スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

HIVワクチンの開発

2009-10-29 07:16:45 | スウェーデン・その他の社会
その前に最新ニュースから。
フォード、ボルボ売却で中国・吉利に優先交渉権(日経新聞)

まだ最終的に決まったわけではないが、何だかがっかりする。
(ちなみに、上の記事に高級車ブランド「ボルボ」と書かれているのが面白い。スウェーデンでは庶民の車、国民車という感じで、高級車ブランドというとドイツなどの外国車だ。)

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先週初めにスウェーデンの科学メディアを賑わしたニュースといえば、スウェーデンの医療機関や研究機関で開発が進められてきたHIVワクチンが予想以上の効果を見せたということだ。HIVウイルスはエイズを引き起こすウイルスであるが、エイズの治療薬や抗ウイルス剤の開発とともに、感染そのものを防ぐワクチンの開発が急がれてきた。

このワクチン開発プロジェクトは、スウェーデンの国際援助庁(SIDA)EUが提供した資金のもとで、スウェーデンを中心にアメリカやタンザニアの研究者が協力する形で2002年より進められてきた。

ワクチンの開発では、第一段階(第Ⅰ相試験)安全性の検査が行われ、第二段階(第Ⅱ相試験)ウイルスの投与を受けた人の体に免疫が生まれるかが検査されるという。スウェーデンで開発されてきたHIVワクチンは現在、この第二段階まで到達した。

この第二段階の実験では、まずストックホルムのカロリンスカ医科大学で、健康なスウェーデン人にこのワクチンが投与された。すると、被験者の9割がHIVワクチンに対する免疫力を持つようになったという。その後、タンザニアでも同様の実験が行われた。健康なタンザニア人の警察官60人の一部にこのワクチンを注射し、他の警察官にはワクチンを含まない注射を行って、その後の経過を比較したところ、ワクチンの投与を受けた警察官全員の血液にウイルスに対する抵抗力が観察されたという。

これから、第三段階(第Ⅲ相試験)の実験が進められていく。ここでは、被験者の数を多くしてより複雑な調査を行っていくため、さらなる資金が必要になるというが、第二段階までの成果が予想以上に良好であるため、資金の確保はおそらく問題ないだろうと見られている。

ちなみに、HIVワクチンの開発は他の国でも進められている。タイで開発が続けられてきたワクチンは既に第三段階に突入し、16000人のタイ人を被験者として大規模な実験が行われている。スイスでも別の開発プロジェクトがあるというが、こちらはまだ第二段階まで到達していない。

では、スウェーデンのHIVワクチンは、タイのワクチンに対して勝ち目があるのだろうか? 開発に携わってきたスウェーデンの研究者はこの点に関して「問題ない」と自信満々だ。HIVが蔓延しているアフリカで一般的な複数のウイルス株を組み合わせたものである上、牛痘ウイルスで培養した別のHIVウイルスを混ぜ合わせたスーパー・ブレンドだからだそうだ。実のところ、タイのワクチンはHIVウイルスに感染する確率を31%ほどしか減らすことができないようだ。これに対し、スウェーデンのワクチンは少なくとも50%は減らせる見込みだという。

第三段階がうまく行けば、商品化までにはさらに5年の時間がかかるらしい。

2010年の団体交渉-賃上げはどこまで可能か?

2009-10-26 09:01:36 | スウェーデン・その他の経済
スウェーデンにおける労使間(経営者団体と労働組合)の団体交渉はだいたい3年ごとに行われる。各業界ごとに別々に協議が行われるものの、3年ごとの周期が多くの業界でよく似ており、ある年に集中して行われる。多くの業界では前回の団体交渉が2007年だったから、次回の交渉が集中するのは2010年ということになる。(日本の地方選挙が多くの自治体で統一地方選として同時期に行われるのに似ている)

そのため、現在は来年の団体交渉に先駆けて、労使双方が「どれだけの要求を提示するか」「どの程度の要求なら飲めるか」といった意思表示を行うなど、メディアを通じて既に力比べが始まっている。

各業界の経営者団体の多くは現在の不況を理由に「2010年の賃上げは受け入れない」と言っているのに対し、労働組合側「2~3%の賃上げは要求する」と声を強めている。

不況にもかかわらず賃上げを要求する労働組合側の見方は、現在の不況は高コスト・高賃金による競争力の低下が原因ではなく、総需要の減退が原因だ、というものだ。つまり、サプライサイドの問題ではなくデマンドサイドの問題なので、労働生産性に応じた賃上げは可能だ、ということだと解釈できる。

これに対し、公的機関である景気動向研究所は、労働組合側の見方を支持しているものの、可能な賃上げ幅はせいぜい1~2.5%だろう、と分析している。


なかなか難しいところだ。単純な経済理論で言えば、賃金と労働需要は反比例の関係にあるため、たとえ労働生産性上昇に応じた賃上げをする余裕があるとしても、あえて賃上げしないで、その分だけ雇用の拡大や解雇の回避を促したほうが社会全体からみれば望ましいだろう。一方で、賃上げの抑制労働需要の増大につながる保証はない。経営者は、賃上げを抑制することで得た利益をそのまま自分たちのものにしてしまうかもしれない。

いずれにしろ、これから来年の春にかけて労使間の激しい争いが繰り広げられるだろうから見ものだ。スウェーデンのメディアは、労働組合や経営者団体の主張だけでなく、経済専門家や大学教授、一個人の労働者や自営業者など、様々な立場の人々の声や見方を多角的に伝えてくれるから、第三者としては非常に面白い。

