今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

平安遷都の日

2005-10-22 | 記念日
今日10月22日は「平安遷都の日」
794(延暦13)年、桓武天皇(山部親王 やまべのみこ )が長岡京から山背国葛城郡宇太村の新京に移った。「平安京」と命名されたのは、その年の11月8日だった。毎年、長岡京から平安京に遷都されたこの日に、葵祭、祇園祭と並ぶ京都三大祭りの一つである、平安神宮(左京区岡崎)の祭礼、時代祭が行われる。平安神宮は、明治維新によって著しい衰退を見せた京都の町おこし事業の集大成として、1895(明治28)年、平安遷都千百年紀念祭の時に創建され、時代祭も、明治28年のこの時より行われている。平安神宮は、平安遷都を敢行した桓武天皇と平安最後の孝明天皇が祭神として祭られている。建造物は、平安京大内裏の朝堂院を模して作られており、碧の瓦と朱塗りの楼門と白砂のコントラストが見事な景観を作りだしている。時代祭りでは、明治勤王隊を先頭に平安時代までを遡る時代毎の衣装を着た2000人もの行列が建礼門前を出発し、堺町御門から市中に出て行き、平安神宮まで巡行する。
桓武天皇は、平安京へ遷都の前に、延暦三年(784)都を平城京から、山背国乙訓郡(おとくにぐん)の長岡京に移している。しかしこの長岡京はたったの10年で放棄され、この地より東北の、鴨川と桂川の二川に挟まれた同国葛野郡(かどのぐん)に都(平安京)が移されることになった。長岡京は、最近の発掘調査でも、未完の都ではなかったことが確認されており、なぜ、その都を僅かな期間で捨てたのかは、多くの疑問を残すところとなっているようである。原因としては、早良親王(さわらのみこ)の御霊(怨霊)による政情不安や洪水などの自然災害が考えられてはいるが、正確なところはわかっておらず、ここでの論は省略する。
平安京は、中国の都である洛陽や長安などの都城をまねて造られたもので、その規模は、「延喜式」の記事によると、全体は、東西1508丈(約4.5km)、南北1753丈(約5.3km)の長方形をしており、大路・小路が規則正しく東西・南北に走っている。碁盤の目状に整然と道路によって庁舎や宅地が区画されている人工の計画都市であった。
平安京は東に鴨川(青龍)、西に東海道(白虎)、北に船岡山(玄武)、南に巨椋池(朱雀)があり、風水的にも理想の地なのだそうである。
1200年を超える歴史を持つ都市・京都は、世界でも有数の長い歴史を持つ都市である。難波京、藤原京、平城京、長岡京を経て京都はに政治の中心が移ってきた。しかし、今、この京都から、かっての平安京の姿を具体的にイメージすることは容易ではない。朱雀大路は外国の使節を迎える二つの鴻臚館(こうろかん)・東西の市、寺院などを有し、平安京の主要な外交・経済・宗教施設がその近辺に整えられ、ていた。朱雀大路が南北の都市軸とすると、東西の都市軸として、幅十七丈(約51m)の二条大路があげられる。この大路は大内裏の南端を画するものであり、同時に京の南北を区分するものであったらしい。つまり、二条大路以北は大内裏と諸官衛(しょかんが)、それに、雑色人などが集団住居する「厨町」や上層貴族の居住地域が広がり、一方の二条大路以南は一般貴族、官人ならびに都市住民の「京戸」の居住地域と言うように、基本的な施設配置がなされていたようである。
現在の京都は、あの、応仁の乱後大きく変貌を遂げている。今では、東西南北に走る通りに平安京の道路割りが継承されている点に昔が偲ばれる程度という。
平安京の入口、羅城門は東寺の西方にあったが、そこから朱雀大路が北へ延びその北端が平安宮の大内裏だった。現在は千本丸太町の児童公園内に大極殿遺跡の石碑が立つのみで、遷都当時の平安宮の面影をしのぶものはなく、平安京のメインストリートの朱雀大路も千本通と名を変えている。
「みやこ」と言う意味の一般名詞である「京都」が平安京において初めて固有名詞(地名)化したしたのも、都市としての生命力の長さによるものだろう。そして、京都が都市としての発展を遂げると同時に、農村との構造的な分離を進めることともなったが・・。今までの大陸文化との長い接触の中から、ようやく、日本独特の倭風文化が作り出され始めたといえるだろう。日本の都・京都には、この長い歴史の中で培われた日本独特の文化が根付いている。やはり、京都は、今でも日本文化の中心都市である。これからの季節、秋の紅葉見物を兼ねての観光もいいね~。
(画像は、平安神宮・応天門)
参考:
平安神宮公式サイト
http://www.heianjingu.or.jp/
風水都市京都/桓武天皇が恐れたもの
http://www.ley-line.net/motoise/motoise_07.html
短命の長岡京の謎
http://www.ne.jp/asahi/kiwameru/kyo/nazo6.htm


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2 コメント

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時代祭り (よーさん)
2005-10-26 18:18:47
とんとんさん、時代祭りの歴史は、以外にも古くないんですよね。でも、壮大だろうな~
Unknown (とんとん)
2005-10-22 23:01:04
今日は古都の三大祭の一つ 時代祭がありましたね

まだ見たことはないのですけど18列2000にんの行列は一度は見てみたいと思います。

紅葉の京都もいいでしょうね 桜ももみじも京都では景観も良いですから特に素晴らしいと思います。

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