新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

東京から移住して”新甲州人”になった元観光のプロが探訪する”山梨の魅力再発見!”
旅人目線の特選記事を抜粋して発信!

甲州・勝沼で、1186年(文治2年)に、ぶどう栽培が始まった!16-09

2016-09-01 | 山梨の魅力再発見!

何と・・・甲州・勝沼では、平安時代の末期1186年(文治2年)に、

ぶどう栽培が始まっていたと云う!

甲州ぶどうは、今夏もこんなに実ってきました・・・!

「甲州ぶどう」、今や「甲州ワイン」として、世界的ブランドになりつつあるが・・・、

その「甲州ぶどう」は、平安時代の末期より日本最初のぶどう栽培が始まっていたのである。

今回は「甲州・勝沼の魅力再発見」となる「ぶどうの歴史遺産」を紹介します!


 奈良時代、養老年間(718年)、伝行基開創の柏尾山大善寺の国宝薬師堂に、

手に葡萄を持った優しい薬師如来像がある!薬師堂の前に菩提樹の花が咲く!

伝高僧行基建立の柏尾山大善寺の国宝薬師堂釈迦は菩提樹の木の下で悟りを開いた!

養老2年(718年)、僧行基が甲斐の国を訪れた時、勝沼の柏尾にさしかかり、

日川の渓谷の大石の上で修行したところ、満願の日、夢の中に、手にぶどうを

持った薬師如来が現れました。

行基はその夢を喜び、早速、夢の中に現れたお姿と同じ薬師如来像を刻んで安置

したのが、今日の柏尾山大善寺です。

以来、行基は薬園を作って民衆を救い、法薬のぶどうの作り方を村人に教えたので

この地に、ぶどうが栽培されるようになり、これが甲州ぶどうの始まりだと伝わる。

注)解説は大善寺寺伝HPより・・・、

ぶどうを持った国指定重要文化財の薬師如来像は、写真を掲載できなため・・・、

大善寺HPにてご覧下さい。薬師如来像は平安初期の作と伝わる。

http://katsunuma.ne.jp/~daizenji/engi.html


勝沼・上岩崎の雨宮勘解由が野生のぶどうを発見し、城正寺で栽培を始めた!

この上岩崎地域も往古は大善寺の寺領地であった時代があり、雨宮勘解由伝説も大善寺行基

上人のぶどう伝説と無縁とは云えない。

城正寺・字経塚(元大善寺の経蔵の跡)のある「城の平」を歩いて見ると山奥まで続き奥深い。

その城の平を歩いて見ると・・・、柏尾山景と大善寺は真正面にあり、何とその景観が美しい!

山梨歴史美術シリーズ「大善寺」よる記述によると・・・、

奈良時代、聖武天皇から鎮護国家の勅額を賜って以来、当時は皇室を始め多くの武将や豪族の

庇護を受けて今日に至っている。特に古代甲斐国の豪族三枝氏の氏寺として、また甲斐源氏、

歴代武田氏の手厚い庇護を受けて栄えてきたので、全盛期には柏尾山一円に52堂、三千坊を

した大山(大寺院)であったと伝えられている名刹である・・・と記されている。

これからの宿題になるが・・・日本で初めて甲州ぶどうの栽培に成功したこの地「城の平」は

もちろん、岩崎地区は概ね大善寺寺領であったことがわかると・・・、また興味は広がる!

全盛期の52堂、三千坊を想像をすると、寺領地のエリアは甲斐豪族三枝氏の勢力範囲及んだ

等力(現勝沼等々力)・栗原両郷(巨摩郡の飛び地であった時代)、山梨郡、特に能呂・林部郷

の広範囲に展開されていたのではないかと考えられる!?

行基上人のぶどう伝説から始まる興味深い歴史を有する「勝沼・甲州ぶどう」発祥の地として

見ると、勝沼も面白い・・・!また、筆者の新たな宿題としてみたい。

 (写真左)城の平の浅間神社あたり  (写真右)甲斐徳本と葡萄棚の碑

雨宮勘解由伝説は、今は忘れさられているようだが・・・、

実はその子孫と伝わる上岩崎の雨宮家に、”伝統の甲州ぶどう”の歴史が活きている!?

上記写真左が、野生のぶどうが発見されたのではないかと云う城の平岩崎山方面。

城の平のことは・・・、情報不足なので足で歩いて探して見ることにした!

