、剣ケ峰から切り落ちる大沢崩れの迫りくる猛しい表情を美粧し、包容力のある優美さを感じる魅力がある!

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吉田口古道ガイドツアーは、「浅間神社参道前駐車場」に、8:00AM集合・出発式!

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36)’12日本一の富士山へ登る!健康感謝の山行!

2012-08-08 | 山梨山行・富士山と御坂山塊

頭を雲の上に出す・・・、富士は日本一の山

日本のどこからでも、富士山を望むと、それだけで何か感動がある!

いつも表情を変える魅惑の富士山! いろいろな想いがある富士山!

富士山は人それぞれに、いろいろな想いを抱かせる”日本人の心の

ふる里”のようなものだと想う!


 

甲州の南窓に垣間見る富士山Photo 023         いつか足柄山から見た想い出の富士山

 

 

 

 

 

 

 

 

 


国際宇宙ステーションから見た冠雪の富士山

Nasa800pxmt_fuji_esc_large_iss002_i

宇宙から見た冠雪の富士山は、

”まるで、箱庭芸術”のようだ!

初めてこの画像を見た時は、

新らたな感動があった!

 

 

ウイキペディアフリー百科事典の「富士山」の項にNASAパブリックドメインとして

掲載されている。本ブログでの使用はOKとのこと。

この画像が初めての方には、ぜひ見ておいて頂きたく、複写掲載しました。

 


 

往古、富士講が隆盛の頃は、御師を先達に、富士吉田

「北口本宮浅間神社」の”吉田口登山門”から大勢が登った!

Photo_2 吉田口登山門の道から見上げた富士山

 

 

 

 

 

 

 


 

富士山は、円錐形に近い典型的に美しい成層火山!

2004年東大地震研究所の調査により、「小御岳火山」より古い「先小御岳火山」が

発見され、現在では四層構造の成層火山とされている。

①年代は不詳だが、「先小御岳火山」が原形になる最古の火山

②約50万年前~約10万年前、「小御岳火山」標高2400mが誕生

③約10万年前、「古富士火山」標高2700mが誕生

④約1万1千年~8千年前、「新富士火山」標高3776mが誕生、現在の姿を形成した。

⑤その後、約5千年の間、火山活動は休止していたが、約2千3百年前に御殿場で大崩壊

が起こった後、江戸時代宝永4年(1707年)迄の間に、約25回の噴火を繰り返して

いる記録があるそうです。

富士山の生い立ちや富士山信仰、御師宿のことなど、バックナンバー

「富士山とともに歴史を刻む富士吉田」で、概要を紹介してあります。

http://blog.goo.ne.jp/yssoho/d/20110121


この”美しい富士山”が、いつまでも穏やかであるように、

祈るばかりです!

 

筆者は、20年以上も前になるが、冬の谷川岳天神平で、まれに見る快晴に恵まれ、

ほんの僅かだが、予期しなかった「富士山」を肉眼で見ることができた時の感動を今でも

忘れない!

それ以来、「富士山を見る山歩き」を楽しんでいる!富士山は”眺めてこそ美しい山”・・・、

そういう印象が強い山だと思っている。

注)しかし、富士山へ登る時は、”富士山を崇める境地”になることが寛容かと考えている。

『富士山は、一度も登らぬバカ、二度登るバカ!?』と云う人もいる。

昔、富士講が盛んだったころ、”富士山登頂を三度極めると、「お中道参詣の資格」が得

られた”と伝わる。

筆者にとって、富士山登頂は”二度目”になるので、いずれ三度目をチャレンジしなければ

ならないだろう!

しかし、三度の登頂を極めないのに、既に何度も、春夏秋冬の”お中道歩き”を楽しんでいる。

妻も、お中道”大沢崩れ”から見上げる剣ケ峰の風景が大好きです。

いち早く訪れる紅葉の秋のお中道は、季節感を堪能する登山ハイクにはお勧めポイント。

ブログバックナンバー「魅力の山行」で、行程表をPDF添付紹介してあります。

http://blog.goo.ne.jp/yssoho/d/20101206  「お中道歩き」の項

 


2012年夏・・・、7月吉日!

”夫婦の健康と妻の古希”を祝して”富士山”登頂・・・!

今月号は、日本の名峰”富士山”登頂を紹介します!