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ところで、先週は一つの出来事があった。その前に少し背景説明から。

この記事の最初で、スウェーデンの各業界の団体交渉はだいたい同じ時期に集中しているので日本の統一地方選のようだ、と書いたが、日本でも一部の自治体は統一地方選とは異なるタイミングで選挙を行っているように、スウェーデンの団体交渉でも、ずれたタイミングで交渉を行う業界がある。それは、看護士など医療の現場で働く職員からなる業界(医師はのぞく)だ。

つまり、他の多くの業界が2007年に交渉を行ったのに対し、看護士たち2008年春に経営者団体である地方自治体連合会(SKL)と交渉を行ったのだ(医療機関の大部分が公共部門であるため)。交渉は決裂し、労働組合側は5週間半にわたるストライキを行った。

この時の様子は、このブログでも3回にわたって伝えた。(スウェーデンの国民一般がストライキに対してかなり好意的だったことは注目に値する)

2008-04-30:看護士のストライキ
2008-05-25:看護士のストライキ-その後
2008-06-01:看護士のストライキ-終結

看護士たちは頑張ったものの、スト決行前に国の調停委員会が提示した妥協案をほぼ受け入れるだけで、ほとんど成果が上がらなかった。結果は、給与のベースアップが2008年 +4%、2009年 +3%、2010年 +2%だった。

しかし、この交渉が行われたのは金融危機が本格的になる昨年5月の話だった。その後の大きな不況はもちろん考慮に入れられていなかった。既にこのブログでも触れたように、不況による税収減と歳出増大は特に地方自治体を襲った。中央政府は自治体に特別財政支援を行うことを決めたものの、財政が逼迫していることには変わりない(ただし、地方税の減税をする余裕がある自治体も一部ではあるようだ)。

では、先週あった出来事とは何かというと、上のような背景があったために、地方自治体連合会(SKL)は団体協約に基づく来年の賃上げ2%は無理だと言い出し、団体協約を破棄することを示唆し始めたのだ。破棄されれば、看護士たちの来年の賃上げについては一からやり直しになる。あの長いストライキは何だったのか、ということになる。

看護士をはじめとする医療現場の職員は、長い大学教育を受け、そして人々の命に関わる重要な仕事をしているのに、他の職業(たとえば大学教育を必要としないブルーカラーの職)に比べても賃金が同じかむしろ低いという構造的問題を抱えてきた。また、女性が比較的多い職場であるため、彼らの給与を引き上げることが男女間の賃金格差是正という点からも望ましいと考えられる。しかし、それが再び大きな困難にぶち当たることになりそうだ。

経済ニュースを3つほど

2009-10-23 08:40:00 | スウェーデン・その他の経済
時間がないので、経済ニュースを3つほど。

★ バルト3国のバブル経済で多額の貸し出しをおこなったスウェーデンの銀行Swedbank(スウェードバンク)は、リーマン・ブラザーズにも多額の投資を行っており、リーマンが倒産したことによる打撃も大きかった。

しかし、それでもリーマンの保有していた資産を差し押さえて、債権保有者の間で配分することによって、つぎ込んだ投資の一部はわずかだが取り戻せたようだ。

では、スウェードバンクが手にしたリーマンの資産とは・・・? 何と、ロサンゼルスにある一つの駐車場だとか。そんなものをもらってもしょうがないのではないか、と思われるかもしれない。まるでモノポリーか何かのゲームのようだ。でも、駐車料金の収入による利益率が6%ほどあるらしく、スウェードバンクとしては喜んでいる。


SAAB(サーブ)GMから売却されて、新生サーブとして新たなスタートを切ろうとしていることは何度も伝えてきた。スウェーデンのスポーツカー・メーカーのケーニグセッグ(Koenigsegg)が買収することが決まり、買収資金の不足分は中国のBeijin Auto(Baic)が出資することになった。これに加えて、ヨーロッパ投資銀行(EIB)からの融資が必要であり、この銀行が融資を認可するかどうかが注目されてきた。

今週、EIBは理事会を開き、サーブに融資をすることを決定した。ただし条件がある。これは何度も触れてきたが、スウェーデン政府が信用保証をする限りにおいて、というものだ。つまり、もしサーブが倒産したときにはスウェーデン政府が代わりに返済しますよと約束しなければダメ、ということだ。また、EIBからの融資はあくまで環境・省エネ技術の開発のために用いなければならない。

スウェーデン政府はまだ正式な決定を下していない。担当する国債管理庁が審査中だが、おそらく信用保証を行う可能性が強いと見られている。

スウェーデン政府がゴーサインを出せば、今度はEUの欧州委員会にお伺い立てて、ゴーサインを出してもらわなければならない。

つまり、新生サーブの目の前にはまだまだ乗り越えなければならないハードルが待ち構えているということだ。それでも見通しはずいぶん明るくなったようだ。さすが「9つの命を持つ」不死身という意味)といわれるサーブだ。

ところで、Beijin Auto(Baic)についてだが、アメリカでスキャンダルを起こしている。フォードで勤務してきた開発部長の男性が、Beijin Autoにヘッドハンティングされて勤め先を変えることになったのだが、この男性はフォードを辞める際に4000に及ぶ機密文書をフォードから勝手に持ち出してBeijin Autoに提供した疑いがもたれている。現在、アメリカで拘留中でこれから裁判にかけられるようだ。この件に限らず、中国企業による産業スパイの疑いはスウェーデンでもたまに聞かれる話だ。


