スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

市立病院職員が特許申請

2005-10-24 05:51:55 | コラム
以前に自由主義(リベラリズム)のことをここに取り上げたら、TTさんからスウェーデンの大学では職員会議が頻繁にあり、職場環境がリベラルだという印象を持ったというコメントを頂きました。私が今年の春に通っていた市の成人高校のスウェーデン語の先生の、職場環境のことでよく会議がある、という話などからも総合するに、組織の下のほう、つまり現場で働く人々の声が、管理する側にできるだけ届くようにするシステム、言い換えればボトム・アップのシステムが比較的整備されているのではないかな、という印象を受けます。このあたり、まだ具体的な例を知らないので、詳しいことは書けませんが、スウェーデンの社会を観察する上での面白いテーマだと思います。

ところで、最近こんな話を聞きました。
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「市立病院職員が特許申請」

スウェーデンの大学では学位取得に先駆けて、実際の職場でインターンシップをすることが義務付けられている学位が多い。つまり、法律専門家でもエンジニアでもソーシャルワーカーでも、日本の教員実習のような形で、研修を受けるのだ。(スウェーデンでも比較的長期にわたる教員実習が課せられる)

医療技術のエンジニア・コースで学んでいたある学生の研修先はストックホルムの郊外にある市立病院だった。実際の現場で研修を受ける間に、彼が気になったのは、現場の医療職員や看護士、介護士があみ出して実際に使っている実用的な知恵の数々。市販の医療機器で使い勝手の悪いところなどを、自分たちで工夫して補っているのだという。そんなアイデアがあちこちで使われ、部外者、例えば、販売に来る医療メーカーが勝手に持ち逃げして、利益を得たりしていたのだそうだ。

そこで彼は、職員のアイデアで特許を取れないか考えた。彼自身、以前に特許申請の経験があったので、手続きは心得ている。研修生であった彼が病院の医療技術課の課長に話を持ちかけたところ、一つの小さな実験プロジェクトとしてスタートさせることができた。

ワーキング・チームを立ち上げ、守秘義務を厳守するという約束の下で、一般の職員に実用的なアイデアを出してもらう。これはいけそうだ、というアイデアを、ワーキング・チームが特許申請のプロセスに乗せる。さらに、医療機器メーカーと協力して製品化も図る。職員から出されたアイデアには、ちょっとした工夫で実務のやりやすさを大きく変えるものが多い。医療機器メーカーの研究所や実験室的な環境で開発され製品化される商品の中には、実際の医療現場ではなかなか使い勝手がよくないものもあるのだそうだ。本当に実用的なアイデアはそれを日々使いこなす現場の職員が一番よく知っている、というわけだ。

一つの例は、血圧計測の際に腕に巻く帯。計測の一回につき看護士が最大70回も空気ポンプを押さねばならず、労働障害の典型例だった。電気ポンプによる空気の注入も可能だが、信頼性に欠け、不十分なこともある。そこで、職員が思いついたのは、圧縮空気を利用して空気を注入することだったのらしい。

実験プロジェクトに過ぎなかったこの企画も、これまでの成功から恒常化することがきまり、さらにカロリンスカ大学病院などからも、同様の企画を始めたいという問い合わせが来ているのだという。

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職場におけるボトム・アップ、つまり、現場から管理職へと情報をうまく通して、システム自体に影響を行使していく、一つの面白い例だと思う。それが、現場のアイデアの活用であったり、現場のニーズに合わせた職務のスケジュールであったり。もし、職務の遂行について、国の行政機関や組織の管理職が問答無用に決めてしまうような、一方通行的な情報の流れしかなかったとしたら、現場の職員が「これはこうしたほうがやりやすい」というようなアイデアも、なかなか実現できないだろう。せっかくのアイデアが生かせないとしたら、効率が上がらないだけでなく、現場の職員のやる気も上がらないだろう。

それでは、双方向の情報の流れをいかに円滑にしていくか、それを現実化する上では、また別の問題も発生するだろう(たとえば、職員が組織だって怠けるために、管理職に無理な注文をつける、とか)が、いずれにしろ、こういった例は、医療の現場だけでなく、介護や教育の現場や、一般のオフィス環境でも大切なことだと思う。

風力発電で動く生産ライン

2005-10-14 23:24:17 | コラム
ヨーテボリにはVolvoの主要な工場の一つがあるが、その一部に「ボルボ博物館」がある。企業の歴史と共に、歴代のモデルが展示してあるらしい。まだ足を運んだことがありませんが。

そのVolvoヨーテボリ工場が近々、新しい製造ラインを作るらしい。それに合わせて、5基の風力発電機を新たに建設することが決まった。これによって作られる電力を使って、新工場の生産ラインを稼動させるのらしい。工場内の暖房にしてもおがくずなど、バイオマスを使うとのこと。工場で消費されない風力発電は、地元のヨーテボリ・エネルギーに売り渡される。

生産されたVolvo車が実際に走り出すときになって、やっと化石燃料の使用が始まるというわけだ。

企業の環境政策に関する小ネタでした。

「環境車」に対する優遇制度

2005-10-06 04:21:00 | コラム
トヨタのハイブリッド・カー「プリウス」がスウェーデンで脚光を浴びている。注文が相次ぎ、現在の待ち時間は4ヵ月半とのこと。去年一年で900台が売れたものの、今年は既に2000台が販売されている。燃費がよく、環境にやさしいことだけでなく、「プリウス」自体のハイブリッドという技術に関心を抱いて、購入を決める人もいるという。