スタートの登山口は、最も便利な”富士スバルライン五合目”から。

山行行程表の詳細は、「fujisantozankiroku20120710.pdf」をダウンロード

富士スバルライン五合目「小御嶽神社」をスタート地点に、河口湖登山道と重なる

”泉ケ瀧”石碑がある分岐路を右上に登り、吉田大沢を横切って六合目「安全指導センター」

へ至る。そこで、吉田口登山道へ合流し、頂上を目指す!

1日目:富士スバルライン五合目発~「大行合」と呼ぶ山小屋の最高地点「本八合目」泊。

登りの標準歩行時間は、約4時間30分、計画は、約5時間30分の目標。

2日目:翌朝、久須志神社の建つ吉田口頂上を目指し、頂上お鉢散策後、下山道を降りる。

頂上登頂含む下山の標準歩行時間は、約5時間、計画は、約7時間の目標。

注)大行合(おおゆきあい)は、吉田口登山道と須走口登山道と合流する本八合目地点。

登山MEMO

①1日目、体調に無理がなければ、本八合目まで登っておくと、翌朝がかなり楽々になる。

我々は「本八合目トモエ館」を宿泊先に選び、初日の登頂目標とした。

②途中七合目に同族のトモエ館を営業していて、休憩は無料でさせてもらえるし、

不要荷物を預かってもらえる。万が一体調がすぐれない場合は、1日目の宿泊を七合目に

変更してもらうことができるなど、いざと云う時、大変便利。

比較的設備もサービスも良いので「トモエ館」を選んだのは正解。

③下山ルートは、基本マナー通り、ブルドーザー道でもあり、砂礫帯で滑り易いが、

広くて安心な「下山道」を降ることにした

※ブル道でもあるので、荷物運搬のため時々ブルが通るので注意。


富士山登山口は、”富士スバルライン5合目”を選んだ!

往古の登山道は8口・・・、現在は4口になっている。※富士山公式テキストブック参照

往古、甲斐(現山梨県)側からは、?吉田口、?河口湖口、?船津口、?精進湖口があり、

駿河(現静岡県)側からは、①大宮口、②村山口、③須山口、④須走口などの8口の

登山道があった。

現在、河口湖・吉田ルートは”富士スバルライン”で河口湖・吉田口五合目へ、

須走ルートは”ふじあざみライン”で須走口五合目へ、

富士宮ルートは”富士山スカイライン”で富士宮口五合目へ、

御殿場ルートも御殿場口新五合目へ自動車道が整備され、

特に、4口の登山道はアクセスが便利になっている。

吉田口は、昭和39年(1964年)に富士スバルラインが開通してから、自動車で

五合目(2305m地点)まで行けるようになったため、河口湖・吉田口登山ルートと

呼んで、最も人気の高いルートになっている。

富士スバルライン5合目を選んだ理由は下記の通り・・・、

①最もアクセスが便利なこと。

※JR「大月駅」乗換えで、”富士登山バス”が発着の富士急行線「富士山駅」や「河口湖駅」

へ便利なこと。

②”富士スバルライン5合目”は、出発地点として諸施設が整っていること。

※山梨県総合管理センターの無料休憩所やトイレ、売店、登山用品店、食堂などが揃って

いて、出発準備に便利なこと。※特に体調調整のため約1時間を要するため

③吉田口登山道は、6合目から山頂まで、山小屋、休憩ポイント、トイレ、救護所が

充実していること。

※7合目より上に山小屋が14軒営業、6合目に「安全指導センター」、7合目、8合目

の2か所に「救護所」があるので、初心者も安心して登れる。

吉田口頂上には久須志神社(登頂証明書朱印)の他、売店小屋トイレ郵便局等の施設がある。

④富士スバルラインから登る場合、シルバープランの日程が組みやすいこと。

※電車や富士登山バスダイヤが便利で、歩行や休憩時間の配分などシルバー向けプランが

組みやすく、ゆっくり歩きの安全安心登山計画ができること。


富士山登山者数は、”河口湖・吉田ルートが圧倒的な人気!

平成17年度から、環境省が四口の八合目に赤外線カウンターを設置して統計をしている。

富士山登山者数は、平成22年度、全体で32万975人を記録している。

そのうち、河口湖・吉田口ルートは18万4,320人で、全体の52%を占めている。

しかも、1日の最大カウント数は、7月31日(土)6,692人を記録していると云う。

富士山は、”標高が日本一だけではない。””人気も日本一の山”なのだと実感する!