フォードが売却を予定しているボルボの乗用車部門(Volvo Cars)の売却交渉も、このブログで何度か触れてきた。スウェーデン系の資本グループ「Jacob」、アメリカ系の資本グループ「Crown」そして、中国のGeely(ジーリー)が有力視されているようだが、今日(木曜日)の地元紙ヨーテボシュ・ポステン(ヨーテボリ新聞)は「フォードは売却を撤回するかもしれない」と伝えている。

この情報は、売却交渉に関わってきた内部の情報筋によるものと見られるが、それによると最終的な売却先候補であったGeelyとの交渉が難航しているというのだ。最新技術の扱いをどうするかという点で合意に至らないらしい。

また、交渉の難航に加え、世界的な景気回復が予想以上に早いため、収益の黒字化もおそらく時間の問題だと楽観視する見方が強くなってきている。だから、それならば売却せずにフォードの傘下に置き続けよう、ということなのだ。

ただし、この手の情報はどこまで信憑性があるか分からない。売却交渉を巡っては、フォードやボルボの関係者内部でも意見が大きく分かれているだろうから、一部の関係者が自分たちの思惑通りに交渉を進めるために、いかがわしい情報をリークして、メディアの論調に影響を与えようとする動きがあってもおかしくない。

でも、私としてはフォードがこれまで通り所有し続けることがベストな道だと思うので、その通りになって欲しいと願っている。


罪深いスウェーデン金融資本 (7)

2009-10-19 08:16:10 | スウェーデン・その他の経済
バルト三国では現在、中古の高級車がたくさん売りに出されているという。バブル好況をいいことに、若者までもが高額の銀行ローンを組んで「豊かさ」を手にした。彼らより一つ前の世代にとっては想像もできなかった「豊かさ」だった。そんな贅沢品も、バブルが弾けたあとは、ローンの返済が不能になり、銀行に差し押さえられてしまったのだ。しかし、高級中古車を欲しがる人がいないため、銀行はお金に換えることができない。だから、例えばラトヴィアの首都リガ郊外の駐車場には数百台にのぼる高級車が放置され、周りに有刺鉄線が張り巡らされている。


同じことが住宅市場でも言える。バブル時に投機目的で購入された高級マンションが銀行に差し押さえられたものの、新たな買い手がいないため、入居者なしの状態で放置されている。銀行の手元にはそんな空室マンションの鍵ばかりが増えていく。それだけでなく、バブル時に着工されたものの、完成を待たず放棄されてしまった高級マンション建設プロジェクトがいくつもある。

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バルト三国の中でもバブル破裂の影響を一番大きく受けていたのはラトヴィアだった。2008年の第3四半期の経済成長は-5.2%、第4四半期が-10.3%だ(前年同四半期比)。2009年は経済が何と18%も落ち込むと見られている。経済の落ち込み方だけを見ればエストニアやリトアニアも似たようなものだが、バブル好況時の銀行の貸出額は人口比で見るとラトヴィアが最も多く、ラトヴィア人は他の二国の人々以上の債務を抱えることになった。

ちなみに2008年秋といえば、金融バブルが弾けて窮地に陥っていた国がバルト三国の他にもあった。アイスランドだ。アイスランドでは、バブル時に金融機関が国のGDPの何倍もの額のお金を貸し出し、小国に過ぎないアイスランドの経済を一時的に膨張させていたが、バブルが弾けて多額の債務を抱えることになったのだ。

その結果、アイスランドの通貨は暴落することになった。そもそも為替レートは、様々な要因によって決まるが、やはりその国の経済力が大きく反映される。だから、その時点での為替相場が経済力に見合わないものであれば通貨が下落することになる。しかし、そのことによって、その国の生産・労働コストが下落し国際競争力が増すため、輸出産業が潤い、景気回復を助けることになる。そのため、変動相場制のもとでの為替レートは、景気の調整弁の役割を果たしていると言える(実際、アイスランドでは通貨暴落後、国内の観光産業IT・プログラミング産業が潤っている)。

だから、ラトヴィアも本来ならバブル崩壊に伴って通貨が暴落したはずであった。しかし、ユーロと固定相場(ペグ制)を維持していたため、市場で自動的にレートが下落することはなかった。その代わり、政治的に為替レートを切り下げるかどうかが議論の的となり、意見は大きく分かれることとなったのである。

通貨を切り下げる、ということは、これまで維持してきたユーロとの固定相場制を放棄することを意味した。そもそも固定相場制を導入したのは、近い将来ユーロに加盟するための準備であったから、これを放棄すればユーロ加盟も諦めなければならない

他方で、為替レートを切り下げれば、すでに触れたように国際競争力が増し、外国相手の産業にとって有利になるため、景気の回復が早まることになる(そもそもバブル膨張の段階において、固定相場制のために国際競争力が大きく低下していたことを思い出して欲しい)。


では、スウェーデン系の銀行にとって、為替レートの切り下げは何を意味したのだろうか?

