スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

総選挙の争点<1> 勤労所得税額控除の是非(その2)

2010-08-09 09:10:03 | 2010年9月総選挙
前回は若干ややこしい話をしたが、簡単に言えば2006年秋に政権を獲得した中道右派政権は、

勤労所得税額控除(Jobbskatteavdrag:英in-work tax credit)を導入した(一種の所得税減税)。
・純粋な勤労所得のみが税額控除の対象であり、年金・失業手当・疾病手当などは対象とならない。
・税額控除(減税)の恩恵は、税率で見た場合に低所得層でもっとも大きくなるように制度が設計された。
・まず2007年に導入し、その後、2008年、2009年、2010年と控除額を拡大していった。
・目的は、人々の勤労インセンティブを高め、特に社会的給付に依存している低所得層の労働供給を高めること。
・もう一つの狙いは、労働供給を増やすことで賃金の上昇圧力を緩和し、雇用(労働需要)の増加につなげることだった。
・この政策は2006年秋の総選挙に先駆けて中道右派ブロックが公約に掲げていた。

それから前回書き忘れたが、この税額控除は正確に言えば、国(中央政府)がその分だけ納税者に還付しているということだ。というのも、中低所得者にかかる所得税といえば地方所得税のみであるから、直接的な減税という形で国がこの制度を導入してしまえば、地方自治体の税収を減らし、課税権を侵害してしまうからだ。だから、地方税収を変化させることなく、控除分を国が納税者に払い戻すことで実質的な減税を行ったのだ。

2007年の最初の導入以降、3度にわたって拡張されたこの制度のおかげで、減税の総規模は710億クローナとなった。GDP比にすると約2.2%に相当する。それだけ国民負担率が減少したということだ。

しかも、この制度によって特に低所得者が大きな恩恵を受けることとなった。下のグラフは、月収21000クローナ(25万円)の人に課せられる限界税率平均実効税率が2006年からどのように変化したかを示したものだが、確かに毎年、勤労所得税額控除の制度が拡張していくにつれ、徐々に減少していることが分かる。


しかし、選挙後に野党にずり落ちた社会民主党からは、(当然ながら :-)導入の当初から批判の声が相次いだ。その根拠はまず、減税すれば税収が減るため、その分だけ、歳出を削減せねばならず、それは社会保障・福祉の削減に繋がりかねないというものだった。この論拠を用いて社会民主党以上に政権を批判したのは、以前は社会民主党と閣外協力の関係を築いていた左党(旧共産党)だった。

彼らはさらに「高所得者に一番大きな恩恵を与える政策だ」と非難した。どうしてかというと、控除額そのものをみれば高所得者ほど減税が大きいからだ。前回も書いたように、同様の制度を以前から導入してきたイギリスやアメリカのin-work tax creditの制度と違って、スウェーデンの制度では控除額が高所得層で減少しない


下の表に示すように、所得が高いほど税額控除の額は大きい(1752で頭打ち)。だから、彼らの指摘は確かに正しい。しかし、所得に対する減税の率でみると低所得層のほうが大きな減税を受けていることになる。減税の絶対額が重要なのか、それとも減税の率が重要なのか、人によって判断は異なるだろうが、通常は率のほうを見るものだ。だから、残念ながら社会民主党などの批判はおかしい。自分たちの主要な支持層である低中所得者層により大きな恩恵があるのを知りながら、政権を批判したいがために無理にこじつけたのではないかと思える。


他方で、経済学の専門家からも批判が上がった。私が前回書いたように、この政策はあくまで労働供給側に作用し、供給量を増やすものでしかない。労働需要側には作用しない。それでも、中道右派政権がこの政策は雇用を生み出す、と主張するのは、賃金上昇圧力が抑えられるという前提があるからだ。しかし、もしこの仮定が崩れば、つまり、賃金が以前と同じような速さで上昇を続ければ、労働供給ばかりが増えて、失業率の上昇につながる。


実際のところ、スウェーデンの賃金を決める各業種・職能別の団体交渉では、主に労働生産性の上昇が賃上げ幅を決めるときの決め手であるから、労働供給が増えたか減ったかということは直接的には影響を与えない。

また、政権は控除額の拡大をリーマンショック以降の不況の真っ只中でも行った(第3次・2009年、第4次・2010年)が、労働需要が大きく減少していた中でそのような政策を行ったときにはまさにその専門家の指摘が当てはまっていた。労働供給を増やしたところで、彼らを吸収する雇用そのものがなかったためだ。しかし結果的には、減税効果によって可処分所得が増え、消費が伸びたことで消費の下支えに貢献することにはなった(ただし、景気対策という目的はなかった)。

<過去のブログ記事>
2010年の予算案 (1)

さて、このように大きな議論となった勤労所得税額控除の制度だが、現在の野党は公約としてこの制度をどうしようというのだろうか・・・?(続く)

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6 コメント

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Unknown (いしだ)
2010-08-10 03:52:08
いつも拝見していますが、私が見る中でダントツ有益なブログです。更新を楽しみにしています。
 もうすぐキノコシーズンですが、社会学と関連があればキノコの話題もお願いします。
 ウメオより。
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Unknown (Yoshi)
2010-08-10 07:36:24
キノコ!ですか?
私が知っていることといえば、今年の気候はキノコにとても適したもので、よく捕れますよ、ということぐらいしか分かりませんが(笑)
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Unknown (子豚姫)
2010-08-10 07:39:18
いつもプロフェッショナル、かつ解り易い
解説で定期的に拝見しています。
今回は私が日ごろいろいろ疑問に思っている
税制のことで特に興味深いです。
続きが楽しみです。
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Unknown (Yoshi)
2010-08-11 07:03:12
勤労所得税額控除についての連載は3回で終わりですが、税制についてはまだまだネタがあります。
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Unknown (acobou)
2012-08-10 18:27:03
スウェーデンの勤労税額控除について調べていたところ、貴ブログがヒットしました。
大変わかりやすく参考にさせて頂いております。

ところで、もしよろしければご教示頂きたいのですが、

「地方税収を変化させることなく、控除分を国が納税者に払い戻すことで実質的な減税を行った」
ということですが、

これは、あらかじめ税額控除分も含めた額を納税義務者から徴収し、あとで国税庁から税額控除額を還付(返金)されているのでしょうか。

それとも、納税義務者は税額控除後の税金を納入するだけで、国から地方へ地方税分の税額控除額に相当する金額を直接補てんしているのでしょうか。

ご教示頂ければ幸いでございます。よろしくお願いいたします。
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Unknown (Yoshi)
2012-08-16 07:40:27
>それとも、納税義務者は税額控除後の税金を納入するだけで、国から地方へ地方税分の税額控除額に相当する金額を直接補てんしているのでしょうか。

こちらです。
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