週間天気予報を見て、”梅雨の合間”に山行を判断!

富士山は、毎年、7月下旬~8月中旬の夏休み期間が最も混雑する!

我々はできるだけ登山ラッシュを避け、梅雨の最中であるが、少しでも空いている時期

を選ぶことにした。山小屋も空室があり、直前に決められるので有り難い!

梅雨が続いている中、地元の週間天気予報を確認すると、北麓富士吉田の天気予報は

7月9日(月)~12日(水)の3日間だけ、「時々」であった!

早速、スケジュールを調整し、準備をして、7月10日(火)~11日(水)の1泊2日で、

山行を計画することにした。当分、雲がない快晴はなさそうだし・・・、良し!

当日朝、「富士山駅」から見た雲を被る富士山!

Photo_3 

 

 

 

 

 


10日朝、早朝の当日天気予報は、「時々」で、変わりなし。

但し、富士山頂の天気予報は、10日は「時々」に変わりなしだが、

翌11日は「後、または」と急変した。山の天気は変わり易い・・・!

この予報だと、少くとも、”10日と11日の午前中まで”は、

何とか天気が持ちそうだと判断!決行できそうだ!

注)富士山の雷は怖いので、悪天候になる前に、早々下山すれば何とかなる!

当日、富士山駅で、写真のような”雲を被る富士山”を見て、これなら行ってみるしかない

と判断。雨具も装備しているので、一時的な雨なら仕方なしと覚悟。

参考:登山の場合は、日本気象協会の山岳天気予報と山麓登山口の天気予報を合せて見る

ことが重要です。

山岳天気予報web情報はhttp://tenki.jp/mountain/


せっかく、妻と登るなら、せめて、雲海の隙間にでも、下界を覗く

ことができると良いのだが・・・!?

山は、”雨もまた良し”の覚悟もできての出発!※岩崎元郎氏の教えより


富士登山バスで、”富士スバルライン五合目”へ

富士急河口湖駅前発7:20AM。富士登山バス始発便は満員で発車!

6割の乗客が外国人客で、日本に慣れた様子の若者達、想像以上です!

富士スバルライン五合目到着は8:15AM、霧の中の五合目!

五合目山梨県総合管理センターと休憩所&トイレPhoto_4

 

 

 

 

 

 


 

この管理センターは、山梨県側の安全管理を目的に運営されているが、

5月~10月末までは、六合目、お中道、御庭、奥庭周辺の動植物、景観、地形、地質等

の散策ガイドも100名程度までは無料で申し込むことができるとのこと。

富士山ボランティアセンターは、TEL0555-20-9229

 


登山MEMO

この施設は無料休憩所と公衆トイレが完備していて、富士登山準備の基地として利用できる。

10日朝、五合目着が8時15分AMなので、総合管理センターはオープン前、しかし、

軒下のベンチとトイレを利用して、行動食をとり、トイレをすませ、身支度やストレッチ

など軽い身体慣らしを行って準備完了。約1時間後の出発に備える。

五合目は売店や食堂も早くから営業していて、登山用品店もあり、万が一の場合に便利。

注)但し、登山装備等必携品は事前準備が原則です。


富士スバルライン五合目は、どの山よりも、賑やか・・・!

富士山は、標高だけではない・・・、”人気もやはり日本一の山!”

山ガールファッションのお嬢さんや外国人客もいっぱいだ!

富士スバルライン五合目出発前

<img title="20120710" border="0" alt="20120710" src="http://yssoho.blog.ocn.ne.jp/blog/images/2012/08/06/20120710.jpg"

以下、登山行程の詳細記事や添付写真等は、OCN廃止の都合によりGOOブログへ

引越したため、容量不足により削除されてしまいました。

残念ですが、ご自身の計画と情報収集をお願いします。


 


18)御坂黒岳(1,792.7m)と芦川すずらん群生の里!

2011-05-29 | 山梨山行・富士山と御坂山塊

御坂黒岳(1,792.7m)は富士山大展望の絶景ポイント!

新道峠(富士山定点ライブカメラポイント)直下まで・・・、”芦川すずらんの里”から舗装林道を”マイカーでOK”!

今回は、御坂山地最高峰の「黒岳」と「芦川すずらん群生」を訪ねました!

注)全国各地にある黒岳と区別するため「御坂黒岳」とも呼ばれています。

”山梨魅力山行”は、昨年末の「茅ケ岳」以来、今年3月の東北大震災などにより計画を延期していたので、  ようやく5月から再開することにしました。・・・楽しみに!