実は、ラトヴィアを含めたバルト三国での貸し出しの大部分がユーロ建てであった(ラトヴィアの場合89%)。そのため、もしレートが切り下げられれば、現地通貨に換算した債務額は大きく膨張することになる。同じ1ユーロを返済するにも、より多くの現地通貨が必要になるからだ。だから、返済不能に陥る人がさらに増え、スウェーデン系銀行の不良債権もさらに大きく膨らむ恐れがあった。

一方、ラトヴィアの人にとっては、債務がさらに重くのしかかることになった。しかし、経済の景気回復が早くなり、雇用が再び増えるという利点を考えた場合、為替レートを切り下げたほうが長い目で見ればよかったと思える。たとえ、自己破産に陥ったとしても、家計にとっては債務をすべて帳消しにして一からやり直したほうが、多額の債務を今後数十年にわたって背負い続けるよりも、よかったかもしれない。

(注:私にとって不明な点は、資金がユーロで調達されたとはいえ、金融機関がラトヴィアの企業や個人に貸し出すときもユーロ建てだったのか、それとも現地通貨(ラッツ)建てだったのかという点だ。もしラッツ建てであったとすれば、個人・企業の債務は通貨切り下げによって影響を受けず、損をするのは金融機関だけということになる。いずれにしろ、スウェーデン系の金融機関にとって、債権のさらなる不良化は避けられなかった。

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90年代初め、スウェーデン経済は全く同じ状況にあった。
資産バブルが弾けた
・バブルを支えていた融資の多くは、スウェーデンの金融機関が外貨建てで調達したものだった
・ユーロの前身であるECU(エキュー)に参加し、固定相場制だった

スウェーデンは最初は固定相場制を維持しようとしたものの、結局1992年に変動相場制に移行し、その直後に通貨が40%近く暴落することになった。しかし、それが同時に輸出主導の景気回復の始まりとなり、既に1994年からプラスの経済成長を経験することになったのであった。

だから、スウェーデンの成功例を考えれば、ラトヴィアも通貨を切り下げるべきであったといえる。IMF(国際通貨基金)も切り下げを主張していた。

しかし、スウェーデン政府ラトヴィア政府に対して「切り下げだけはしないで欲しい」と働きかけたのである。切り下げによってスウェーデン系金融機関の抱える不良債権がさらに拡大すると経営破綻に陥る可能性があったため、スウェーデン経済を考えた場合、それだけは避けたかったからだ。(続く・・・)

罪深いスウェーデン金融資本 (6)

2009-10-15 06:37:32 | スウェーデン・その他の経済
バルト三国の金融バブルは既に2008年前半から雲行きがおかしくなっていたが、9月のリーマン・ショックによって完全に破裂した。金融バブルに支えられて急速な成長を見せていた実体経済も急速に冷え込むこととなった。

火に油を注ぐがごとく寛大な貸し出しを行ってきたスウェーデン系の金融機関は、この時までに貸出残高の総額が4000億クローナ(5.2兆円)に達していた。そして、突如として窮地に追い込まれることとなった。景気や雇用情勢の悪化によって、これまで誰もあえて疑いを投げかけようとしなかった「給与の年率2ケタ上昇」という期待が完全に崩れたのである。給与が今後ちゃんと伸び続けていくなら、たとえ今の時点では高額と思える買い物を銀行ローンによって行ったとしても、そのうちちゃんと返済していける。しかし、給料の伸びが止まり、さらには失業してしまえば、元本の返済だけでなく利子の支払いさえ難しくなる。

金融機関は急に態度を硬化し、ローンの返済を迫った。返済が難しい借り手からは担保を差し押さえた。しかし、担保をたとえ差し押さえたとしてもその資産価値がバブル崩壊によって大きく低下しており、ローンの額に全く見合わず、債権の大部分が焦げ付くことになった。さらに、そもそも貸し出しの際に十分な担保を取っていなかったケースもかなり多かった。長年にわたるずさんな貸出が、この時になって裏目に出てきたのである。

スウェーデンの大手4銀行(Swedbank、SEB、Nordea、Handelsbanken)のうち、Handelsbankenを除く3行がバルト三国に進出しており、中でもSwedbankSEBの貸出額が飛び抜けて多かった。そして、その大部分が不良債権化すると見られた。そのため、あれだけ寛大な貸し出しをこれまで行ってきたSwedbankSEBは、逆に自分たちが他の銀行から資金を調達するときに困難に直面することになった。前回の記事に書いたように、銀行間の資金融通ネットワークであるRIX(銀行間取引市場)が機能不全になる事態が昨年10月初めに起きた。

Swedbankは、2008年に入ってからバルト三国のバブル景気に翳りが見られていることは認識していたものの、たとえ景気が後退したとしても不良債権が大きく膨張することはなく乗り切っていけると考えていた。そんな甘い考え方を危険視する投資家や金融機関がSwedbankへの貸し出しを拒み始めていたのである。さらにSwedbankはリーマンブラザーズにも多額の融資を行っており、リーマンが倒産したことによる影響も大きかった。

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スウェーデン政府は事態を重く見ていた。スウェーデン系銀行の保有する債権の不良化は、あくまでバルト三国でのことであったが、そこでの痛手があまりに大きいとスウェーデン本国の親銀行の資金繰りを圧迫しかねず、そうなるとスウェーデンの金融システム自体が危なくなる恐れがあった。その兆候が、すでにRIXの一時的な機能不全という形で現れていた。

事態は急を要していた。スウェーデン財務省や金融界はSwedbankがいつ破綻してもおかしくないと考えていたようだ。財務省はもしもの時に備えて国有化の手続きを検討していたし、一銀行の破綻が他行にも伝染しないような救済策の策定が急がれていた。

アンデシュ・ボリ(Anders Borg) 財務大臣マッツ・オデル(Mats Odell)金融市場担当大臣「金融市場安定化プラン」を発表したのは10月20日のことだった。


その主な内容は、まず「金融機関同士が資金を融通しあう際に、スウェーデン政府が1.5兆クローナ(20兆円)を限度に信用保証を行う」というものだった。すでに触れたRIXの一件は、借り手(SwedbankやSEB)の破綻を恐れた貸し手が融資を渋ったために起きたものだった。そのため、そのような場合には政府が信用を保証することで、つまり、借り手が破綻したときには政府が責任を持って返済しますよ、と約束することで、貸し手が安心して資金を供与できるようにしようということであった。