城の平は・・・、広いエリアで樹林と葡萄畑が延々と山に向けて開かれているので、 

先ず訪ねる最初の目印は、民家もある「観光地図にも載る(徳本の碑)」辺りとした。

「徳本の碑」は、勝沼町教育委員会が掲げる「甲斐の徳本(とくほん)と葡萄棚」の碑

上岩崎1041番地の東隅に・・・江戸時代初期、上岩崎を訪れた”甲斐の徳本”

がこの地で栽培されている甲州ぶどうを見て、新梢が太く、樹勢が旺盛で、

蔓の伸長しがちなことから、株栽培に代わり竹で棚を作り栽培する方法を教えて

くれたといい、これが葡萄棚の始まりであると云う。※天和元年(1681年)文書。

注)「甲斐の徳本」は、永田徳本(ながたとくほん)と云い・・・、

1513年三河国大浜村生まれ、大永年間には、漢方医として武田信虎・信玄に仕え、

信州でも活躍した人ですが、特に甲斐に長く逗留したことから「甲斐の徳本」とも

呼ぶようになったという。長田姓(永田とも)と云われ、知足斎、乾堂とも号した

※上野晴朗著「ぶどうの国文化館」歴史読本

注)上野晴朗著の徳本の没年は118才(永正10年生~寛永7年(1630年)没)。

  ※117才、90余才など説があるようだが、118才説はぶどうの長寿に相応しい。

本草学にも通じ、103才の頃、甲斐における葡萄栽培法の改良(葡萄棚架法)

も行ったと記される。晩年は現長野県岡谷市に居住、墓碑が存在すると云う。


雨宮勘解由の子孫は、今も、”伝統の甲州ぶどう”栽培を続けている!

雨宮家は「大一葡萄園」として、甲州ぶどうの伝統と誇りを守り続けている!

勝沼・上岩崎字城正寺の雨宮家「大一葡萄園」の甲州ぶどう園の片隅に・・・

勝沼町教育委員会の「雨宮勘解由伝説」解説版が掲げられている。

解説によると・・・、上岩崎を舞台にした甲州葡萄の発祥にまつわる伝説の一つ。

明治14年福羽逸人著「甲州葡萄栽培法上巻」で初めて紹介された。

文治2年(1186年)上岩崎の雨宮勘解由が、城の平に祀られていた石尊さんの

3月27日の例祭に登る途中、山葡萄の変化したものを見つけ、尊宮の賜りしものとして

持ち帰り城正寺に移植して大事に育て5年後の建久元年、三十余り房の実を付けるよう

になり、同8年には信濃善光寺へ参拝する途上の源頼朝に献じて褒められたと言う。

この伝説は・・・、勝沼で現在栽培されている甲州葡萄は、長い年月と人々の情熱で改良

が加えられてきたものであると云うことを伝えていると理解されている。

注)城正寺は上岩崎字城正寺の地名。三十余りの房の実が付いた建久元年は1190年。


上岩崎の雨宮家「大一葡萄園」の祖先は、甲州ぶどう栽培の先駆者・・・!

雨宮家「大一葡萄園」のぶどう畑の中には、「東宮駐駕之處」の碑もある!

写真右)甲州ぶどうを伝える錚錚(そうそう)たる雨宮家の門構えは・・・風格も伝える!

写真左)葡萄畑の中には、「東宮駐駕之處」の碑がある。

大正11年、昭和天皇が東宮(皇太子)の頃、山梨県を行啓されて祝村の「大黒葡萄酒」を

訪問された時、往時の葡萄園として秀でていた「大一葡萄園」を訪ねられている。

その記念の碑であるが、往時の東宮侍従長入江)為守書の碑は、雨宮家の譽でもある。

注)「大黒葡萄酒」は、明治12年宮崎光太郎が設立した大日本山梨葡萄酒会社で・・・、

現甲州市近代産業遺産宮光園(旧宮崎葡萄酒醸造所)を訪問された時に、祝村から近い雨宮家

の大一葡萄園を行啓されている。

雨宮家の門構の前にある甲州ぶどうの畑に、勝沼町教育委員会の「鐡棒棚実験園」標識がある

その標識には、「勝沼における葡萄づくりは、江戸時代より竹棚を用いたが、明治12年

(1879年)上岩崎の雨宮作左衛門が、鐡棒を用いることを考案し現在の大一葡萄園

で実際に架けた。この棚は一間四方に立てた栗杭の上に竹の代わりに鐡棒をもって棚を架け

るもので、当時は針金棚と呼ばれたが、当時はまだ鐡棒の値段が高く、また、入手しにく

かったことから、普及するまでには至らなかった。

しかし、この鐡棒棚が次の針金棚を生み出すきっかけになったことはまちがいありません」

と記される。

筆者記:雨宮作左衛門(現当主の5代前)も、系図は不詳だが、雨宮勘解由を継承する子孫。

雨宮家は、勘解由を元祖とすると、現当主で19代・・・になると云われている!