山行2011年5月26日(木)※例年より12日早い梅雨入りで天候は曇天だが決行。

季節的には、例年、御坂山地はフジサクラが終わり、ミツバツツジが咲く頃ですが、丁度、芦川の「すずらん群生」が見ごろを迎えているので、芦川村から入り、新道峠Pまで車で行って、御坂黒岳へ登ることにしました。

行程は:甲州市塩山発==芦川==新道峠P・・・新道峠(1,576m)・・・破風山(1,674m)・・・黒岳(1,792.7m)==新道峠P==すずらん群生P==大菩薩の湯P==塩山着のプランです。

登山経験者にとって、この新道峠Pより黒岳山頂ルートは最短楽々コースです! 

山行計画書は、「misakakurodake.pdf」をダウンロード

注)各写真はクリックすると拡大鮮明にご覧になれます。

Photo 芦川村案内版で見る黒岳と新道峠

・黒岳をピークに、南の節刀ケ岳の山筋をダイナミック富士山展望コース、北の釈迦ケ岳の山筋を甲斐の名峰まるごと展望コースとして、人気のコースになっています。

・山梨県東八代郡芦川村は、2006年笛吹市に編入合併して、笛吹市芦川となった。

・人口約550人の往古からの里山です。

・交通は、JR石和温泉からバスで60分の距離にある山間地ですが、不便です。

・芦川村は、黒岳を源流として、谷間を流れる芦川沿いに、石垣の段々畑や古民家の集落で形成されている古い里山です。

Photo_2 新道峠に最も近い登山口P

・偶然に、当日ここからの登山道整備工事が行われていて、”本日完成記念の登頂”となりました!

・登山口前の路上駐車は5~6台可能です。

・工事用ブルがあるところから新道峠への登山道が再整備され、歩きやすい道になりました。

・新道峠まで歩いて約15分の距離です。

・スニーカーでも歩ける道に整備されたので、新道峠上で、富士山の展望が楽しめます。

実は、芦川の「すずらんの群生」は、笛吹市に編入合併して以来、毎年5月下旬(今年は27~29日)の金土日3日間、「芦川すずらん祭り」を行っています。JR石和温泉駅より「すずらん群生地」までシャトルバスを運行。今年から、さらにサービスを向上して、「すずらん畑」から新道峠Pまでマイクロバスを運行してくれるのだ。

※そのため、26日は地元の業者さんが、急ピッチの整備工事を行っているところへ行きあったのだ。「今日中に完成させなければと・・・」と懸命な作業中。お礼を言って登らせてもらった。・・・帰路にはすっかり整備が終わり歩きやすくなっていたので、念のためこの記事で紹介をしておきます。

新道峠(1,576m)は、富士山の絶景ポイントです。

※新道峠には、ソーラー電池の富士山定点ライブカメラも設置してあります。

Photo_4 新道峠分岐 ※当日は曇天でかろうじて河口湖湖畔が見下ろせた。想像の大展望もまた良しです!

注)晴天なら、こんな大展望が望めます!Photo_5

※当日は残念ながら、梅雨の合間の曇天で、かろうじて河口湖畔の風景が霞んで見えました。あの向こうに富士山が・・・と、想像の世界もまた楽しです!

またの機会を期待しよう!

何と、連日の雨で洗われている所為か?新緑がことのほか・・・、美しい!

Photo_6 新道峠から見る釈迦ヶ岳

芦川の北側には、甲府盆地からも目立つ「釈迦ケ岳(1,641m)」が眼前にそそり立つ。登って見たい山です。

・芦川の里は、この釈迦ケ岳と黒岳と節刀ケ岳に挟まれた谷間にあって、奥深いところだ。

・こんな山里に、いつ頃から、どうして里人が暮すようになったにか?

興味がある神秘的な里山ですネ。

黒岳山頂付近はフジザクラが小さな花を散りばめて、可愛らしく迎えてくれた。

Photo_8 黒岳山頂の富士山展望地は、トウゴクミツバツツジが美しく、ツツジを前景にした富士山の撮影スポットです。ツツジは蕾みの状態。↓

Photo_13

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Photo_12注)晴天ならこんなダイナミックな富士山展望が!

・「知る人ぞ知る」富士山の絶景ポイントですネ!