「金融市場安定化プラン」の第二点目は、「それでも金融機関が破綻してしまった場合には、国が資本注入を行い国有化する」というものだった。つまり、銀行は絶対に潰しませんよ、と約束することで、預金者が一度に預金を引き出すようなパニック状態になることを防ぐと同時に、金融インフラの維持を政府が責任を持って行っていくことを約束したのである。また、この安定化プランと前後して、政府による預金保証の上限が大きく引き上げられた

これらの救済策は、まさにスウェーデンが90年代初めに経験した金融危機で実際に行われたものだった。スウェーデン語でBankakuten(銀行のための救急窓口)というとスウェーデン人の多くが90年代初めの混乱の日々を頭に浮かべるだろうが、この言葉が再びメディアで使われるようになったのである。

しかし、この安定化プランが発表された記者会見でのボリ財務大臣の説明は、今から振り返ってみれば非常に滑稽なものだった。

「アメリカで行われてきたサブプライム・ローンで人々が多大なリスクを犯したことによって、世界各国の金融システムが影響を被ることになり、スウェーデン政府も今こうして金融安定化プランを発表することになった。しかし、必要とされる対策はきちんと準備しているので心配はいらない。」

バルト三国のことは一切触れられていないのである。つまり、スウェーデンの金融機関には罪はなく世界的な金融危機の煽りを受けているだけだ、とでも言いたげだったのだ。しかし、この記者会見から半年ほど経った頃、ボリ財務大臣は当時の心境をこう振り返っている。

「あの時は、スウェーデンの金融機関や金融システムそのものが、バルト経済のバブル崩壊に一気に飲み込まれて大混乱に陥るのではないかと気が気ではなかった。10月に発表した金融市場安定化プランの大きな目的の一つは、バルト三国のバブル好況時に多額の貸付を行ってきたSwedbankSEBを救済して、バルト経済崩壊の影響がスウェーデンに波及することを少しでも抑えることだった。」

話を当時に戻そう。この安定化プランによって、国内の金融市場が混乱に陥ることを未然に防ぐ準備は整えられた。一方、スウェーデン政府は、これと同時に別の動きも取っていた。それは、問題の根源であるバルト三国に直接働きかけることであった。しかし、これはバルト三国の人々に大きな苦痛を強いるということで激しい批判を受けるものでもあった・・・。(続く)


オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞

2009-10-12 08:14:55 | コラム
オバマ大統領ノーベル平和賞を受賞したというニュースは、スウェーデン・ノルウェー時間の金曜日午前11時に発表されたが、早速その日のランチの席で同僚同士の話題になった。

平和賞を彼に授与することを好意的に受け取る人が一部でいた一方で、私も含めて多くの人が非常に否定的だった。好意的な人も、その理由は「彼のファンだから」、「彼が掲げる様々な改革の励みになる」といったものだった。しかし、平和賞の本来の意義を少しでも考えてみれば、大統領に就任してまだ9ヶ月ほどしか経っておらず、何も成し遂げていない彼に賞を授けることは時期尚早だ。ノルウェーのノーベル平和賞委員会はオバマ大統領に授与した理由を

「extraordinary efforts to improve international climate and strengthen international diplomacy and endorse the zero vision for a world free of nuclear arms」

としているが、オバマがこれまでに示してきたのはあくまでgood intentions(積極的な意思)であってaccomplishments(その達成)ではない。

ランチの席での議論は、その後も同僚や研究生同士のネット上の内輪フォーラムで続いた。ある友人は「研究助成金の申請書の中で、これからやりたい研究の意欲を大きく書いたところ、ノーベル委員会がそれだけをもとに私に賞を授けるようなものだ。」と書いていた。

また、スウェーデン人の別の友人はこんなジョークを書いていた。「スウェーデンにはAnna Ankaがいるが、ノルウェーにはノーベル平和賞委員会がいる!」

(*注: Anna Ankaとはハリウッド俳優(作曲家)と結婚したアメリカ在住のスウェーデン人女性。専業主婦をしており、「妻の役目とは夫に尽くして家事や子育て、趣味にいそしむこと」「夫が浮気をしたら自分の責任と思え」「スウェーデンの男は子供のオムツを替えたりして情けない」などの発言(かなりレベルの低い議論)を9月にスウェーデンのメディアで展開し、かなり冷めた目で見られていた人)

イギリスの「エコノミスト」は、「2016年のオリンピック開催地の選考でアメリカが落選したことに対する慰めなのではないか?」とのジョークを書いていた。

国連で働くフランス人の友人のコメントは「Why do they keep adding so much pressure, with increasing unrational expectations, on the shoulders of this man... not superman!!!?」というものだった。まさに彼女の言う通りだ。ちなみに、彼女も私もオバマ大統領の活躍をむしろ応援している立場だ。

確かに、オバマ大統領が当選以来、世界的にこれだけ評価されているのは、彼の前任者の外交政策が非常に極端なものであって、その政策からの転換が非常に新鮮に感じられるからだ。今年初めに就任してから、プラハでの「核なき世界」の演説カイロでの「イスラム世界との宥和」の演説、グアンタナモの閉鎖(予定)、それから国内でも人種差別問題における「ビール座談」や懸案の医療保険改革の推進など、早くも目覚しい動きがあった。一方で、国内では共和党をはじめとする保守勢力反オバマのプロパガンダ運動を展開し、障害も多い。