累代にわたって、何と・・・、伝統と技術革新に熱意をもった血筋なのだろうかと感心する。

雨宮家は「現在も”ワイン用の甲州ぶどう”だけを栽培し続け、一括大手某ワインメーカーに

のみ納入している」とのことで、時代に流されず伝統の甲州ぶどうを守る姿に感銘を受けた。 


「宮光園」・・・、現在は、勝沼ぶどう郷の観光情報発信基地になっている!

この「宮光園」を最初に訪ねて、”甲州ぶどう”と”甲州ワイン”や勝沼の情報を得るのも良い。

現メルシャンワインのルーツ、明治創立の「大日本山梨葡萄酒会社旧蹟」と「宮光園」

  

明治12年、宮崎光太郎が大日本山梨葡萄会社でフランスより帰国した高野正誠と

土屋龍憲(助次郎)にワイン醸造技術を学び、明治19年に会社が解散すると、

それを継承し、土屋助次郎とともに、ワイン醸造を継続して、販売のため東京に

「甲斐産商店」を設立。明治23年に甲斐産商店を引き継ぎいで独立。明治25年

には、宮崎第2醸造場を建設し、・・・エビ印、丸二印、大黒天印のワインを世に

出し、ワイン醸造を産業として確立しました。

先ず、「宮光園」を訪れると良い・・・、葡萄づくりとワイン製造の歴史について

知ることができます。その後、周辺散策を始めると良い。

注)但し、勝沼ワイナリー巡りは予め何軒かを選び、計画を立てて巡るのが良い。

9月~10月は各農園の生食用ぶどうもピークになるので事前に、計画するのがベター。


シャトー・メルシャンの勝沼ワイナリーは、超モダンだが・・・、

明治の先達、宮崎光太郎のワイン開発魂を継承している!

ワイナリーエリアには、ビジターセンター、醸造所、駐車場があり、宮光園を中に、

ワインミュージアムエリアには祝村ビンヤード(見学は予約制)、ワイン資料館がある。

そしてワインギャラリーのWINE CAFE(ワインカフェ)はワインセット¥300~

ランチペアプレート¥1200、Pasta¥1200、コーヒーセット¥700など楽しめる!

車なら、観光立地も良く、この地域ではもっともモダンなワインカフェになっている。

 シャトー・メルシャンのワインカフェから望むガーデンテラスとワイン用葡萄農園

事前に、Winery|シャトー・メルシャンのHPをご覧の上、訪れるとベター!

http://www.chateaumercian.com/places/winery/


宮光園のすぐ近く、「ぶどうの国文化館」にも立ち寄って見ると良い!

写真左「ぶどうの国文化館」の隣は勝沼図書館(葡萄に関する貴重な蔵書が閲覧出来る)

ここでは、上野晴朗著「ぶどうの国文化館」歴史読本を読むと勝沼のことが全て分かる!

写真右は、ワイン好きならぜひ一度は見ておきたい「龍憲セラー」跡。

龍憲セラー(りゅうけんセラー)は、煉瓦造りの最古のワイン貯蔵庫である。

明治33年頃、土屋龍憲が建設したと言われるが、土屋龍憲が貯蔵庫の建設に携わった

記録は未発見。「甲州市のワイン醸造関連遺産」として経産省の「近代産業遺産」に認定。

そして、国の登録有形文化財「葡萄酒貯蔵庫(龍憲セラー)」にも指定されている。

明治10年(1877年)、勝沼にメルシャンのルーツとなる日本初の「大日本山梨葡萄酒会社」

が設立され、地元の若者二人土屋龍憲と高野正誠をフランスへ留学させ、ワイン醸造を学び、

明治12年(1879年)帰国後、日本酒の酒蔵を借りてワインづくりを開始したが、その後、

その敷地にフランスで学んだ半地下式のアーチ式煉瓦づくりのワインセラーを土屋龍憲が

建設したと伝わる。

注)現在は、シャトーメルシャンで管理しているが、中には入れない。

  事前予約のツアーがあるようです。

注)「龍憲セラー」についてはフリー百科事典「ウイキペディア」に詳しく解説されている。


 もっと興味があれば、勝沼最古の甲州ぶどうの古樹(現役)も見ると良い! 

