スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

モナ・サリーン と チョコレート

2007-04-30 06:04:19 | スウェーデン・その他の政治

スウェーデンにいると、この言葉の組み合わせが、『海と老人』とか『猫に小判』とかと、同じくらいしっくりして聞こえてくる。

3月に正式に社会民主党党首となったMona Sahlinだが、1995年にスキャンダルによって政界を追われる羽目になったことは以前に何度か触れた。さて、このスキャンダルの真相は何だったのか?

< 以前の書き込み >
Mona Sahlin 正式に党首へ(07-03-18)
社会民主党の新党首(07-01-19)
社会民主党党首の後任は・・・?(06-11-24)

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トブレローネ・スキャンダル(Tobleroneaffären)」(1995年10月)
時は1995年。1991年から3年の間、政権の座を追われた社会民主党は1994年9月の総選挙で、政権を取り戻し、Ingvar Carlsson(カールソン)首相が内閣を率いていた。(カールソンは1986年から1991年の間も首相に就いていた。)Mona Sahlinは当時、副首相

そのカールソンが党首および首相の座から引退すると表明。その以前から新党首および新首相の候補選びが始まっていたが、この時点で有力だったのは、Mona Sahlinのみだった。

しかし、その後、タブロイド紙の一つ「Expressen」がスクープを流す(1996-10-13)。1990-1991年にかけて、当時、労働市場大臣だったMona Sahlinが、職務に掛かる経費を支払うために国会から与えられているクレジット・カードを使って私物を購入した、というものだ。その私物の一つとして挙げられたのがデンマークの有名なチョコレート「Toblerone」であったため、通称「トブレローネ・スキャンダル」と呼ばれるのだ。

実際の使途は、チョコレートだけでなく、衣服、私用のためのレンタカーの借り出し、クレジット・カードによる現金の引き出し、などだった。しかし、Mona Sahlinはこれらの明細をきちんと提出し、私用の分を自腹で後でちゃんと支払っていた、とされる。しかし、タブロイド紙は、国会のクレジット・カードの使用規定に「私的な購買に使用しない事」とあることを指摘。さらに、彼女が行ったクレジットの引き出しを「国会に利払いをさせた無利子ローン」だ、と解釈したのだった。一方、これらの払い戻しの手続きが不明瞭だったことを指摘されたMona Sahlinは「内閣府の経理の手続きがややこしく不明瞭だった」と弁明、さらに、クレジットの引き出しについては「給料の前借りをしたつもりだった」と説明した。

しかし、このスキャンダルの火種が大きくなっていくと同時に、ベビーシッターを闇で雇っていたことや、TV受信料が未払いだったこと、駐車料金の未払いが数多くあり、国の債務管理局から取り立てられていたこと、などもスクープされた。

1996年10月16日の記者会見で、政界からの一時的引退を表明(time-out)。メディアのさらなる追求を避けるため、一家そろって海外へ退避した(モーリシャス諸島へ)。その後、社民党党首および首相への立候補の断念を表明したのだった。これをもって、Mona Sahlinはスウェーデンの政界から、姿を消したのであった。そして、ほとんど人気がなかったGöran Persson(ヨーラン・パーション)の名前が次期党首および首相の候補として徐々に挙がっていくのである。

スキャンダル発覚後から、検察庁は立件に向けた初期調査を行っていたが、犯罪を裏付けるものがない(もしくは、犯罪性が薄い)との理由から、調査は中止され立件もされず。よって、裁判も行われていない。
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果たして、一人の政治家の政治生命を奪うほど、大きく取り上げられるべき政治スキャンダルあったのか? それとも、メディアが事実を必要以上に誇張して世論をあおっただけだったのか? 意見は分かれる。実際、検察も立件を行っているわけではないし、彼女も有罪とされたわけではない。

また、クレジット・カードの私的使用も、悪意があってやったのか、後で返せばいい、という軽い気持ちでやったのか、明確な答えは分からない。

一方で、このスキャンダルから数年後にも、彼女には駐車料金の未払いが100件近くあり、その案件の多くが国の債務管理局に引き継がれていたり、税金の払い込みが数ヶ月遅れていたり、自動車税の納入も遅れていたりしたことまでが発覚している。だから、彼女は家計管理がいい加減だ、ということは少なくともいえるようだ。

