1969年に活躍した2台のトヨタ7、どちらも懐かしいマシンです。
右側のトヨタ7は1969年の日本グランプリに出場したマシンです。
前年の日本グランプリで日産のR381(エンジンはシボレー5.5L)に敗れたトヨタは新型のトヨタ7を開発し(エンジンを3Lから5Lに拡張)、その年の富士1000Kmレースなどを制し日産との対決のために10月の日本グランプリには5台のマシンを送り込みました。
これに対して日産は何とレース直前(予選前日)にエンジンを5Lから6Lに変更するというキタナイ手を使って(と当時中学生の私は本当に思った)きたのです。
今にして思えば、日産も実績の無いエンジンを使うというリスクをおかして勝負をかけ、それに勝ったということを賞賛すべきなのでしょうが、当時は単純にそう思ったものです。
で、結果は2台の日産R382がワンツー・フィニッシュを飾り、トヨタ7は3位に甘んじることになったのです。
カーナンバー5番は確か早いうちにリタイアしたんじゃなかったでしょうか(ドライバーは鮒子田?)。でもブルーの色が好きなのでこのマシンを選びました。
個人的にはこのレース、ポルシェ917に乗るジョー・シファートも応援していたのですが、練習が不十分で本番では十分な成績を残せませんでした。
さて、
左側のトヨタ7は、1969年11月に行われた「日本Can-Am(カンナム)」というレースに出場したときのマシン、リアをカットしたボディと大きなウィングが特徴的です。
前述のマシンが青なのでこちらは赤を選びました。(という単純な動機で選んだという!)
本場、アメリカ・カナダで行われたCan-Amは私の好きなレースのひとつでした。
常勝マクラーレン(当時のブルース・マクラーレンとデニス・フルムは本当に強かった)と対抗馬のローラという単純な構造でしたが、可変ウィングの導入やファンを使って車体下の空気を吸い出してしまうという“ファン・カー”など、色々なアイデアを実現した“怪鳥”シャパラルも好きなマシンでした。(あまり勝てなかったけど)
トヨタ7は日本グランプリで敗れた後、Can-Am参戦を計画していて、翌年発表したトヨタ7にはターボを装着して馬力アップをはかったのですが、川合稔さんが練習中に事故死して、この計画は実現しませんでした。
余談ですが、高斎正さんのお書きになった「トヨタが北米を席巻するとき」というCan-Am参戦をテーマにした小説もありましたね。
右側のトヨタ7は1969年の日本グランプリに出場したマシンです。
前年の日本グランプリで日産のR381(エンジンはシボレー5.5L)に敗れたトヨタは新型のトヨタ7を開発し(エンジンを3Lから5Lに拡張)、その年の富士1000Kmレースなどを制し日産との対決のために10月の日本グランプリには5台のマシンを送り込みました。
これに対して日産は何とレース直前(予選前日)にエンジンを5Lから6Lに変更するというキタナイ手を使って(と当時中学生の私は本当に思った)きたのです。
今にして思えば、日産も実績の無いエンジンを使うというリスクをおかして勝負をかけ、それに勝ったということを賞賛すべきなのでしょうが、当時は単純にそう思ったものです。
で、結果は2台の日産R382がワンツー・フィニッシュを飾り、トヨタ7は3位に甘んじることになったのです。
カーナンバー5番は確か早いうちにリタイアしたんじゃなかったでしょうか(ドライバーは鮒子田?)。でもブルーの色が好きなのでこのマシンを選びました。
個人的にはこのレース、ポルシェ917に乗るジョー・シファートも応援していたのですが、練習が不十分で本番では十分な成績を残せませんでした。
さて、
左側のトヨタ7は、1969年11月に行われた「日本Can-Am(カンナム)」というレースに出場したときのマシン、リアをカットしたボディと大きなウィングが特徴的です。
前述のマシンが青なのでこちらは赤を選びました。(という単純な動機で選んだという!)
本場、アメリカ・カナダで行われたCan-Amは私の好きなレースのひとつでした。
常勝マクラーレン(当時のブルース・マクラーレンとデニス・フルムは本当に強かった)と対抗馬のローラという単純な構造でしたが、可変ウィングの導入やファンを使って車体下の空気を吸い出してしまうという“ファン・カー”など、色々なアイデアを実現した“怪鳥”シャパラルも好きなマシンでした。(あまり勝てなかったけど)
トヨタ7は日本グランプリで敗れた後、Can-Am参戦を計画していて、翌年発表したトヨタ7にはターボを装着して馬力アップをはかったのですが、川合稔さんが練習中に事故死して、この計画は実現しませんでした。
余談ですが、高斎正さんのお書きになった「トヨタが北米を席巻するとき」というCan-Am参戦をテーマにした小説もありましたね。