だから、あまり大きな期待をかけることで彼に余計なプレッシャーを与えることになっても困る。今回の受賞は、むしろ彼の国内外の政敵にとって、彼を挑発して辛抱強さを試すための絶好の機会となるかもしれない。

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ところで、そもそもノルウェーのノーベル平和賞委員会って何だろうか? 2年前にアル・ゴアが受賞したときもそんな疑問を思った。私はむしろアル・ゴアを評価しているし、彼が世界的に展開した温暖化防止キャンペーンの啓蒙活動は素晴らしいと思う。しかし、彼はあの時点ですでに様々な賞を受賞し、世界的に名も知られており、活動の資金力も豊富にあった。

だから、そんな彼に改めてノーベル賞を授与するよりも、まだ名が世界的には知られていないが、草の根で民主主義や平和、貧困撲滅、環境問題の是正のために活動をしている「無名の戦士」を発掘して讃えたほうがよほど意味があっただろうにと思う。しかし、過去の受賞者を見てみると、むしろ政治リーダーなど有名人に授与する「ミーハー的」な賞という傾向が強いように思う。

この記事の最初に「大統領に就任してまだ9ヶ月ほどしか経っておらず」と書いたが、実は平和賞の候補者の推薦はその年の2月1日が締め切りとなっている。推薦をノーベル委員会に送ることができるのは、ノルウェー議会の議員や政府閣僚、学術関係者など限られた人たちだが、オバマを推薦した人は、彼がまだ就任したばかりの時に推薦したことになる。つまり、彼のその後の活躍を根拠に提出された「真面目な」推薦ではないようなのだ。

(ちなみに、推薦は賛同者が一人でも行うことができるため、毎年ありとあらゆる人物の名が挙げられる。今年は200ほどの名が挙がった。30年代後半にはヒトラーの名が挙がったことがあったという。)

幸い、オバマ大統領は上に挙げたような外交面での活躍をその後していくことになったため、そのような「いい加減な」推薦も後追い的に正当化されて、真面目な選考の対象となっていったようだ。

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ノーベル賞に関しては、これまでは比較的新しい経済学賞が「経済学は科学ではない」とか「政治的だ」、「ノーベルの遺志とは関係ない」などの理由で激しい批判にさらされてきた。しかし、ノーベル賞の権威を危うくするという意味では、むしろこの平和賞のほうがよっぽど大きな問題をはらんでいるのではないだろうか?

ポルタヴァの戦い (2)

2009-10-09 09:25:36 | コラム
1709年の春、カール12世率いるスウェーデン軍ウクライナで越冬を終えた。この当時、ウクライナにはコサック兵からなる独立国家(ヘーチマン国家)が存在した。17世紀の半ばにそれまでこの地域を支配していたポーランドに対して反乱を起こし、独立を勝ち取っていたのだった。スウェーデンと反スウェーデン同盟(ロシア・ポーランド・デンマーク)の間で大北方戦争が勃発した頃は、コサックのヘーチマン国家はピョートル大帝のロシアと同盟を結んでいたが、次第に軋轢が生まれていた。そのため、スウェーデン軍が越冬のためにやってくると、ヘーチマン国家の君主であったイヴァン・マゼーパスウェーデン軍を支援することに決めた。

スウェーデンのカール12世にとってみれば、新たな同盟軍を手にしたことになる。しかし、彼自身の軍隊の消耗と弾薬不足が決定的であった。また、地元のコサックが味方に付いたとはいうものの、コサック兵のなかにはロシアへの忠誠を選ぶものもあり、地元ではコサック内部で対立が続いていた。

そのため、スウェーデン軍が越冬後に活動を再開したのは5月になってからのことだった。最初の目標はウクライナ地方の要衝であるポルタヴァの砦。ここはロシアの守備隊が守りを固めており、スウェーデン軍はまず包囲網を敷くことになった。

一方、ピョートル大帝率いるロシア軍の主力部隊も春になってから再び動き出すであろうスウェーデン軍を迎え撃つために着々と準備しており、軍隊の近代化や武装の刷新を進めていた。そして、スウェーデン軍によるポルタヴァの砦包囲の報を聞くやいなや、主力部隊は南下を始めたのである。

スウェーデン軍ロシア軍の決戦が間近に迫っていた。この時、スウェーデン軍の兵力は大体25000人ほどであり、味方に付いたウクライナのコサック兵がさらに5000人ほどいたと見られている。これに対して、駆けつけたロシア軍の大きさは少なくとも2倍はあった。しかし、これまで連勝を重ねてきたスウェーデン兵士卓越した指揮力を誇る国王カール12世を持ってすれば、勝てない戦いではなかっただろう。

しかし、ここで一つの災難がスウェーデンを襲った。ポルタヴァの包囲戦における小競り合いで、カール12世が狙撃され、足を負傷することになった。そのため、本隊の指揮から退くことになったのである。麾下の将軍に指揮が受け継がれ、統率力は大きく低下することとなった。

ポルタヴァの郊外で両軍の主力部隊がぶつかったのは6月28日のことだった。スウェーデン軍は、ポルタヴァの砦の包囲にも兵力を割かねばならず、会戦に参加したのは15000人の兵士だった(騎兵・歩兵が半々)。一方、ロシア側の参加兵士は40000人(うち騎兵が10000)。


同日未明にスウェーデン軍の奇襲で始まった戦いは、スウェーデン軍に有利に動く気配が一度はしたものの、統率の乱れや、ロシア側の騎兵の活躍、そしてそもそもの兵力の差のためにスウェーデン軍が次第に両翼から包囲される形となり、会戦は午前中のうちに勝敗が決した。