Tobleroneって、こんなチョコレート。でも、たかがチョコレートとあなどっていると痛い目に遭う。Mona Sahlinはこれで失脚したし、下の男はこの食べすぎで腹がここまで出てしまった。しかも、首相の座という“棚から牡丹餅”を得た。


やり手のEU担当大臣のEU議会キャンペーン

2007-04-28 06:23:38 | スウェーデン・その他の政治
自由党の次期党首として名前が挙がっている、EU担当大臣Cecilia Malmström(39歳)は、現政権の閣僚の中で唯一のヨーテボリ人。

90年代はヨーテボリ大学政治学部の博士課程に在籍、EUを始めとするヨーロッパの政治の研究をし、博士号を取得。外国語に堪能で、英語・フランス語・スペイン語・ドイツ語・イタリア語といったヨーロッパ主要言語をマスターしている、というつわもの。研究の傍ら、自由党の議員として、西ヨータ県の県議会でも活動をしてきた。

そして、1999年からは、スウェーデンの国会議員ではなく、ヨーロッパ議会の議員として活躍してきた。そして、今の政権では内閣府のもとでEU担当大臣に就いているわけだが、彼女の能力と経歴を見れば、まさに適材適所といった感じだ。
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そんな彼女を、ヨーロッパの政治の舞台で有名にしたのは、彼女のあるイニシアティブ。「EU議会のブリュッセル-ストラスブルグ往復をやめよう!」と大署名活動を展開したのだ。

EU議会の議事場は現在、ブリュッセル(ベルギー)ストラスブルグ(フランス)の両市にあるため、関係者は一年のうちにこの二つの町の間を行ったり来たりしている。EU議会の議員785人だけでなく、3000人に及ぶEU官僚、事務員、ジャーナリスト、通訳が彼らに付いて動くのだ。そのため、以前から「税金の無駄遣い」との批判が挙がっていた。

そのため、彼女は署名活動によって、EU議会をブリュッセルに固定することを訴えてきたのであった。100万人の署名、という当初の目標も去年の秋に達成され、EUの内閣であるEU委員会に提出された。
We have one million!!!! Thanks to you!(キャンペーンのHP)
いわゆる、One seatキャンペーンの動機についてはこちら
もちろん、ストラスブルグがあるフランスは乗り気ではない。しかし、最近は環境への配慮、という面からも、批判が高まっているのだ。つまり、それだけ多くの人が、両市を往復することで、エネルギーが浪費され、CO2排出も増えてしまう。環境政策を大きく掲げるEUにとっては、政策の信頼性が揺らぎかねない、ということだ。

そのため、EU議会は、議会がブリュッセルとストラスブルグの両市を跨いでいることに加え、EU議会の事務部門がルクセンブルグ(ルクセンブルグ)にあることによる、環境負荷の調査をすることを先日、採択した。調査の結果によっては、無駄な移動をやめて、一箇所に集める動きへと向かうかもしれない。

フィンランド航空、乗換に注意

2007-04-27 06:46:15 | Yoshiの生活 (mitt liv)
フィンランド航空のヘルシンキ乗換えが40分で失敗した話は、自分の体験談として書いたけれど、どうもよくある話らしい。

以前の書き込み(1)
以前の書き込み(2)

私の友人で私より3日ほど前に同じ便でヨーテボリに飛ぶ予定だった人も、成田出発の時点で20分遅れたために、ヘルシンキの乗り換えに失敗。しかし、なぜか次のフィンランド航空・ヨーテボリ便には変えてもらえず、フィンランド航空・ストックホルム便でまず、ストックホルムに飛び、そこから、スカンディナヴィア航空でヨーテボリに飛ぶという、大回りをさせられたという。代償として、何かクーポンをもらうということもなかったらしい。

しかも、最悪なことに、預けた荷物のほうはヘルシンキに留まったままで、ストックホルムにもヨーテボリにも来ていなかったというのだ。そのために次の日に宅配で荷物を受け取ったとか。この友人はこれでフィンランド航空には懲りたらしい。

