五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

ニュートヨタ7

2012年04月25日 | ミニカー
昨日に引き続き、トヨタ7の話題で恐縮ですが...。

1968年の日本グランプリ(日本GP)に完敗したトヨタは5リッターの新しいトヨタ7を開発しました。
そして、7月と8月に行われた2つのレースに優勝して、5台のニューマシンをそろえて自信満々で臨んだ日本GPだったのですが...。

結果はまたしても6リッターのエンジンを搭載したR382の後塵を拝することになり、ヨーロッパから持ち込まれたタキ・レーシングのポルシェ917/908を抑えて3位~5位を占めるのがやっとでした。

カーナンバー2は久木留博之/細谷四方洋選手の運転で予選4位、決勝5位。
カーナンバー3は川合稔選手の運転で予選5位、決勝は3位。
カーナンバー5は鮒子田寛/高橋晴邦選手の運転で予選9位、決勝は5周目でリタイヤ。

また、カーナンバー6は蟹江光正/見崎清志選手の運転で予選8位、決勝は12位。
カーナンバー7は高橋利昭/V.エルフォード選手の運転で予選6位、決勝4位。



日本GP後、トヨタ7は日本で開催された日本Can-Amというレースに出場し、ローラ、マクラーレン、オートコーストなどの7リッターマシンを相手にバトルを繰り広げ、カーナンバー8の川合稔選手のトヨタ7が見事優勝を飾ります。
このときのトヨタ7はリアカウルをカットし、大きなウィングを装着していました。



以上のミニカーはすべてエブロ製、1/43スケール。

トヨタは1970年のレースに向けてさらに新しいトヨタ7(これをニュートヨタ7と呼ぶ場合もあります)を開発しました。
排気量は同じ5リッターながら、ターボチャージャーを装着し出力は何と850馬力以上にもなるという「怪物」マシンでした。
しかしニッサンの不参加等の理由により1970年の日本GPは中止となってしまいました。
行き場を失ったトヨタ7は北米で行われる本場のCan-Amレースへの参加を決めた矢先に練習中の事故を起こしドライバー(川合稔さん)が死亡するということが起きて、プロジェクトは中止を決定されてしまいました。
こうしてこのトヨタ7は一度もレースに出場することなく幻のマシンとなってしまったのです。

下のミニカーは、あるレースのイベントに出走したときの3台のニュートヨタ7をモデルにしたものです。



※ミニカーはQ-Model製、1/43スケール。

私はある展示会で実際のニュートヨタ7を見たことがありますが、思っていたよりもずっと低くコンパクト(というか、小さい)という印象を受けました。この車体がサーキットを走る姿を一度でいいから見たかったと思います。

まあ、そのときの気持ちが高じて今トヨタ7のミニカーを集めるようになったわけなのですが。
今も私にとって一番思い入れの深いレースカーであることに変わりはありません。



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