・今回は曇天のため、富士山の展望をあきらめた所為か、そのお蔭で、山頂付近には、フジザクラやトウゴクミツバツツジ、クサボケの花があちこちに目に入り、今まで、天下茶屋から御坂峠越えで何度が登った経験のある筆者は、改めて、富士山の展望だけではなく、美しい新緑が映える中に、可憐な草花の豊かさに見惚れました。

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Photo_9 黒岳山頂の元気な藤原教授

・山頂は、樹木に囲まれて眺望はないが・・・、ここから200mくらい南に露岩があって、そこから富士山の大展望が望める!?

・富士山展望地は、新しい標識が立ててあり、分かりやすい。

・山頂から展望地までの尾根道沿いにあるツツジの群生は見事です!

※今回の登山ルートは、最も楽々の最短距離。御坂山塊の縦走路の中では、最も緩やかな稜線歩きの登山道で、道中に富士山展望スポットが数ケ所あるので、あっという間の道のりです。

通常は、登山バス交通便やダイナミックさから、御坂峠の天下茶屋から黒岳へ登り、新道峠から大石バス停へ下りる周遊ルートが多いのだが、標準歩行約5時間半を要するので、新道峠Pからのルートは、簡単、安心ルートを好む方にはお薦めです!

「芦川すずらん群生」は、美しい白樺の林に守られて、今年も可憐に咲いていました!

本州随一といわれる約3ヘクタールの「すずらん群生地」は、地元の有志が地道に守っているお蔭で、毎年、大勢の観光客を楽しませてくれます!

我々は、早朝出発し、黒岳往復の最短ピストンルートにしたので、ゆとりを持って下山。正午前に「すずらん群生」に到着して、すずらん畑を散策をすることができた。昼食はすずらんの里のベンチを借りてゆっくり・・・。

・明日27日から「すずらん祭り」だということを皆さんが良く知っていて、前日でも、祭りで混まないうちに見ようと、前日でも大勢の観光客が訪れていました。何と大型観光バスも3台来ていて、年々、芦川のすずらん群生は有名になっているのだとビックリしました。

Photo_18Photo_15すずらん畑 丁度咲き始めでした

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芦川は、未だ、歴史の神秘が漂う里山です!

Map_ashigawa 笛吹観光情報局 芦川エリアの紹介 

注)写真はHPより拝借しましたので不鮮明。

 ダブルクリックして拡大すると鮮明です。Photo_10

・芦川の古民家(観光情報局HPより)

・険しい山間地に住みついた先人の知恵は凄い!

・古来の石積みが残る段々畑や茅葺屋根が残る兜(屋根)造りの農家の原風景は、古来数百年前からの趣を残している。

・芦川の歴史あれこれMEMO

芦川村は、山梨県富士河口湖町(北側)と笛吹市(南側)の境界に位置し、往古から甲斐九筋の一つ「若彦路」が通じているところで、平成21年に若彦トンネル(富士河口湖町大石~笛吹市芦川間トンネル2,615m一般県道)が開通して、今は、とても便利になっている。

若彦路は、日本武尊の東征伝説に残る古道で、武尊の子、稚武彦(わかたけるのみこと)王の名にちなんでつけられたと言われる。既に平安時代末期(1180年)から「吾妻鏡」に記されていて、源頼朝の挙兵に応じた甲斐源氏の軍勢が富士北麓の若彦路を越えて駿河に向かったとあるが、実際に官道として利用したのはその昔、八代に甲斐の政治の中心(国分寺など)があった時代と言われている。

・若彦路は、甲斐九筋の主要往還の一つ。酒折起点で、国玉、小石和(石和町)、竹居、奈良原(八代町)、鳥坂峠、上芦川(芦川村)、大石峠、大石(河口湖町)、長浜、大嵐(足和田村)、鳴沢、富士宮市上井出で中道往還と合流。駿州吉原で東海道と合流した歴史の古道なのです。

・ayakoさんのブログ「山梨きまぐれ歴史散歩」では、芦川鶯宿に伝わる話に「室町時代にこの地は足利氏が支配していて、11代将軍足利義澄公らしい墓もあるとか!?」「当時の官領細川政元が暗殺をされると義澄は将軍を追われ、近江の国で病死。その遺骨を大勝と宮川等(芦川に子孫が残る)がこの山の地に葬ったと言われていて、「アシカガ」を「アシカワ」という川の名前にして、隠れ澄んだ里山」なのだという話もあるようです。

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