私は、そこまで懲りてはいないけれど、やはり乗換え40分は無茶だと思うので、余裕を持って次の乗換え便のチケットを買うことをお勧めします。

ライオン・キングの退陣

2007-04-25 07:29:56 | スウェーデン・その他の政治

2ヶ月ほど前に、教育大臣であるLars Leijonborg(ラーシュ・レイヨンボリ)がシャルマシュ工科大学(ヨーテボリ)を訪ねて講演を行った。話のネタにと聞きに行ってみた。
以前のブログ そう、観客席に中指をつき立てた人。

彼は自由党(Folkpartiet Liberalerna)の党首を10年以上務めてきており、昨年2006年の総選挙で右派ブロック連合が勝利してからは教育大臣だったのだが、今週月曜日に党首の座から退くことを自ら発表した。自由党の党首は2年ごとに党内での信任が問われるのだが、彼自身、もはや党内での支持が得られないと認識したゆえの決断だ。

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2002年9月のスウェーデン総選挙を思い起こす。当時、私はヨンショーピンの高台のとある学生寮に住んでいた。スウェーデンの学生数人と共同で毎朝、新聞を購読していたのだが、選挙戦が近づくにつれ、朝食のテーブルでの話題も自然と選挙の話になっていった。新聞を回し読みしながら「あの党がこんなことを言っている」「教育政策は××がいいと思う」などと、各党が掲げる具体的な政策について友だちと議論できたのが面白かった(「明るい日本を!」とか「日本再生」といったような抽象的な言葉や候補者のイメージだけが先行する、日本の選挙戦とは大きく違う)。同じ寮に住む友達の中には、左派系を支持するものも右派系を支持するものもいて、それだけに議論に花が咲いた。

さて、当時、7つある国政政党の中で、どうも自由党(Folkpartiet Liberalerna)が人気薄だったのだ。Lars Leijonborgが1997年に党首に就いて以来、人気が低迷しており、その直後の1998年総選挙では、得票率がたったの4.7%であり、議席獲得のための最低水準である4%をかろうじてクリアしたのであった。のらりくらり・・・と喋る姿にはインパクトが欠け、喋る内容も何が言いたいのか分からない、という批判が繰り返された。

だから、2002年総選挙を前にしても、5~6%という低い支持率で低迷していたのだった。しかし、そのとき何かが起こったのだ!

投票日を2週間ほどに控え、突然、支持率が上昇し始めたのだ。突然の支持率上昇を受けて、メディアの注目がそれまで日陰的存在だったこの党に集まる。すると、イメージが好転し始め、さらに支持率が高まる、という好循環が始まったのだ。特に、若い世代の間で支持率が高まって行き、友だちが支持するから自分も!という集団効果も相まって、実際の投票日には13.3%の票を獲得したのだった!

この好循環の引き金を引いたのはなんだったのか? 自由党が選挙戦の中で打ち出した「外国人がスウェーデン国籍を取得するための条件として、スウェーデン語試験(språktest)をパスしなければならない」という政策が有権者にウケたから、という説もあるが、ハッキリしたことは分かっていない。ともかく、この予期せぬ大勝利を讃えて、党首Leijonborgは「ライオン・キング」と呼ばれるようになったのだった。(LeijonborgのLeijonは“ライオン”の意から)

だから、寮の中で友人と議論しているときも、最初は「自由党は相変わらず冴えない」と言われていただけに、突然の大勝利は、我々にとってとても信じがたく、それ故にあのフィーバーは、今でもハッキリと覚えている。
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さて、2006年総選挙では、前回のような「奇跡」は起きなかった。右派ブロック連合として政権は獲得できたものの、党としては7.5%の得票率しか獲得できなかった。この惨敗を受けて、そろそろ新しい党首が必要なのではないか?という声が党内で高まってきたのだ。そういえば、今回の選挙の直前には、自由党の幹部が、政敵である社民党のコンピューター・ネットワークに侵入するというスキャンダルも露呈し、党首である彼もこれを黙認していたのではないか?という疑いも持たれてきた。さらに、ビジョンに欠ける、だとか、党内でコンセンサスを得ていないのに、自分の思いつきをアイデアを勝手にメディアで発表するワンマンさ、が批判されてもいたようだ。