カール12世は撤退を指示したものの、ロシア軍の追撃のために、生き残ったスウェーデン兵の多くが捕虜になった。降伏に先駆けて、スウェーデン軍の幹部は機密文書や行軍記録をすべて焼却したために、実のところ、この戦いの詳細については不明な点が多く、文献が伝える内容にも違いが見られる(考古学者による戦場の発掘作業も近年続けられている)。

カール12世自身はコサックの君主マゼーパとともに残兵1000人あまりを引き連れてオスマン・トルコ領に逃げ込んだ。彼が本国スウェーデンの地を再び踏むのは、この5年後のことになる。

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スウェーデンの強国主義・大国主義の夢を打ち砕くことになった決定的な戦いだが、それからちょうど300年経った今年6月末に、ウクライナではこの戦いを記念する式典が開かれた(続く・・・)。

ボルボ乗用車部門を巡る三つ巴の争い

2009-10-07 01:03:32 | スウェーデン・その他の経済
もう一つ飛び入りの記事を書きます。タイムリーな話題なので。

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サーブ(SAAB)だけでなく、ボルボ乗用車部門(Volvo cars)の売却交渉も今年に入ってから続けられてきた。

以前から有望視されてきた中国のジーリー(吉利・Geely)は、Fordと交渉を進めていることを1ヶ月ほど前に正式に認めた。中国企業が買い取ることには賛否両論があり、特にボルボの労組や部品を卸している自動車関連企業が否定的な態度を示していることは以前触れたとおりだ。

ところで、このジーリー(Geely)以外にもFord と買い取り交渉を進めているグループがある。


一つは、スウェーデンの資本グループJakob(ヤコブ)だ。これは、ボルボで勤務するエンジニアなどの大学歴を持つ従業員からなる労働組合が、中国企業による買収を阻止するために設立し、国内外の資本家や金融機関をまとめたものだ。また、スウェーデンおよびベルギーにあるボルボの工場で働く従業員やボルボ車を販売する代理店などからも出資を求めてきた。

このグループの中心人物は、ボルボ乗用車部門の社長(1984–1991)やボルボ・グループ(バス・トラック・船舶・航空など乗用車以外の部門)の副社長(1990–1991)をしていたRoger Holtbackという男性と、ボルボのバス・トラック部門の社長(1992–1997)を経験したSören Gyllだ。

しかし、この資本グループの一番の問題は資金力だ。ボルボ乗用車部門(Volvo cars)の買取には少なくとも150億クローナ(1950億円)が必要であり、さらに経営の継続や新規モデル・技術の開発投資のためにさらに250~300億クローナ(3250~3900億円)が必要になると見られている。

このグループは実は、今でもスウェーデン資本であるボルボ・グループからの出資も期待していた。しかし、ボルボ・グループとしては「ボルボ」というブランド名を守りたい意思は示したものの、多額の資金をつぎ込んでVolvo carsの買収に参加するつもりまではない、とそっぽを向かれてしまった。また、Roger Holtbackも9月にこの資本グループから抜けることを表明した。

現在でもFordと交渉を続けているというが、このグループの希望はかなり小さいようだ。(ちなみに、Jakob(ヤコブ)という名前は、ボルボ乗用車の初期のモデルの名から来ている)


もう一つは、アメリカの資本グループ、クラウン(Crown)だ。これは、Michael Dingman(とその息子)とShamel Rushwinが中心となって設立されたもので、Dingmanはフォードの理事会の役員を20年以上続けてきたし、Rushwinのほうはフォードとクライスラーの幹部を務めたことがある。そのため、自動車メーカーを経営していくためのノウハウは持ち備えているようだ。

また、アメリカの多数の資本家から出資を受けており、ボルボの買取だけでなく長期的な研究開発を行っていくだけの資金力は十分にあると見られている。彼らの野望としては、ボルボをあくまでスウェーデンのメーカーとして今後も発展させていきたいため、スウェーデンの資本グループからの出資も求めている。たとえば、年金基金にも打診をしているとか。

フォードとの買取交渉はかなり前から行ってきたようで、労働組合との協力関係もきちんと維持したり、生産拠点もスウェーデンのヨーテボリに置き続けることなどを表明しているという。また、ボルボ・グループの元社長Tuve Johannessonやボルボやジャガーで製品開発部長をしたことがあるHans Gustavssonを取り込んでいる。さらには、上記のヤコブ・グループを離脱したRoger Holtbackが9月から加わっている。

だから、ボルボ乗用車部門の買い手としては、かなり有望視されている。唯一の汚点としては、Michael Dingmanには90年代にチェコとの商取引でやましいことがあったようで、当時の共同出資者から詐欺などの訴えを起こされていることだ。


一方、ジーリー(Geely)も負けてはいない。ボルボ・グループの社長(1971~1990)や同グループの理事長(1990~1993)を経験したことのあるPehr Gyllenhammarや、ボルボ乗用車部門の社長(2000~2005)と同理事長(2006)を務めたHans-Olov Olssonを取り込んでいる。彼らは、イギリスのロスチャイルド投資銀行を通じて、ジーリー(Geely)の買取交渉が円滑に進むようにアドバイザーをしているという(Gyllenhammarは現在ロスチャイルドの顧問。ちなみにボルボ・グループの社長時代の僭主的な行動で悪名高い)。

ボルボの買収には少なくとも150億クローナが必要だと見られているが、ウォールストリート・ジャーナルによるとジーリー(Geely)は170億クローナという買取価格を提示する用意があるという。

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このように、現在は3つ巴の戦いが繰り広げられている。それぞれのグループが、ボルボの元社長や幹部を取り込みながら、交渉や買取後の経営が有利になるように必死である。最終的にはジーリー(Geely)クラウン(Crown)グループの一騎打ちになるだろう。

このブログでも何度も書いたように、中国資本による買収は様々な問題がありそうだ。だとすれば、資金の面で安心なクラウン(Crown)グループと、技術系の労働組合と密接な関係を持つヤコブ(Jakob)がうまく手を組んで買取を成功させるのが一番ベストではないだろうか?