勝沼富町の「甲州ぶどうの古樹」は旧勝沼町の指定文化財。 目印は「中央園」看板。

勝沼富町にある最古の甲州ぶどう樹は、”推定樹齢118年”と云う。

  即ち、遡ると明治31頃植えられたことになる現在も房実を付けて健在である。

昭和53年、勝沼町指定文化財。勝沼町教育委員会の現地標識版によると・・・、

甲州ぶどうは、古くから勝沼で栽培されてきた固有種で、明治以降は外来品種と区別

するため”日本ぶどう”とも呼ばれた・・・・・・・・・。

この勝沼富町の「甲龍」の名を持つ甲州種ぶどうは根回り1.03m、目通り0.8m

を測り、大正年間に普及した台木接木方の以前に植えられた自根ぶどうで、昭和53年

3月31日に文化財指定時で既に樹齢80年を数える最古のぶどうです」と記される。


勝沼の暖かい”もてなし”を感じる「勝沼まち案内&Cafeつぐら舎」

 ちょっと、一休み・・・、最も勝沼らしい、暖かいCafeを紹介します。

”つぐら”は藁(わら)で編んだ今流のおひつの保温櫃(ほおんびつ)のこと。

場所は、旧甲州街道を下り、勝沼最古の甲州ぶどう樹がある中央園の隣です。

昔懐かしい”つぐら”を知る人は、その言葉だけを聞いても暖かくなる。勝沼の今・・・、

旅人を暖かいもてなしで迎えたい「つぐら」の心を伝えたいという瀟洒なCafeです。

農家の縁側でお茶をご馳走になる暖かい雰囲気を想像してもらえると良いと思います。

元々店主の小出順子さんは筆者が甲州市に移住以来、甲州のことを教えて頂いたもの知り

女性です。元甲州市の観光案内所のベテランガイドでしたが、勝沼の有志に招致されて、

勝沼へ観光訪れるお客様に勝沼まち歩きに、休憩して頂きながら粗茶などを提供し・・・、

丁寧なまち案内もできるようにと始まったようですが、今は手料理だが・・・気軽なランチ

も提供している.特に都会からの旅人は結構”和んで”います!地元では女性客に人気がある!

店の雰囲気は、店主のブログをご覧下さい。とても女性店主のセンスがお洒落で”くつろげ”ます。

「今日もおでかけ日和~まち案内&Cafeつぐら舎~」http://ameblo.jp/yamanekineko/

つぐら舎は、つぐらの心のように暖かい雰囲気があるお店です。

絞りたてのぶどうや桃ジュース、コーヒーの他、お洒落で気軽なメニューもある。

勝沼を訪れる旅人への暖かいもてなしと店主の詳しい甲州域のまちガイドとても嬉しい処です。

筆者も久し振りに”くつろいだ気分”でランチ(¥800)とコーヒー(¥300)を頂いて来ました。


Cafe「つぐら舎」の旧表門構えをくぐると・・・、

勝沼の先駆けとして”観光ぶどう園”を始めた川口園ぶどう畑の入口です。

ここから約100m、葡萄棚のトンネルの先に「川口園」受付があります。

川口園は、わいんと宿~ぶどう狩りとバーベキューがキャッチフレーズです!

詳しくは、Webをご覧下さい。http://kawaguchien.jimdo.com


勝沼フットパスを歩けるなら・・・、鳥居平のワイン葡萄園を歩くと良い!

勝沼で最も日照条件や地形に恵まれている「鳥居平」のワイン用ぶどう栽培園

10月~11月、甲州ぶどうなどの葉が紅葉する!そのパノラマ風景は他にはない絶景です!

 

注)鳥居平は「シャトー勝沼ワイナリー」のぶどう畑から大善寺に向かう柏尾山西麓を云う。

柏尾山の鳥居焼の場所から、すぐ下の山麓の傾斜地に位置する。

勝沼フットパスのルートを確かめて、鳥居平から大善寺の境内へ抜けるルートが、

最も眺望が美しい!山麓の傾斜地にあるぶどう園に沿って歩きながら望む勝沼ぶどう

郷と甲府盆地の全貌と南アルプス、奥秩父山塊などダイナミックパノラマが楽しめる!


  勝沼観光の集大成には、「勝沼ぶどうの丘」に立ち寄ると良い・・・!

 

勝沼ぶどうの丘は、小高い丘の周囲は、ぶどう園が盛りだくさんある。

ぶどう狩り食べ放題、生食用ぶどうも選び放題で品種も多い、店内に勝沼産ワインが

勢揃いしている。地元産のお土産も殆ど揃っている。

日帰り温泉「天空の湯」も大人気・・・露天風呂など眺望は抜群!

レストランもあり、施設は古いがホテルもある。※シーズンは結構混んでいるので要予約。

 勝沼ぶどうの丘は、JR勝沼ぶどう郷駅からもローカルバス(片道¥300)で行ける。

但し、バスは本数が少ないので、駅前から初乗り(¥710)で行けるタクシーが便利。

詳しくは、甲州市勝沼ぶどうの丘HPをご覧下の上、楽しみ方を見つけて下さい。

http://budounooka.com/