後任には、現在、学校教育担当大臣であるJan Björklund(45歳・男)とEU担当大臣であるCecilia Malmström(39歳・女)が挙がっているが、後者にはその気はないようなので、前者が有力視されている。

ヨーテボリ市上空の飛行

2007-04-23 16:14:06 | Yoshiの生活 (mitt liv)

前回は、ヘルシンキでの乗換時間40分の話をした。

結局、乗り換えに失敗して、次の便でヘルシンキからヨーテボリに飛んだが、この飛行機からの眺めが最高だった。

飛行時間は1時間あまり。バルト海を越えるとスウェーデン上空に入るが、海岸線や森や湖が上空からはっきりと見えた。フィンランドほどではないにしろ、スウェーデンにも無数の湖が存在する。眼下に広がるそれらの湖の形を辿りながら、以前に地図で見たことのある地形や、自転車で通り過ぎたことのある地形と照らし合わせたりしてみた。

スウェーデンを通り超え、海に出た、と思った。しかし、ヴェッテルン湖だった。上空からは、それだけ大きく見えたのだ。

ヨーテボリ空港は多少、内陸にあるため、そのまま着陸するのかと思ったら、おそらく風向きの影響で、一度ヨーテボリ市上空を飛び、海に出たところで90度旋回し、西から滑走路に進入したのだ。

なので、上空からヨーテボリ市がはっきり見え、自分のアパートの建物も確認できたし、沖合いの諸島群(アーキペラゴ)上空では、以前住んだことがあるBrännö島も見えた。

ただ、風の強い日が多いことで知られるヨーテボリとあって、旋回後は海からの風にあおられて、飛行機が上下に大きく揺れた。それが、着陸直前まで続いたから、もしかして滑走路に叩きつけられるのでは・・・? と思ったほど。



難しいよ、乗り換え40分

2007-04-21 18:45:37 | Yoshiの生活 (mitt liv)
日本からフィンランドを経て、スウェーデンまでの飛行。

スケジュールは以下の通り(すべて現地の時間)。
4/20(金)
FINNAIR - AY 74便
東京・成田発 11:00 → ヘルシンキ着 15:20(所要時間10:20)
FINNAIR - AY 677便
ヘルシンキ発 16:00 → ヨーテボリ着 16:25(所要時間 1:25)

つまりヘルシンキでの乗り換え時間が40分なので、これが果たしてクリアできるのか? が気懸かりだった。

まずは機内設備から。2週間前に乗ったヘルシンキ → 関空便はMD11型で、機内の設備は旧型らしく、客室に小さなモニターがいくつか付いている他は、各座席に液晶モニターのようなものはなく、見たい映画を自分で選ぶ、というようなことはできなかった。

一方、今回の成田 → ヘルシンキ便はエアバスのA340型で、各座席に液晶モニターが付いており、10近くの映画から見たいものを自分で選べた。あまり贅沢は言えないものの、モニターはかなり小さく、字幕はほとんど潰れていて見にくかった。(『かもめ食堂』というフィンランドが舞台の日本映画を見たのだけれど、フィンランド語で喋る部分の日本語・英語字幕が読めなかったのです) 2,3年ほど前にSAS(スカンディナビア航空)や全日空機に乗ったときの液晶のほうが綺麗だった気がするが、これはちょっとウル覚え。他の航空会社との比較も分からない(あしからず)。

さて、成田を飛び立つときには滑走路に長蛇の列ができており、しかも同じ滑走路を着陸に使う飛行機も多く、この“滑走路”渋滞のために15~20分ほど遅発。その遅れが、ヘルシンキ着陸の際にそのまま現れ、定刻15:20着に対し、実際は15:40着陸。その後、ターミナルへの接続などがあるため、実際に降りたのは15:45~50。着陸直後の機内で、ヨーテボリ便の他2便に乗り換えの客は地上乗務員に問い合わせをするようにとのアナウンス。一方、ヨーテボリ便のあとに出発する数便への乗り換え客は搭乗口へ急ぐようにとのアナウンスも。つまり、この時点でヨーテボリ便への乗り換えは無理なので、地上乗務員に何とか対応してもらえ、と言うことだったのだ。