ボルボはエタノール車で対抗する。「S40」「S50」というモデルが春に発表され、8月から販売が始まったが、年内に既に1500台が消費者の手に渡る。消費者の中でも多いのが一般企業だ。スウェーデンの企業の中には社内福利の一つとして、通勤用の車を社員に提供するところがあるが、これが「環境に優しい車」だと、税制面で優遇される。これが、プリウスやボルボのエタノール車に人気が集まる理由のようだ。

さらには、地方自治体の中にも、様々な優遇制度を設けているところがある。路上パーキング料の割引や無料制度などだ。渋滞に嘆くストックホルムでは近いうちに手数料を課すことによる“市内乗り入れ規制”を設けるが、ここでも環境車は優遇される。

購入の際に、普通の車に比べて割高になりがちな「環境に優しい車」だが、このように税制や日常生活の面で優遇することで、購入に拍車をかけようというのは面白いやり方だ。

本と図書館の見本市

2005-10-02 21:23:28 | コラム
この週末に、ヨーテボリ・メッセで「Bok & Biblioteksmässan」が開かれている。スウェーデンの出版社がブースを出したり、出版業や図書館の業界に関連した製品を作っている企業が出品している。

去年は逃したので、今年は最終日の今日、朝早起きして足を運んでみた。9時会場で、その後10時までは「Happy Hour」ということで入場料が半額だったのだが、カフェで朝食をとったあとに入場したら3分遅れだった。

会場内はおそらく200~300の出版社や企業、そして労組、政党、ロビー団体などが軒を連ねていた。大手の出版社が大きなブースを出し、新刊や少し以前に出版された本をたたき売りしている。一方で、小さな出版社もマイナーな分野の本を展示して、少しでも人目を引こうと努力していた。

スウェーデンの一般の書店の品揃えは、日本とは比べ物にならないほど悪い。新しい本はすぐに見つかっても、出版からしばらく経った本や小さな出版社から出された本は、ほとんど見つからない。一つの原因は、スウェーデンには再販制がないことかもしれない。定価がなく本屋で勝手に決められるから、各本屋はベストセラーになりそうな本を少しでも安く売ろうとする。一方で、それ以外の本は出版の直後にしか置かない。たまにしか売れない本を、たくさん並べていても、場所をとるだけだし、売れ残ったところで出版社も買い取ってくれない。だから、巷で耳にする本は、競争が激しくて、安いところを探せばかなり安く手に入るものの、それ以外の本を手に入れるのは難しい。

もしくは、ネット上の本屋さんもある。こちらは、マイナーな本も含めて品揃えがかなり豊富だし、何より、安い。しかし、こちらの問題は、品物を手にとってから買おうか買うまいかを決めることができない。本屋にブラブラといって、面白そうな本を適当に見つけてくる、というようなウインドー・ショッピングもできない。さらに、いくら品揃えが豊富といっても、出版から5年も経つと、よほどのベストセラーでない限り、ネット上でも見つけるのが難しくなる。最後の手は、図書館。ここでは、古い本もちゃんと置いてあり、じっくりと手にとって見られるけれど、あっ、もちろん買えない・・・。

だから、この見本市では「こんな本が出版されて入たんだ」とか、「そうそう、この本、一時期買おうと思ってたけれど、店頭からすぐに消えてしまって、忘れてしまっていた」という掘り出し物に出会える。

しかも、有名な作家をブースに呼んで、サイン会をしているところもある。僕も、スウェーデンで著名なジャーナリストや、ディベーターの本を、本人から直接買って話をした後にサインもしてもらった。その他、面白そうな本を低価で手に入れた。もうこれで十分と思ったところで、ケインズの『一般論』のスウェーデン語版が小さな出版社のブースで売られていた。まだ、原書を読んだことがないので、と心が揺らいだが、やめておいた。

「棚からぼたもち」君?

2005-10-01 20:37:47 | コラム
スウェーデンでの若い世代の活躍の一例として若い国会議員の話を取り上げたものの、なんだか日本では「棚からぼたもち」君が世間を騒がしているとか。ワイドショーでやたらと取り上げられる一方で、軽率で、熟慮のない発言が反感を買っているらしい。

しっかりしてくれ~。こんな未熟さ丸出しじゃ、世間の「何の知識も経験もない若い奴じゃ話にならん」「これだから若者は役に立たない」という態度がますます高まりかねないよ~。

今回のブログの記事はちょっとタイミング悪かったですね。でも、私が伝えたかったのは、ある事柄や問題に積極的に携わってきて、その分野に深い知識があるか、または問題意識とやる気と行動力があるならば、いくら若くともチャンスを与えられ、適切に評価されるべきだ、ということです。

この「棚ぼた」君がどういう人なのか分からないけれど、日本の若者の悲しいところは、若いときは下積みに甘んぜねばならず、なかなか行動力と独自性・独創性を試す機会が与えられない。で、いざそういう能力が必要になったときに、今までそんな機会がなかったものだから、周囲の期待に応えられない。だから「今の若いもんは行動力もなければ、自分で問題を見つけて解決する能力にかける」と、大人たちが冷たい視線を浴びせることになる。これこそ悪循環ですね。

さらに付け加えれば、学校教育や大学教育の中で、そのような能力を育てられてこなかったことも、スウェーデン社会と比べたときの大きな違いかもしれない。

さらに、若者の活躍を適切に評価する、という点に関しても、周囲はその人のやったことを冷静な目で判断してやるべきだと思う。巷のワイドショーなどのマスコミのように、ある特定の個人を過度に持ち上げて、一躍、時の人にまつり上げておいて、そして、いざ失敗をしでかしたりなんかすると、寄ってたかって叩き潰すようでは、その人にとっていい迷惑だ。このようなマスコミじゃ、ジャーナリズムの意味をはき違えているだけではないかと思う。