ポルタヴァの戦い (1)

2009-10-05 07:14:05 | コラム
更新が遅れています。金融危機の続きを書きたいのですが、時間がないため、少し前に原稿を書きかけていた別の記事を掲載します。

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焦土作戦というと、ロシアが得意とする戦法だ。攻め込んでくる敵に対して、ほどほどのところで戦いをやめ、退却する。再び侵攻を続ける敵に対して、同じやり方でずるずると後退していく。領土の一部を敵にやすやすと手渡してしまうわけだが、退却の先駆けては敵の得になりそうなものは、持ち去るか焼き払ってしまう。そして、敵が領土の深くまで攻め入って、補給線が長く伸びきったところで反撃に転じる。ロシアの場合、広い自国領土の地理を熟知しており、しかも冬を待てば「冬将軍」という味方がつくことになるため、この戦法が効果を発揮する。スウェーデン語でも「brända jordens taktik」と、そのままの表現が使われている。

ロシアと戦い、この戦法によって大きな痛手を受けたのがナポレオンだ。彼は1812年のロシア侵攻における大敗が転機となって、その後、失脚への道を歩んでいく。また、その一世紀後には、ナチス・ドイツ軍がソ連に侵攻(1942~45年)したものの、焦土作戦でやられスターリングラードの戦いが転機となり、逆に後退していくこととなった。

しかし、ナポレオンより遡ること100年前に、同じ大失敗をした国があった。それはスウェーデン

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スウェーデンは16世紀半ばから17世紀にかけて急速に力を伸ばしていった。現在のフィンランドにあたる地域はそれ以前からずっとスウェーデン領であったが、スウェーデンはそれに加えて、デンマーク領であったスカンディナヴィア半島南部(スコーネ地方)ゴットランド島を17世紀半ばに獲得した。また、ドイツの三十年戦争(1618~1648年)にも介入して、北ドイツのブレーメンポメラニアを獲得した。

それだけではない! ロシアとの戦争によって、現在のサンクトペテルスブルグの地域を獲得したこともあったし、ポーランドとの戦争を通じて、現在のバルト三国の地域を手に入れたこともあった。

つまり、本来はヨーロッパの北のはずれにある小国(国土は広いが人口が少ない、という意味で)がこの時期に一気に力をつけていったわけだ。ただし、人口が少ないことが致命的な欠点であり、そんな威勢も長続きするはずがなかった。

しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いで、そのままバルト海沿岸をすべて手中に押さえ「環バルト海帝国」を築く野望さえあった。ただ、そこに立ちはだかったのが、デンマークポーランド(リトアニアと連邦国家を形成し、今のポーランドよりももっと広い領土を持っていた)、そしてロシアだった。

1700年スウェーデンとこれらの国々(反スウェーデン同盟)の間で大北方戦争(the Great Northern War)が勃発。戦役の前半はスウェーデンの圧勝だった。しかし、しぶとい抵抗を続けたのがロシアだった。

この当時のロシアのリーダーといえば、その後、ロシア帝国を築くことになるピョートル大帝。しかも、ロシアはこの時までにコサック兵による東方進出を果たし、シベリアに及ぶ広大な国を築いていた。そんな国が総動員をかけて、スウェーデンを迎え討とうとしたのである。

ただ、スウェーデン軍もこの当時は相当の力を持っていたようだ。国王は戦争狂で知られるカール12世。軍隊は十分な訓練を積んだ精鋭であり、装備も申し分なかった。

1708年カール12世率いるスウェーデン軍はロシア領に侵攻した。ピョートル大帝の主力と決戦をすることで、開戦から早くも数年が経つこの戦争に終止符を打とうとしたのだった。

ポーランドはこの時までにスウェーデンに服従することになったため、ポーランドのほうから侵攻したようだ。目指すは首都モスクワ。これに対し、ロシア軍は自国領の村々を焼き払い、後退を重ねていった。スウェーデン軍はロシア領に徐々に深入りしていったが、行く先々での食糧や武器・弾薬の補給が次第に困難になってきた

そのうち、がやってきた。首都モスクワに向かっていたスウェーデン軍は、その年の攻略を諦めた。消耗がひどく、ロシアの大軍を相手に決戦を挑めるような状況ではなかったからだ。そこで急遽、越冬のために南進することになった。目指すは穀倉地帯である黒海北岸のウクライナ


上のほうの青い部分がこの頃のスウェーデン領。北ドイツにも2ヵ所だけ青い部分があることに注意(ただしフランスと混同しないように)

しかし、もともと4万人ほどいた軍勢も飢えや寒さ、伝染病のため、この時までに3分の1が脱落していた。しかも、ラトヴィアのあたりから増援として駆けつけた同盟軍12000人も、途中でロシア軍の攻撃に遭遇し、壊走しながらようやくスウェーデン軍本隊と合流したときには半分になっていた。しかも、同盟軍が携えていた輜重(補給物資)はロシア軍に奪われてしまっていた(続く・・・)