フィンランドからはEU圏になるので、トランジットの客もパスポートチェックと新たに手荷物検査を受けなければならないため、ヨーテボリ行きの搭乗口に着いたのはもちろん飛行機が発った後だった。

フィンランドとスウェーデンは隣国同士とあって、幸い航空便は多いので、次のヨーテボリ便(17:45発)へチケットを切り替えてもらう。そして、1時間45分遅れでヨーテボリに到着。ちなみにこの便が最終便。もしこれ以上遅れた場合は、次の日のフィンランド航空便を待つか、SAS便でヨーテボリ行きがあればそれに乗ることになるのだろう。

お詫びということで、チケット切り替えの際に6ユーロ(1000円弱)のクーポンをくれた。ヘルシンキの空港のお店でしか使えないという。私は既に手荷物が一杯なので気が進まなかったが、無駄にするのはもったいないので、免税店でワイン一本を買った。(6ユーロでは足りないので、残りは自腹)

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さて、この乗換時間40分だが、果たしてどこまで現実的なのか?

上にも書いたように、飛行機が着陸してからターミナルに接続されるまで数分かかる。そこからEU圏に入るためのパスポートチェックと再度の手荷物検査があり、その後に出発ターミナルの反対の端にある搭乗口へと急ぐことになる。少なくとも15分は見たほうがいい。

一方、乗り換え便の搭乗開始は30分前。しかも、航空機に直に搭乗するのではなく、バスに乗って、駐機場の端っこに留まっている航空機まで遥々と辿り着かなければならない。だから、出発時刻ぎりぎりに搭乗口に走りこんだとしても、そこから航空機までは5分近くかかる。

だから、日本便がたとえ定刻通りに着いたとしても、気分的に随分と焦らされることになるだろう。荷物の乗り換えも心配だ。だから、無理をせず、最初から余裕を持って、その次の便のチケットを買うのがいいかもしれない。もしくは、今回の私のように、乗り換えに失敗して、6ユーロのクーポンをもらうのもいい。(この場合、次の便(最終便)に空きがある保障はないが)

日本最後の日は、恵比寿ガーデンプレイスの39階で夕食。予約なしだったのに、窓側の席を案内された。目の前には、もうじき役目を終えるという東京タワーだ!


山陰の京都と大阪

2007-04-16 07:47:58 | Yoshiの生活 (mitt liv)
スウェーデンとは関係ない日本のネタで、しかも日本とは言っても中国山脈の陰に隠れた山陰(さんいん)の話。

私は実家が米子(鳥取県)にあるものの、5、6歳の頃まで松江(島根県)で育ち、その後もことあるごとに足を運んでいたので、松江には愛着がある。

松江は島根県の県庁所在地。メガネのような宍道湖と中海を結ぶ大橋川が街の中心を流れ、街のそばには宍道湖が開けている。水郷とか水都と呼ばれるほど美しい町。ちょうど桜の季節だが、街のあちこちに、そう、公園だけでなく、沿道や川沿い、それに新興住宅地のあたりなどにも、驚くほどの数の桜が植わっており、そのすべてが満開で美しい。町の人がしっかり手入れしているのだろう。戦国時代からの残る松江城がそびえ、その天守閣は今でも現存。松江は、その城下町だったのだ。

一方、県境を越えたところにある米子。ここにもかつて米子城があったものの、明治維新の後に近くの銭湯が買い取って、風呂の薪にしてしまった(!)ため、今では土台だけが残る。かつては賑わっていた町の中心街も、郊外に次々と進出した大型店のために、かなり寂れている感じがする。町の果たすべき機能の多くが郊外に移転してしまったも同然。おっとりした松江の人にくらべ、米子はむしろ商業の町といわれるらしく、米子の人は商売が上手だし、消費者としてもモノをよく買うのらしい。だから、松江で商売に失敗した人でも、米子に行けば成功するのだとか。

「松江は山陰の京都、米子は大阪」 二つの町のコントラストを端的に表すために、こういわれる。松江はかつて出雲の国。米子は伯耆(ほうき)の国。この一帯は古代にも出雲と呼ばれ、出雲風土記やヤマタノオロチ(八股の大蛇)、スサノオノミコトなどの神話が残るところ。大和朝廷とはもともと敵対していたと言う。

『年金保険料、赴任先で免除へ・厚労省、スウェーデンと協議』

2007-04-11 22:42:01 | Yoshiの生活 (mitt liv)
スウェーデンで働いて労働所得を得ていると、その所得の18.5%にあたる額を労使折半で年金基金に積み立てなければならない。なので、給料から源泉徴収で天引きされる保険料と、雇い主が国に支払う「社会保険料」の一部によって、スウェーデンにおける私の年金も毎月積みあがっている。さて、それならスウェーデンで働いている期間、日本の年金制度からは抜け出ていていいのか? そのところが、私にはいまいち分からない。

日本の年金の保険料を払わなければ、その分は将来の年金給付時に減額される。しかし、もしスウェーデンからも年金が給付されるならば、バランスが取れるか? しかし、そもそもスウェーデンから年金を受けることができるのか? その辺が分からないので、今度スウェーデンの社会保険庁に尋ねてみようと思う。

私のようにスウェーデンで直接雇われている場合は別として、日本の企業からスウェーデンの支社に赴任されている方であれば、日本で厚生年金に入る一方で、スウェーデンでも発生する所得に応じて、スウェーデンの年金基金に保険料を納めなければならない、という二重払いの問題が発生する。(これも、もしスウェーデンからも将来、年金がもらえれば、二重の年金給付になり、もらう側からすれば嬉しいが、雇い主には二重の負担になる)

この様な二重払いの問題を解決するために、日本はアメリカやドイツなどと社会保障協定を締結してきたが、今回、スウェーデンとも同様の協定を締結すべく協議が行われるという。以下は2007年4月10日付の日本経済新聞の記事からの抜粋です。

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年金保険料、赴任先で免除へ・厚労省、スウェーデンと協議

「厚生労働省は海外で働く人が公的年金保険料を二重払いしなくて済む社会保障協定をスウェーデンと締結するため、同国と予備協議を始める。協定が発効すれば、本国で保険料を支払えば基本的に滞在国での支払いを免除される。スウェーデンとの協議では二重払いの問題だけでなく、社会保障制度全般について情報や意見を交換する予定だ。

 日本は現在、ドイツや米国など8カ国と社会保障協定を締結しており、うち5カ国は発効済み。さらにオランダと締結に向けた政府間交渉に入っているほか、チェコなど3カ国と予備協議を始めている。交渉・協議中のすべての国やスウェーデンと協定を結ぶことができれば、相手国は13に達する。」

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とのこと。「赴任先」とあるため、現地での直接雇用の場合はどうなるのか、気になるところ。上の記事によれば、日本で年金に入っていれば、スウェーデンでの年金保険料支払いは免除される、ということだ。しかし、私の場合は雇い主である大学が使用者負担分の年金保険料を毎月払っているので、むしろスウェーデンの年金に加入し、日本での支払いを免除してもらい、将来その分をスウェーデンから受け取る、というのが望ましい、と思うのだが。

スウェーデンにおけるバイオ・エタノールの普及

2007-04-09 12:06:16 | スウェーデン・その他の環境政策
ガソリンに代わるエネルギー源として注目される「バイオ・エタノール」。スウェーデンやその他のヨーロッパ諸国では数年前から実際に販売が行われ、一般のガソリンスタンドでもエタノール(E85)の給油が可能だ。

日本では2003年に、エタノールを3%まで混ぜた自動車用ガソリン(E3)の販売が解禁されているが、ほとんど普及していないという。エタノールの製造コストが高く、ガソリンよりも高くつくことが原因のようだ。それでも、石油会社のイニシアティブで、バイオ・エタノールをブラジルなどから大量に輸入し、本格な普及が図られつつある、というニュースを先週末に耳にした。

現在日本で導入されようとしているのは、エタノールをガソリンに3%混ぜたE3。エタノールがこの程度の含有量だと、普通のガソリン車でも問題なく走るという。一方、スウェーデンなどで販売されているのはE85だ。つまり、エタノールの含有率が85%なのだ。ここまでくると、一般の車には利用できない。①エタノール自動車を買う、か、②一般の車に20万円ほどかけて改造をほどこしてエタノールにも耐えられるようにしなければならない。それでも、環境意識の高まりやエタノールの値段の安さなどから、エタノールの普及は順調に進んできたようだ。

さて、まず①のエタノール車から。スウェーデンのVolvoやSaab、それからドイツ・フランスの自動車メーカー各社は「環境にやさしい車」として、「天然ガス車」と「エタノール車」に力を入れてきた。スウェーデン政府はこれらの車の普及を推し進めるために、一般の消費者の購入に際して補助金を拠出している。

②の一般車改造は、もともと法律では認められていなかったものの、2年前のガソリン価格高騰の時に、安いエタノールを給油するために勝手に改造する人が続出して、政府も追認するようになった、という経緯がある。環境の観点からも、エタノールを利用する人が増えるのは、望ましいことでもあった。

ここまで読まれて、あれっ、と思われるかもしれない。エタノールのほうがガソリンより安いの? そう、スウェーデンでは政府がエタノールの販売に補助金をつぎ込んでいるので、ガソリンよりも値段が安く抑えられている。だから、ガソリンが高騰して、エタノールとガソリンの価格差が開けば、とたんにエタノールやエタノール車、一般車改造への需要が高まるのだ。

例えば、今日現在の価格を見てみると、
一般のガソリン(Bensin 95・96・98)がリットル当たり12クローナ(210円)、ディーゼル(Diesel)が10.7クローナ(190円)なのに対し、Etanol E858クローナ(140円)となっている。(左の表が今日の価格。右の写真は以前撮ったもの)

しかし、そのために大きな問題もある。スウェーデンでは高まるエタノール需要に供給のほうが追いつかず、エタノールの買い入れ価格自体が上昇傾向だ。補助金をつぎ込んで、価格を抑えようにも限界があるわけで、ひとたびエタノールの価格がガソリン価格を上回った時には、エタノール車に乗っている人もガソリンを給油するようになる、という事態が生じた(エタノール車は、E85でも普通のガソリンでも走る。という点では“ハイブリッド”と呼べるのかな?)。そうなると、せっかくのエタノール導入も意味がなくなってしまう。だから、スウェーデンにおける課題の一つは、どのようにしてエタノール価格の長期的に押し留めていけるか、ということだ。

フィンランド航空の日本便

2007-04-07 11:18:12 | Yoshiの生活 (mitt liv)
スウェーデンから日本へフィンランド航空を使った。

乗った飛行機はMD11という、どうやら旧型機のようで、各座席に液晶パネルはなく、客室にいくつか取り付けられたモニターで映画を見るようになっている。よって、自分で番組を選ぶことはできず。

ただ、それよりも所要時間が短いことが私には嬉しかった。
スウェーデン-フィンランド-日本:10時間45分(飛行機に乗っている時間だけで)
日本-フィンランド-スウェーデン:11時間45分(偏西風のために長くかかる)

なので、乗った機体がいくら旧型でサービスが良くなかろうが、フィンランドから日本までの9時間45分は、本を読んだり、食事をしたりしているうちに過ぎていった気がする。

聞いたところによると、日本-フィンランド線は機体をAirbus A-340に順次入れ替えているとのこと。なので、新しい機体であれば、サービスはもう少しいいのかもしれない。実際、日本からの帰りの便はAirbus機なので、比べてみたいと思う。

「ふたつのMを追って」 ~ 朝日新聞より

2007-04-05 06:44:10 | スウェーデン・その他の社会
去年の9月に朝日新聞の記者の方から取材を受けた。

「ふたつのMを追って」というテーマで、“マンガ”と“村上春樹”がどのようにスウェーデンを始めとする欧米諸国に受け入れられているか、について記事を書くために、はるばるスウェーデンまでいらっしゃった。

村上春樹の人気に関しては、韓国や中国、ロシアなどにおける人気の推移を観察してこられたこの記者の方の話では、安定していた社会が不安定になり始め、既成の価値観が崩れ始めるに従って、村上春樹への人気が高まってくる傾向があるのではないか?というのがその方の仮説らしい。

私は文学に関しては、それほど理解もなく知識もないので、あまりお役には立てなかったが、スウェーデン人の若者が日本のマンガやアニメ、テレビドラマ、そしてそれを含めたサブカルチャーに対して持っている関心については、彼らと身近に接しているため、ある程度分かる。

そして、その時の取材が記事となり、2006年11月20日の夕刊版に掲載された。終わりのほうにちょこっと登場します。

下の記事をクリックすると、拡大されます。

この記事に登場する「スウェーデンのオタク第1世代」の人。こう呼ばれて、喜んでいいのやら、悲しんでいいのやら・・・。いや、本人は誇りに思っているのかもね。

晴れて春休み

2007-04-03 07:07:12 | Yoshiの生活 (mitt liv)
この1ヶ月、いつになく忙しくて疲れ果ててしまった。

重要なことが2つあった。一つは先週にあり、予想以上にうまく行った。
もう一つの決戦は昨日。こちらも何とかクリア。

そして、今日はスウェーデンの国の役所で、ヨンショーピンに本部がある農務行政庁(Jordbruksverket)で共同研究の打ち合わせ。私を引き抜いてくださったのは何とヨンショーピン大学での修士課程の時の指導教官。この役所との共同研究に加わることで研究費を出してもらえることになりそう。その打ち合わせも無事終わり、晴れて春休み!

これまで張り詰めていた緊張の糸がふと切れたのか、頭痛がしたと思ったとたん少しダウン・・・。

とにかく、クリスマス休暇にも休みなしで作業した分、春のこの心地よい時期に2週間ちょっと休みをとります。朝ゆっくり寝たい。でも、そうも言っていられない。やすみの間、スウェーデンを離れます。でも、ブログの更新は続けます!

他のどの日とも同じように、今日も相変わらずヨーテボリ港からフェリーが出て行きます。(アパートからの眺め!)

「トトロ」の批評をもう一つ

2007-04-02 04:36:55 | コラム
「となりのトトロ」に関しては、良い批評をもう一つ見つけたので、紹介しておきます。

”Många av de japanska berättelserna passar perfekt in i vårt osäkra, föränderliga samhälle. Ingenting är svart eller vitt, sökandet är viktigare än svaren,…”

”Inte heller Totoro bjuder på enkla lösningar. Mot slutet av filmen har Mei och Satsuki upplevt flera små äventyr, men deras mamma är fortfarande kvar på sjukhuset.

Miyazaki skyggar inte för att skildra problem som inte försvinner, sorger man inte rår på. Men i hans filmer finns det också hopp, det finns tröst - och hur svår tillvaron än kan bli finns det alltid korta, magiska ögonblick när världen är underbar.”



「宮崎駿の物語の多くは、我々が住むこの不確実で変化の早い社会にピッタリと当てはまる。白黒で簡単に決まるものは何もなく、答えを得ることよりもそれを追求することのほうが重要であることを教えてくれる。」・・・(中略)

「『トトロ』においても、答えが簡単に提供されるわけではない。映画の終わりにかけて、メイやサツキは小さな冒険をたくさん経験するものの(それでハッピーエンドではなく)、一方で母親は未だ病院の床についたままだ。

宮崎駿は、消え去ることがない問題、打ち勝つことができない悲しみを、ためらうことなく描いている。しかし、彼の映画の中には、希望もあり、慰めも存在する。そして、生きることがどんなに辛いものであろうとも、この世の中が素晴らしいと思えるような、短くて神秘的な瞬間が常にあることを描いているのだ。」

原文
↑タイトルがいきなりタイプミスです。Titoはないでしょ! ユーゴとは関係ないんだし。